26 再びの旅路
季節は進んでいて、お日様はポカポカ陽気から日焼けが気になる強めの陽射しに変わった。領都での生活は、旅の苦労の割に半月足らずで一旦終わり。先のことはお父ちゃんを助けて、それから考えることになるけれど、ヤクタと一緒に独立して身を立てる方向で考えるのも楽しそう。
上街の城門を顔パスで抜けて、下街の大通りでヤクタの旅の買い物を見学して、先日の火事の焼け跡を通り過ぎていく途中、見知った顔のちんぴらさんが働いているのが見えました。あの時の記憶は奪ったけれど、真面目に働いて、ちゃんとやれよ。応援してるよ。
さらに歩くと、風景は街道と農地が広がり、遠くにはあの森が見え、風が運ぶ匂いは人と埃のものから草と土と水のものに変わる。街の中にいるときよりも、この景色に“戻ってきた”ような感慨があるのは不思議なものだよ。
昔は自分のことを、町の外では生きてはいけない人間だとばかり思ってきたのに、ひとつ変われば全部変わるんだね。我のことながら、こういう逞しさは普通に生きていくにも必要なものかもしれない。体や剣技じゃなく、心の逞しさ。
お父ちゃんの馬車はまだ気配も捕まらないけど、どこまで行っちゃったんだろうか。
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少し時間をさかのぼる。
アイシャが、部屋に忍び込んできたヤクタと今後の予定を話し合った夜が明けた頃だ。
ヤクタはもうしばらく駄弁った後、「じゃあ明日の準備もあるから帰るわ」と軽く去っていった。アイシャはどうにも寝付けず、そのうちに空も白んできたので家族と自分の旅の準備に取り掛かることにした。
基本的に怠け者のアイシャだが、朝は早い。さして自分の仕事もないので、せめて朝食の準備くらいは買って出ているのだ。この家では、こういう際であるから昼食と夕食を各自で勝手に済ませるし、洗濯も毎日ではないので、朝食の後は激しく時間が余る。
朝の労働を言い訳に、堂々とその後の暇を楽しむのを日課としているのを、ミラードなどは渋い顔で見ていて、ついには仕事を作ってあげたりもしたものだ。が、そんな日々も今日までになる。
いつもより豪華で量の多い朝食を用意し、父と兄の弁当も作る。こっそり、自分とヤクタの分も作る。
ここに至っても親にだけは自分の現状をなんとなく話したくない、この気持ちはなんだろう。料理をしながら泡沫のように浮かぶ思考は、料理の完成とともに湯気と一緒に飛んでいく。今日の朝食は自信作だ。こういうことには小器用なアイシャの手際が光る。
「おお、朝から豪勢だな! 美味そうだ、アイシャ、ありがとう!……ミラード、すまんな、こんなに食材使わせてもらってよかったのか?」
「いいさ、それより外は物騒だから気をつけて。…アイシャちゃんの教育については言いたいこともあるが、後で。兄さんが帰ってきた後で。」
おじさんたちがコソコソ話している間にも子どもたちは朝からモリモリ食卓の料理を平らげていき、大人たちも追随する。
夜明けからまだ間もない早朝の間に、父と兄は用意された馬車で出発した。弁当も持って。
アイシャは諸々を片付けた後、開店前のミラード叔父に対話を試みる。
「サディク王子様の特殊任務をしているお父ちゃんが襲われる情報が入ったので、今からヤクタと一緒に助けに行きます!」
「ねぇ、別に嘘はつかなくても、僕は止めはしないから。いまの話の中に本当の事はあるの?」
思ったより話の分かる叔父に拍子抜けしたアイシャだが、自分でもあやふやになってきていたため、王子の懐剣を見せ、いままでのあらましを説明する。
領都にやって来る道中、盗賊に襲われ、武神様の神託を得て、盗賊を退治し、首領のヤクタを子分にした。街道に戻って旅を再開し、王子の軍とはち合わせ、オーク軍の暗殺者部隊を退治し、サディク王子の弟弟子と呼ばれてこの剣を貰った。武神様の神託で、今の旅でお父ちゃんが死ぬらしいので、追いかけねばならない。そのような事柄だ。
「……それが。“本当の事”なのかい?」
「うん。」
「“うん”じゃなくて、もう子供じゃないんだから、“はい”っていわなきゃ。」
「はい。」
「そのこと、ユースフ兄さんは?」
「まだ言ってない。です。追いかけてって、守って見せてから言わないと信じられないだろうから。」
「だろうね……。あの、ヤクタって悪党は自分のことしか考えてない手合だが、信用できると思ってる?」
「それは……おたがいさまかと。」
緊張感の漂う、食卓での続きの会話。なんとなく肩をすくめて目をそらしがちに話すアイシャを信じるためには、余程の度胸が要る。深いため息をつくミラードをさえぎって、表から声が響く。
「アーイーシャーちゃん、あーそびーましょー!」
若干ドスの効いた、ヤクタの声だ。
「はーあーいー! …じゃあ、ミラード叔父さん、そういうことで! あ、これ、お世話になったお礼です!」
懐から、紐で首にぶら下げた王家の紋章入りの巾着を取り出して金貨1枚をなるべく丁寧な身振りで叔父に押し付け、弁当その他を入れた鞄ひとつを手に、身をひるがえすアイシャ。
「待ちなさい、こんなにもらえるわけない! …アイシャ、僕がどう思われているのか知らんが、君を心配している奴はいるんだぞ!」
ミラードの声は、戦闘モードで走り去るアイシャの耳に届いたか、どうか。ほんの少しのめぐり合わせや認識の違いで人間関係は良くも悪くもまるで変わる、ということも今の彼女には知る術もない。
とにもかくにも、かくして暴走列車の軛は解かれた。800年の妄念を載せて運ぶ軽挙妄動はどこへ行き着くのか。肝心の神を含めても、いまだ知る者は誰もいない。
第2話【領都】がここまで。次回は登場人物のまとめで、その次から第3話【オーク】が始まります。よろしくです。




