230 別離
結局、そのままこの日はお泊りすることになった。
男の子のお部屋にお泊り! 勝手に胸をときめかせていたけれど、マリカちゃん姫の鬼の監視にカミラ侍女先生まで加わって、さながら鉄の檻の中の王子サディク殿下は悄然としている。
なんだかんだで立場は一番上なんだから、何でも無理矢理やりたいことをやっても良さそうなものを、不思議な良識があるのはこの王族さんたちの美点だ。
とはいえ、サッちゃんにできる話題のカードは軍隊と政治と武術だけ。夕食の席でも、話しているうちに交際断固反対派のマリカちゃん姫さえも怒りだす朴念仁。このひと、貴族のパーティーとか出たことあるのかしら。
横からお姫様と侍女が王都貴族の最新ファッションモードの話を振ってくれるけれど、こちらもこちらでわからなくて困る。糸屋の娘でこれからの王都民女子としてはわからないといけないことなので、今後、シーリンちゃん先生と特訓しなければ。
現状、ついこの間まで戦争で頑張っていたんだから、どちらかというとサッちゃんの話のほうがわかる。乙女としてはどうかとも思いつつ。
自然、彼の話にうなずくことが多くなってきていると、そのうちにとんでもないことを言いだした。
「しばらくの間、ヤクタを貸してくれないか。
というのも、モンホルースへの外交使節団を送ろうという話が出ていて、ほぼ決定なんだがメンバーの問題でな。
正使は外務卿だとして、随行員として我が国の武威を知らしめるのに1人は天剣ハーフェイズ、ほかに俺からはヤクタを推薦したいと思っている。」
「わたしも行くの?」
「アイシャはハーフェイズの代わりの備えに残ってもらわないと困る。俺も残る、これ以上手柄を立てられないからな。
ヤクタの馬上からの銃術は確実に我が国随一だし、目端も利いて、人を使うことにはむしろハーフェイズよりも優れていると見た。アイシャはどう思う。」
眼の前が真っ暗になる。ヤクタが評価されるのは正直嬉しい。自分のことのように、っていうか自分がチヤホヤされるより嬉しい。でも、完全に別行動になるのは困る。
以前、ヤクタは自分の美貌と才覚で出世できるんだからそうしたらいいなんて言ったことがあった。でもそれはヤクタにどこかへ行っちゃえという意味じゃない。ずっと近くにいてくれることは前提だったんだ。
そうだ、10日ほどなら我慢できるよ。十字軍でそれ以上離れていた時期はつらかったけれど、相棒のためなら耐えることだって必要だ。
「出発はおそらく次の春になるだろう。そこから片道で半年から一年。向こうでの仕事の期間があって、往復で帰って来るのは2、いや3年後くらいだろう。
……おい、泣かないでくれ。(マリカ、これどうしたらいいんだ。)」
「(兄様デリカシーなさすぎ。王族の依頼は柔らかい命令ですのよ。)」
「(アイシャがそんな理屈で動くものか。)当人が断るなら無理にとは言わんが、どうだろう?」
本人に聞いてみます、とだけはなんとか答えられた。と思う。3年!? も、ヤクタに会えなくなるの!? ショックすぎて頭がスパークして、その後の記憶が曖昧だ。
気がつけば、この翌日?に、シーリンちゃん邸でヤクタとその話をしていた。
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「まあ落ち着け、話を整理しろ。アタシが、オーク帝国との外交使節団に入団して?で、オーク貴族をビビらせてやればいいのか。最高じゃねェか、それ。」
意外なほどに乗り気なヤクタの様子に、少々モヤッとするアイシャ。わたしのことなんてどうでもいいの?みたいに思う気持ちをこらえて、サディクの補足発言をもう少し詳しく思い返す。
―― 外交に関しては身分が高い貴族を正使に立てて、宰相の幕僚たちが勝手にやるだろう。武官代表はハーフェイズになるだろうが、他にも我が国の武威を示しつつ抜け目なく目端の利く人材が欲しい。ファリスやヤザンでは頼りないからな。
―― やり遂げられれば、その功績で宮中警護の女騎士への出世も問題ない。3年会えなくなっても、その後はずっと元悪党の流れ者じゃなく歴とした貴族、アイシャがどう出世しても堂々と一緒にいられるぞ!
彼の言うこともわかる。決して悪い話じゃない。それに“十字軍の雷獣”が世界に名声を轟かせるという想像は心ときめくものがある。
ただ、アイシャのイメージの中のヤクタは結構、体調を崩して寝込みがちなところがある。わけのわからない敵地の外国に送り出すなんて心配だ。
結局、思いは千々に乱れて何一つしっかりしたことが言えないでいる。
一方のヤクタ。面白そうな仕事だと思ったことは本当のことだが、そもそも根っこの部分が気に入らない。
男ができたからアタシはいらないとでもいうのか。いや、アイシャがそういう人間でないことは知っている。こいつは「欲しいものをどちらか選べ」という問いにも、両方欲しければちゃんと両方欲しいと言えるタイプだ。
つまり、この大女はアイシャがサディクに「ヤクタはわたしのものだから、あげない」とその場で言わなかったことに拗ねている。
最初にはしゃいだ様子を見せたのも、当てつけだ。
つい、続けて棘のあることを口にしてしまう。
「で、アイシャはアタシがいなくて、ひとりで何でもできるのかよ。」
「できるわけないでしょ! でも、わたしだってヤクタにはカッコよく活躍してほしいと思ってるし……それで……」
「…あぁ、そうか。……アタシがずっと文句みたいなこと言ってたからな、まぎらわしかった、スマン。仕事はすっぱり断ろう!」
王子と、この盗賊でアイシャの取り合いのようなことになっていたことを思えば「出世と引き換えにアイシャを売れ」と言われているにも等しい。最初から腹立たしかったのだ。
気分爽やかに撥ねつけてやれ! 2人、ひっしと抱き合って絆を確かめあう。
が、ここで横からキツいツッコミが。
「ちょっと、おっちゃん。貴女ももう20歳でしょう。ジュニアさんじゃあるまいし、いつまでも遊んでるんじゃぁないわよ。いいじゃないの大仕事。」
横で黙って聞いていた家主・シーリン。その後ろでロスタム爺も難しい顔でうなずいている。
王都民の誰もが敬愛する王家からの、厚意による破格の好条件の依頼を、まさかおままごとのために断るのか。許されないよなぁ。そんな怖い空気が一瞬で空間に満ちる。