38 王子 3
“私は、イスカンダル朝ファールサ国・第13代マリク王の第3王子、サディク。この書を王都で待つ家族の元へ届けて欲しい。メレイ大将軍には最後の情を…”
書きかけた書面をグシャグシャに丸めて床に叩きつけ、囚われの王子は髪をかきむしる。
豪奢だった蜂蜜色の髪は、手入れも怠られ、持ち主の精神状態を反映したようにくすんで見える。書きかけたのは、遺書だ。
王都では、侵略者に対する“和平派”を名乗る降伏派が勢力を伸ばしていた。それに対し、強く非難し、大見得を切ってほとんどクーデターのように軍を乗っ取って、“英雄派”諸氏と華々しく出撃した。
結果、緒戦で脆くも敗退したばかりか、虜囚となる大失態だ。取り返しの付かない大失点を犯した。まさしく絶望、それ以外の表現がありえない状況下にある。
辛うじて、貴人として問題のない瀟洒な居室を与えられてはいるが、いまはその勝者の余裕さえ呪わしい。
サディクが昼夜を問わず叫びやうめき声を上げるので、はじめはその度に様子を見に来た見張りのオーク兵もいちいちに構わなくなっている。
狂的な目で室内を見回し、いかにこの身を処するか――すでに日課になりつつあったが――そのようなことを王子が考えているとき、その足元の床の下からノックの音と、間の抜けた呼び声が出た。
「王子さまー、兄弟子さまー、聞こえますかー、お話できそうですかぁ?」
*
「た、誰か、余を呼ぶ者は。どこにおる。」
「お静かに。先日、道すがらお会いしました武神流のアイシャです。足下から失礼します。ちょっと遊びに来ました。ご機嫌いかがですか。」
サディクは、床にへたり込む姿になって、足下に話しかける。いつもブツブツと独り言を発しているので、室外の見張りから怪しまれることはない。
「覚えている。武神流の娘か。どうした。まさか、助けに来てくれたのか。」
「そこですよ。さっきメレイ総司令さんに会ってきたら、ウチで働かないかーって勧誘されちゃって。返事は保留にしたんですけど。
最初は、普通に王子様をお助けしようと思って来たんですよ? でも、考えてみたら、王子様を助け出したら、それでオーク族と戦いなおして、勝って、追っ払ってもらわなきゃ解決にならないですよね。
あのメレイさんはいい人だと思うけれど、できればやっぱり国のみんなのためになりたいと思うから。王子様が、“次は絶対勝つ”っておっしゃるなら、お助けしますよ。」
らしくもない長広舌を無事に言い終えたアイシャは、すでに目的の半分を達成したかのように満足げな表情を浮かべている。もちろん、サディクからその無神経な顔は見えない。
「堂々とした風見鶏もあったものだ。余の学問の教師も言っていた、民とは弱く見えてもどうしようもないほどに強かだと。そなたは、武神が遣わした国民の体現なのかもしれんな。」
ひとりごちるサディクのぼそぼそ声に「何かおっしゃいましたかー」と足元の声が遠慮がちに響く。それに応えるように、瑠璃色の目を見開いて確りと言葉を口にする。
「次は勝つ、か。そうだな、次は勝つ。何度も負けてなるものか。次は勝つ! 勝つぞ! これで決意は伝わったか。」
「ありがとうございます。私も、メレイさんの勧誘は断っておきますね。」
「そんなものは捨て置けばいいのだ。ところで、救出には何人で来ている?ファリスはどこだ?」
「わたしひとりで。陣の外にヤクタお姉ちゃんもいるから、2人かな。イケメン子爵さんは知りませんよ。あ、王子様、お怪我はないですか? 捕虜は、他に誰かいるの?」
「オマエこそ成算があって言っているのか!? 捕虜になった兵は全体で数十人はいるだろう。余の手元には、共に捕らわれたヤザンが世話役に付けられている。怪我はない。」
「そんなに? 数十人は思ってなかったよ。爺やもいたなら、やっぱり助けに来てよかった。とりあえず今日は、王子様とヤザン爺やだけ助けるのでも大丈夫かな?」
「いや、残さ……違うな、それも我が罪として抱えよう。…頼む。余を助けてくれ。」
「了解です☆ 夜まで待ってね。堂々と表から歩いて出て行っちゃおう!
あ、夜に迎えに来るから、寝ないで待っててよ。寝てたらダメだぜ。」
「それなら任せろ。負けてからこの方、一睡もできていない。」
「えぇー。じゃあ、いま寝なさい。ご飯も食べなきゃだよ! 道すがら倒れないようにね!」
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外に出ると、強い西日が差し込んで、いつの間にか日没近いことがわかる。
陣中は行軍再開に向けて、様々のものがそれぞれ様々に片付けられ始めていてバタバタしている。その作業ももうあと少し、日没で今日の作業はひと区切りだ。そして今は夕飯の炊事の仕事が重なって、誰も彼もが走り回っている。ひょっとしたら、今なら王子様も普通に歩いて外に出られるかもしれない。ちょっと無理かな。
王子様は必要ないって勝手に言っているけれど、総司令官さんの部屋に向かおう。脱出するための一手ではあるけれども、個人的にメレイさんともう一度しっかりお話をしたい気持ちが捨てがたくある。ひょっとしたらわたし、おじさん好きなのかもしれないね。




