挿話 ヤクタ使節団の冒険 (前編)
完結を祝った舌の根も乾かぬうちの、連載開始一周年記念の挿話です。
完結後のほうがたくさんお読みいただけていることへの感謝バトル。
今日、明日の全2回、ちょっと長め。
よろしくどうぞ。
ここはお国を何百里。ファールサ国を離れてモンホルースのオーク帝国へ向かう使節団の一員として、ヤクタは砂と石ころばかりが全方位、地平線まで広がる不毛の大地を何日も進んでいる。
黙々と、ただ歩く。新しい旅のはじめには皆、見慣れぬ風景や様々のことを話し合って和気あいあいと歩いていたものだが、もう歩き始めて幾十日。
一向に変化がない景色の中を昨日はどこまで歩いたか、一昨日は、明日は?
日にちの感覚さえ曖昧になって、そうなると今と過去の境目までもおぼつかなくなる。
*
現状を後悔しない日はない。
もっとも、王都に残っていたとしても日々なにがしかの後悔は積み上がっていたことだろう。
アイシャにキラキラした尊敬の目で見上げられることは、ヤクタの魂にかけがえのない充足をもたらしていた。あの娘があの目で、ジュニアに向けるような失望の視線を送ってくるなど考えただけで心が張り裂けそうだ。
“特別武官”という曖昧な身分設定で一国の威信をかけたゴージャス礼装を仕立てたときには「スゴイ」「キレイ」「いい」以外の語彙を失いつつも全力のキラキラ目で褒めてくれた。使節の出発に際しては3日前から無言で抱きついて剥がれなくなった。
あの思い出があるから生きていける。たとえ王都に残ったとしても、あの思い出が無い世界は色褪せた世界といえるだろう。
しかし、今の世界には美少女成分が足りない。
使節一行にはゲンコツだけでなく、女騎士ナスリーン率いる女官団も参加している。密命として、マリカ王女の婿になりうる皇子を見つくろう、あるいは嫁入りするとしての現地調査の任務が含まれているのだ。
が、厳しい旅に耐えられる頑健な女性ばかりが選びぬかれている。皆、アゴも二の腕も巖のようだ。いちばん線が細いのは団長のナスリーンかもしれない。
ヤクタは同性愛者ではないが、不幸な生まれ育ちゆえにむさ苦しいものに対する忌避感が強い。使節団の女官と武官の間で恋が生まれているケースは少なくないが、それに対しても不思議なものを見るような目をしたっきり、動じる気配がない。
普段は活発に皆の手を引き、背を押し、元気づけ、際どい冗談にもグイグイと参加しながらも、一人のときは遠い視線で物憂げに黄昏れている。そんなヤクタの横顔に劣情を焦がしているのは男女問わず一行の実に3分の1に及ぶのだが、当人は気づきたくもない様子。
*
「町が、見えたぞぅー!」「ウルゲンチ! ウルゲンチ!」
突然響いた、現地雇いのガイドの狂喜の声に目が覚める思いで周囲を見渡す。が、ヤクタの自慢の目をもってしても風景に何の変化も見られない。
が、現地人にしかわからない空気感もあるのだろう。この地域では雨風の都合で水脈と町は数年のうちに移動するものであり、古い情報で旅をすればたちまち砂漠で干からびてしまうという。最新の情報と現地人の勘は旅するうえで欠かせない。
やがて、本当に誰の目にもわかる草地が、大湖が、町が見えてきた。
「おおっ」、と一向にどよめきが起こる。助かった! そんな安心感が体の底から湧き起こる。疲労の激しいものはその場にうずくまるほどだ。馬上の貴人や馬車の中の女性陣も喜びの声を上げる。
ヤクタはアイシャの幻で気を紛らわせながらしのいできたが、彼らにとっては王城から蕃地への明日をもしれぬ絶望の旅路といって過言ではない。明日からは優しくしてやろう。とボス気質が抜けきらぬ大女も、口元が自然に緩む。
ここは中継点・ウルゲンチ。さらに進み、“山の主”と呼ばれる鳥も越えられないほど高い山地を迂回する、さらなる砂漠地帯に入る直前の交易都市で夏を越す。
秋を待って砂漠を二月も進めば、目指すモンホルースの大都。そういう予定だ。ちなみに自国の国境を立た先からからもうずっと、モンホルース帝国の内部ではある。
世界帝国とやらの拡大欲はどう湧いてきてこの砂漠を呑み込んだのだろう。常人より欲深いはずのヤクタでも理解し難い。この機械的な機微は、むしろ個人の欲だからこそ測れないものかもしれない。
さて、この中継地で水や食料の物資を調達する手はずだったが。
「大湖で水竜が暴れておりましてな、とても平時でのお取引は。お武家様に竜を退治ていただけましたならば、御用をお伺いいたしましょう…」
「竜!」「なんと、竜!」
地元商人との交渉にはヤル気がないが背後に居ると捗る強面組がガバっと身を起こす。お馴染み、ヤクタ、ハーフェイズの2人に加えてゲンコツちゃんの3人。
「しかし、水竜ですか。」
ハーフェイズが懸念をもつ。
「それな。アイシャなら「やっちまえ」って一言で済むんだが。」
ヤクタが素直な感想には違いないがブリブリの挑発を放つ。
「なにを! ハー様、大丈夫ッスわよね、押忍!」
ゲンコツちゃんがフォローには違いないが退路を断つ発言。
なお、ゲンコツちゃんは最近意識して言葉遣いを丁寧にしようと努力中だ。
「まずは、現物を見せてもらおうか。」
というハーフェイズの保留決定により、一行のうちコワモテ組は休息もほどほどに大湖とやらに向かうことになった。「先に情報を」などと賢そうなことを言わない彼も、立派なアイシャの同類だといえる。
*
大湖。この地域の古語では単に「海」と呼んでいたが、淡水の広大な湖。海を知る旅人が多く訪れるようになって名を変えた。
果ても見えないこの湖さえも、数年単位で地形が変わり、数十年で位置を変える。西に千メートルの彼方には水路や浚渫(水底を掘り下げる)工事の跡が残るが、自然の営みは人の努力を超えて全てを無にしてしまった。町も、湖を追って建て直されたらしい。
厄介な湖だが、人々の生命線である。そこにここ数ヶ月、巨大な竜、としか呼べないものが棲みつき、船を襲い、人に害をなすという。
「そんなものがどこからやって来たんだ。」
「さぁ……。誰も、いつ、どこから来たのか見たものはおりませぬ。
はるか北の魔道王国から地中を潜ってきた魔法怪物だとか言う者もおりますが、さて…」
情報は当てにならないが、嬉しいことがある。ここまで来れば馬の積み荷を減らして、上に乗って走らせることができるのだ。
先の見通しの立たない強行軍でペース配分を気にするのはひとまずお休み。存分に速度を出せるのは、爽快!
「おぉーっ、見えたッス、大湖!確かに海ほどじゃないッスけど、お結構ッスわよねハー様!」
「シーちゃん、普通に話そう?」
眼前には相変わらずの真っ直ぐな地平線が広がっているが、一部が水平線になっている。
灰色の礫砂漠にナミナミと湛えられた銀色の水面、どこまでも平たい不思議な風景。ゲンコツちゃんの表現はおかしいが、これも旅をしなければ見ることがなかった眺めだ。アイシャに自慢してやろう。
その水面に、うねりが見える。
案内人に目を向けると、無言でうなずき返される。あれが、水竜か。遠いなぁー。頭部は見えないしサイズ感は掴みきれないが、先日の王都行きの大船の4,5隻ぶんはありそうな、トゲのような背びれ付きの大蛇といった雰囲気。
「ハーフェイズオヤジ、水の上走ってバッサリとやれそうか?」
「バカなことを言わんでもらいたい。攻城の投石機ならともかく。…ヤクタ殿、銃ならいかがか?」
「コイツの必中距離は5メートルだ。この距離じゃ、とてもとても。ゲンコツ、オヤジ抱えてワープで飛んでいきなよ。」
「何ッスか、アイシャ武神流は人間に真似できるわけないッス。あ!
……こういう場合、神話では美女の生け贄を囮にしておびき寄せるモンっす。それはどうッスか?」
「お前が美女の囮?」
「ぅンなワケないっしょ。ジブンはゲンコツっすわよ。ヤクタ姐さん、ばっちりキメましょう!」
「うぇーっ!」
*
作戦とは呼べないような思いつきだが、ハーフェイズは暫し瞑目した後、おもむろに「やろう」と口を開いた。
英雄“天剣”の揺らぐことのない重々しい立ち姿。しかしその瞳は少年の輝きをもって、沖に七色に光る水竜の背にそそがれていた。
その場で急ごしらえの計画を立て、準備にかかる。
① まず、ヤクタが小型船の帆柱に立って水竜を挑発する。② 敵が乗ってきたらちょうど良い入江の浜に誘い込み、浅瀬に乗ってきたところを背後からハーフェイズの船が襲いかかり、③ 砂浜に追いやって使節団の武官たちの弓矢と槍で叩く。
それくらいは町人たちも過去に試しているだろうが、ハーフェイズやアイシャレベルの理不尽パワーを備える人材がどこにでもいるわけでもないだろう。
準備するのは快速船を2隻、それから神話の生け贄役に相応しいヤクタの衣装。
「衣装、要るか?」
「押忍、演出は大事っすワ↑。アイシャちゃんから唯一学んだことッス。あの愛され力の獣…」
「そうか、任せた。」
「押ッ忍!」
準備には丸一日を要した。もちろん船主が一様に渋ったためだが、「退治した水竜を使った商売を最優先で任せる」ことを条件に、浜の男たちとハーフェイズの百人組手の結果と、ヤクタの神話衣装姿のまばゆさで彼らも大人しく軍門に降った。
そして計画は実行に移される。
つづく