36 邪悪な敵・オーク軍
邪悪な侵略者オーク族の陣に突入、交渉できるものなら何ぞ話し合えたら。あるいは、暴れる。
そう思ってやって来た敵陣で、まず門番小屋に通されて、同い年くらいの美少年が茶菓子を持ってきてくれました。
「へぇ、バター茶?かしら、聞いたことはあるけれど、不思議な香り。お菓子も。これ、シナモン味だ。そうでしょう。戦争中なのに贅沢だね。ごちそうだよ。言葉、わかる? 一緒に食べよ?」
言葉の返事はないけれど、喉がゴクリと動いたね? つまり、下っ端クンではなかなかありつけないものを出してもらってるんだ。案外、ずんばろう丸は効くね。持っていかれちゃったけど、返してほしいな。
お菓子をひとつまみ。甘い! お砂糖! それに、脂。揚げ菓子だ。町じゃあ、お祭りの日の働き手が空いた時間の5分でバリバリ食べて、その子供が残りをわずかにありつけるグルメなお菓子だ。これは油をさんざん使いまわして変なエグ味とクサ味がついちゃったものだけど、羊肉の風味かな? 移った肉の風味が香ばしい。
「ねぇ、あなたも食べようよ。そうだ、毒見をお願い。もう食べちゃってるけど。ウフ。」
少年は思ったよりこちらの言葉がわかるのか、大袈裟な所作で、真っ赤なほっぺもそのままに揚げ菓子をわしづかみにして口に放り込み、バリバリ飲み込んでいる。カワイイ。
「ね、これ、小麦粉とシナモンとお砂糖のほか、何を使ってるのかしらね。男の子は、興味ないかな。」
「Kannella, kardamomu u vanilla. Jekk ma tafx il-firxa ta 'dan, int xorta barbarian.」
「わかんないって。うちらの言葉を使ってよ。じゃあ、このバター茶はあなたの言葉でなんて言うの?」
「tè tal-butir.」
「テ…そんなに違わないね。じゃ、じゃ、あなたのお名前は?」
「Mahdi.」
「マフディさん? わりとこの辺風の名前だ、よろしくねマフディ、わたしはアイシャ。アーイシャ、わかる?」
「(舌打ち)わかる。馴れ馴れしい。俺は帰る。」
「待って、帰らないで、わたしはヒマなんだ。」
「俺が、ゆっくりだと、怒られる。」
「わたしは誰にも怒られない。」
「言葉、わかるか? 俺が、間違えたか?」
「いや、わかるよ。それより、もっとオーク族の言葉を教えてよ。」
「Issejjaħx orc!!」
だんだん柔らかくなってきていたマフディ少年の表情が急転直下、顔中を青筋にしてテーブルを殴ってひっくり返し、お茶もお菓子もふっとばして、涙を浮かべて走り去ってしまった。何がダメだったんだろう。デリケートな子だね。
なんとなく後味の悪い思いで大人しく待っていると、ほどなく最初の門兵さんが戻ってきた。
地面に転がった茶器やお菓子を見て一瞬不審げな表情を浮かべはしたが、すぐに取り直して、直立不動の姿勢で話す。
「かたじけなくも総司令官閣下御自らお相手くださる。…|Serjament, għaliex qed tittratta ma 'tfajla daqshekk stupida?(まったく、なぜこんな脳味噌に花が咲いたような小娘を近づけなさるのか)」
「? こっちの言葉お上手ですね。総司令閣下?には、特別な挨拶をしないといけないとかないかしら?」
「土人は気にせずとも良い。」
ムカチーン。なるほど、言葉に気をつけろとはこのことですね。マフディ少年にも知らない間にNGワードを言っちゃってたかもしれない。以後、気をつけよう。
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「ふむ。君が、“闇に潜む獅子”アセトを一刀のもとに倒したという“死天使”か。報告が上がってきてね、どうしても会って、話してみたいと思ったんだよ。その椅子に掛けなさい。」
「はじめまして、アイシャです。できれば死天使じゃなくて“武神姫”で広めたいと思ってますので、武神姫アイシャでよろしくお願いします。」
総司令官の執務室は、村の中心の役所があったらしき高台を更地にして拡張した上に立てた巨大かつ豪奢な天幕の中。威圧的な玄関や待合室ほかいくつもの部屋に仕切られた奥、戦地らしい外の風景とは隔絶した、広々とした豪壮な空間が広がっている。
窓もない屋内の暗さを感じさせない明るい照明が黄金の調度品を照らし、絨毯から天井画まで、極彩色の細かい刺繍が光の光芒に浮かび上がる。壁際にたくさん吊るされた香炉が異国的な香りを周囲に満たす。総司令官の机は螺鈿細工がキラキラしている。
勧められた椅子は、これも金糸の刺繍が美しいが、触ったぶんだけ沈み込む柔らかさで、アイシャが腰掛けると全身を優しく包み込み、「ふおぉぉ」と思わず息が漏れる。
「私は、メレイ。モンホルース帝国で大将軍の地位にある。アセトは、私が出世する前からの盟友でね。“毒蛇”という裏稼業を選ばざるを得なかったのは惜しいことだったが、高潔な男だった。…弱かったんだって?」
総司令官のメレイは、痩せぎすのいかにも謹厳な老紳士といった風体の、灰色の長髪を肩に流した男だ。服装やさりげない装身具も決して地味にならず、華美に過ぎず、良い塩梅というものを体現していて、アイシャも思わずうっとりと視線を注ぐ。
「はヒっ! あ、あの、森で会った隊長さんですよね、あ、あ、弱かった、っていうのは他の隊員さんの話で、隊長さんは加減できないくらい強かったですよ!あー、具体的にいうと、彼を85点とすると、将軍さんの後ろに隠れている人が、55点、62点、49点、60点、53点。わたしの足もとに潜んでる人が71点。」
「興味深いね。貴女は、何点かな?」
「いちまん点!」
無邪気に言い放った瞬間、地下でアイシャの足下に潜んでいた刺客が、殺気を放ちつつ背後にまわり、飛び上がる!




