229 湖畔にて
「えっちなのはいけないと思いますっ!」
耳をつんざく、甲高い抗議の声。
マリカちゃん、うるさい。耳がキーンキーンとする。バクバクしてた心臓が一瞬止まったくらいビックリして、腰が抜けてしまった。
ビックリすると簡単にへたり込んでしまうのは武神様以前からの悪い癖で、友達から不評を買ってたような“かわいこぶってる”とかでは全然ないんだけれど、心が弱いんだから仕方ないでしょうよ。
でも、これはいつか命取りになる。例えば決闘のときとか、武神さまのときとか、そして今。姫ちゃんがオーガの顔だ。コワイ!
「ほら、いつまでひっついてるの。お兄様から離れなさいっ!」
「いいだろう別に。エッチは悪いことではないぞ。それにアイシャは俺のだ。」
「まーッ、“俺”だなんて! お兄様は他所向きには“余”のほうがお似合いですわ!」
「この娘はもう身内だ! なぁアイシャ、そうだろう!」
2人に引っ張られながら左右から叫ばれる。ああ、これ災難だけれどちょっと気持ちいい。
「聞きなさいよアイシャ、お兄様ったら私が差し上げたお守りの懐剣を失くしてしまわれたのよ! 非道いと思わない?」
「あれは、だな、ぁー…」
「すみませぇん、それを失くしたのはわたしです。ごめんなさい。」
「なんで貴女が持ってたのよ!」
姿は可憐なお姫様が牙を剝いて頬をペチペチ叩いてくる。痛くはないけれども、言い訳のしようもなくて途方に暮れちゃう。
慌てた様子でサッちゃんが説明してくれる。そうそう、オーク族に取り上げられたのよ。
「それなら仕方ないわ。それにしても貴女、何でも失くすわね。」
面目ない。
*
気をとり直すために、場所を変えることになった。といっても、建物のすぐ裏手の蓮池の木陰のベンチだ。
ハスという花は初めて見た。遥かな東南王国の神聖な花だという。昼を過ぎてもう萎みかけているらしいけれども、呆れるほど豪華な花だ。朝がいちばんキレイなら、ぜひ一泊して見てみたい!
いや、サッちゃん、あの花を髪に挿すのは無理じゃないかな。虫が寄ってきそうだし、重さで首が持っていかれるよ。見た目ほど重くはないの? でも、遠慮させて。
「それで、なんだっけ。聖女は引退する話。だっけ?」
困ったので話の続きをうながす。マリカちゃん姫はまだ疑わしげな視線を注いでくるけれど、そっちのフォローは後で。
「そう、実際には何の役にも立たなかった宗教勢力がアイシャの活躍をダシにして勢力を伸ばそうとするなど許せん。面倒な相手だが、アイシャの力を借りて叩けるうちに叩くのは必要なことだな。
それで、聖地の中の聖地をヤツらから独立させるのか。面白い。さすがだ!」
難しい話が難しくなるほど、死んでいたサッちゃんの目が息を吹き返していく。こういうところ、頼れる感じがするけれどわたしにはしんどい。もっと柔らかい話題はないかな?
「それから、話変わるけれどファルナーズ大将軍さんとこのジュニアくん。彼、かくかくしかじかでこうなってるんだよ。放っといていいのかな?」
別の気楽な、はずの話題を切り出してみた。みんなで軽くアハハーって笑えればいいよね、ってはずが……
「あぁ、彼な……」「げぇ~。」
今度はサッちゃんとマリカちゃんが心底イヤそうな顔。お姫様が顔をしかめてそんな声出すもんじゃありませんよ。
ジュニア、そんな嫌われ者だったの? 彼の前歴なんてひとつも知らなかったから、これは予想外だ。
「ヤツは不良貴族のダメ息子どものリーダーというかサイフ役というか、だったんだ。」
「そうよ、つい先日も愚連隊と悪徳商人と、奴らまで関わった悪事に天剣が出動した事件があったのだわ。
ジュニアは働かない男だから主要メンバーとして逮捕されることはなかったのだけれど、それでもほとぼりが冷めるまでは、ってファルナーズが王都から逃げさせてたのに、どの面下げて帰ってきたのかしら。」
あ、その事件ってわたしが王都に来たときの。意外なところでつながってるね。でも、深い関わりじゃないのならよかった。バレてたらハーさんか、サウレ流オミード氏が制裁していただろう。それはちょっと後味が悪い。
「そのファルナーズ大将軍が西北国境の紛争地に赴いているから戻ってこれたのか。大将軍は立派な御仁だが、子に甘いのが欠点だな。」
「そうなの? ジュニアは母親を鬼ババアって呼んでるのに。マザコンのくせに。」
「ね、ダメ男でしょ?」
マリカちゃんは厳しいね。でも、あの男も使いようではあると思うよ。捕虜の女武将を懐柔させる役目をあげたら数日で恋仲になってたし。いや、これはどうかとわたしも思うけれども。
ダメだ。姫ちゃんもサッちゃんも無言のまま目が冷たい。この話題はダメだ。別の話題にしよう。
「…その、西北国境の戦地って今、どんな感じ? 大将軍が行ってるっていう。」
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「さあな。そろそろ、オーク軍との戦の報せも向こうに届くだろう。しばらくにらみ合いして、そのうち両軍とも引き上げるんじゃないか?」
サッちゃんもそれほど興味なさげ、マリカちゃんはまるで他人事の様子だ。ふぅん、そうなのか。
「べ太郎が言いかけてたんだけれどさ、決戦の前、オーク軍の大将のところに西北諸国の使節もいて、わたしが十字架を光らせるのを見てすごく怒ってたらしいんだよ。詳しく聞いてる時間がなくて。意味、わかる?」
「あ、あぁ、あれか。あちらの国ではな、“魚の宗教”の“磔刑の聖者”が信仰を集めているんだ。だから、十字架は特別なモチーフでな。ソルーシュ兄がそれを気に入って勝手にパクってしまった。妙なことに巻き込んでしまってすまない。
…知ってるか、あの国には神の姿をした“人間”と、そのペアとして神が人間の一部から作った“ウ人間”がいるんだ。我々の国の言葉に直すと“男”と“女”なんだが。それでいろいろあって、ウ人間は宗教的に罪があって、人間に仕える立場なんだ。人間を差し置いてウ人間が、それも異教の子供が神の奇跡をなぞらえるなんて許せない、あれはきっと神を侮辱する悪魔の使い・反救世主だ。そんなところだろう。」
「そ、それは、実は女が強くてとか、裏では何かそういう……」
「? …特には聞かんな。」
「だったらそんな文化は滅べばいいよ。」
「やめてくれ。冗談に聞こえん。そういうことだから、アイシャは余所事だと思って知らん顔していてくれれば、大将軍が上手くやってくれるさ。」
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「じゃあ、心配いらないんだ。」
「そうだな、アイシャが大人しくしていてくれれば、大丈夫だ。」
「サッちゃんまで、そんなことを言う! ひどい!」