30 アイシャと馴染みの町
馴染んだ道を歩く。この町はどこの家でも庭でちょっとした香草や染色に使える草花を育てていて、この季節はいろんな花の香りが街中に満ちてる。やっぱりこの町、好きだ。
日傘は、お父ちゃんが仕入れの旅でずいぶん遠くまで行ったときのお土産で、この辺で使っている人は他にいない逸品。「気取ってらぁ」と陰口を叩かれまくり、“糸屋のお姫様”とかからかい8割で呼ばれていたらしいけど、羨ましがられてなんとも気分が良かった。荷物になるから、と家に残していたのがずっと気がかりだったんだ。
そういえば3、4年前だったかしら、刺繍屋の小さな“手毬ちゃん”が日傘を差し掛けてくれて、2人でおしり振り振り練り歩くのが日課だった時期があった。3つほど年下で、丸っこくてぷくぷくしていて、背の低いわたしよりもまだ小さかったので、手毬ちゃん。名前は、何だっただろう。
わたしの顔が良くって目の色が綺麗で、お姫様みたいだから自分は侍女さん、って慕ってくれた。知り合って1年ほどで王都に引っ越したんだっけか。彼女のほうがお家が豊かで、着ている服はずっと上等だったのに、子供なのに自分のことが好きじゃなかったのかな。今はどうしてるんだろう。
ハッピーだった気分にちょっとしんみり味も足しつつ、市場の地区までやってきました。
「おおっアイシャちゃんがおるっ! ずいぶんご無沙汰じゃねぇかよ、えーーっ!」
いろんな人が声をかけてきてくれる。おばちゃんやお子様には微妙な扱いを受けることが多かったけれど、おじさま方にはおおむね人気者だったアイシャちゃんだ。でも一番人気は大胸のデルバルちゃん、パン屋の看板娘。まあ、関係ない話だね。
「ユースフさん? 見てねぇな。」
「しょうがねぇ親父だな、もうウチの娘になりなよ。」
言ってるこの人たちがしょうがないおじさんたちだよ。それはともかく、お父ちゃんは本当にどうしたんだろう。
「ところでアイシャちゃん。ここ数日、町外れに十数人もガラの悪い男たちが住みついてて、何故かみんな足を悪くはしてるんだが、物騒だから気をつけなよ。」
「それ。何人か働く気があるヤツには仕事をやったりもしてるけど、大半は見るからに悪党だからよ、ひとりで出歩いちゃあいけねぇ。あぁ、そこにも1人いるよ。」
ん? 足の悪いやくざ者の団体? イヤな予感がしますね。と思いつつ、何気なく振り向くと、
「ヒィエェエエェ!! 喰わないでくれェ!!!」
後ろで足を引きずりながら荷物を抱えて歩いていた、薄汚れた男が荷を放り出してうずくまって、泣き出しちゃった。やっぱり、元・ヤクタ盗賊団の、わたしが膝を割ったひとりだ。
町の人達によると、今までにもこの男がひどく取り乱すことはあったらしいけれど、こんなおじさんが泣きじゃくって許しを請うのは見苦しくてイヤ。落ち着くのを待って、話しかけます。
「よくわからないけど、おじさん、今は何も悪いことはしてないよね?」
必死で首を縦に振る男に、ちょっと聞き捨てならない発言の真意を問う。
どうやら、わたしとヤクタが去った後、森を探った彼らは焚き火と肉を焼いた跡、残った部分を埋めて処理した跡を見て、わたしがヤクタをバーベキューにしちゃったと理解して恐慌を起こしたらしい。鹿肉だよ。
まあ、それで数人から十数人単位で散り散りに逃げ去って、その一部がこの町に居着いているとか。
まわりのおじさま方には、どうやらこの人は森の妖怪に化かされたみたいだねぇとフォローして済ますことに。ヤクタ団のあとくされはなさそうでひと安心だけど、ヤクタをあまりこの町で歩き回らせないほうがよさそうだ。
なんだか面倒になったな。ため息をついていると、ひとり若者が「大変だ!」と走り込んできて、叫んだ。
「戦! 戦だ! 軍が、オーク族に負けちまった! すぐにでも、オーク族の侵略者が押し寄せてくるぞ! 逃げろ! 逃げなきゃ!」
*
その後、パンや干し肉、野菜――時間が遅くてあまりいいのは売れ残ってなかったけれども――を買い足して家に戻る。しばらくして、ヤクタも帰ってきた。
「あー、あのクソども、そうなってたんだ。まぁいいや。自分でなんとかするだろ。でな、親父さんの消息はどうにも不明だ。ひょっとして、領都を出られずに引き返したとかじゃねぇ? そんで今ごろ再出発してるとか……」
ヤクタは団に関してはまったくドライな感想だけれど、お父ちゃんの方は真面目に調べてくれたらしい。あんまり良い食材じゃないけど精一杯の料理でお礼とさせてもらいます。で、喫緊の事態はオーク族の件。
「うん。合戦になったけどオーク族が勝って、あの王子様はとっ捕まって捕虜になっちゃったらしいな。情けねぇ。国の軍はいくらか後退して、将軍とやらの指揮でまとまってるらしい。つっても、これから逆転大勝利とはいかねぇだろうなぁ。」
「明日にでもこの街にオーク軍が押し寄せてくるって?」
「明日はねぇよ。でも、時間の問題かもな。ちょっと見てこようか?」
「わたしも行く。」
「はァ?」
「お父ちゃんがこの街にたどり着いたときにオーク族とはち合わせになったら絶対ダメだもの。それに、この町がオークに踏み荒らされるのはイヤだから。
王子様を助け出して、シャンとしてもらう!」
「……ぇえーっ…」




