217 王都再訪 1
さて、旅を終える前に確認を取っておくことがある。これも、サッちゃんから指示されていたことだ。
「ねぇ。ヤクタに聞け、って言われてたんだけれど。男の欲と、禁欲って具体的に何のこと?」
「あ? サディクっちが、ンなことをほざいて?」
「怖いって。わかんなかったら、わかんないでいいから。」
「わかるさ。そんな生ぬるい目で見るな。
…男の欲っつッたら、エロだ。それしか無いと考えていい。単純でいいな?」
*
「ちょっとちょっとぉ、おっちゃん、アイちゃんに何を吹き込んだの。固まってるわよ。」
「待てシーリン。テメェは今のアイシャには刺激が強い。昨夜だって、隠れて旦那と……」
「ストップ。ごめんなさい。でも、説明はして? ……あぁ、それは避けて通れない道ね。」
遠くで、くぐもったような声が聞こえる。
すこしの間、意識が飛んでいたようだ。エロ……エッチなことかぁ。せめてそれは髪上げ式の後でお願いしたいな。
ヤーンスでは、だいたい15歳前後で婚約者ができた女の子が、前髪を上げてしっかり働ける髪型に結って、とりあえず大人の仲間入りをすることになってる。男の子の成人の儀式とは違って人死にが出るようなことはないから安心だ。…その後どう大人になるかは経済状況と個人的な関係性によるんだって。
髪を結う役目は主に母親、またはその代理。わたしの場合はお父ちゃんがやってくれるって言ってたけれど、そういえば、どうするんだろう。叔父さんは願い下げだし、しなくてもいいかな。
そういうことだから、悪いけれどサッちゃんにはまだ待ってもらおう。考えてみれば、わたしからサッちゃんにエッチなことをしてあげるみたいな口ぶりで喋っちゃった。やばい。でも、それならわたしの気が向いたときでいいはずだ。
そうだ、大丈夫なはず。ムリヤリされそうになったら、暴力の出番だ。大丈夫。
「みんな、お待たせ。大丈夫、行きましょう。」
「ほんとに大丈夫ぅ? アイちゃん、足が震えてるけど?」
「いいさ、気が向かなけりゃぶん殴ってやれ。」
さすがヤクタ、以心伝心だね。でもこれ、いいことかしら?
*
宿からの出発も、朝から出待ちの群衆が待ち構えていて拍手と歓声で見送ってくれる。みんな、暇なのか? 私たちは今後平穏な生活は送れるのか? ちょっと不安。
とはいえ、もう船に十字架は無いし、わたしも貴族宅を訪ねるのでそれなりの服だけれど聖女服ではない。そんなに聖女チックではないので、だんだん群衆のテンションも下がって、城門近くの船溜まりに着く頃にはずいぶん落ち着いた感じになっていた。
ここで、ロスタム爺とも合流。数日ぶりの草ちゃんの背の上に持ち上げられて、大城壁の重々しい城門をくぐる。
王都中央区は、相変わらずお洒落で、雰囲気がキラキラしている。人はたくさんいるけれども、それぞれの用事で動き回って、でも決して忙しさを見せずにお上品に立ち回っている。
そう、こういう街が好き。
こちらを見て「あの人達じゃない?」「え、だって、普通だよ?」みたいに袖引きあって噂話をしている人もいる。そうそう、普通なんですよ。
気がつけば、結構な数の人々がこちらを見ている。目立つかな? まあ、偉そうに往来でお馬さんに乗ってるからね。
*
居心地悪い思いながらも進んでいると、物陰からなにか小さいものが飛んできた。頭に当たりそうだったのであわてて受け止める。小石だ。
誰かに小石を投げつけられたんだ。本当に?
のんびりしすぎて、警戒心を忘れてしまっていたみたい。あらためて周囲の気配に注意すると、3人のじっとりした、獲物を見張るような悪感情を拾った。そして小石を投げつけてきたのは、べ太郎だ。しばらく姿が見えないと思ったら、やっぱりの意地悪にムカつく。
それより、謎の敵に王都で狙われる理由なんて思いつかない。何だっていうんだ、心が傷つく。
でも、イヤなものほどじっくり見てしまうもので、そのうち後ろにいた1人が何かを飛ばしてくるのも見えた。狙いは、わたしじゃない。わたしが乗っている、草ちゃんのお尻だ。
ちょうど、さっき手に取った小石が右手にある。これを投げつけて、飛んできた矢のようなものを落とす。
失敗を悟った悪人はこっそり人混みのなかに紛れ去ろうとしているけれど、馬ちゃんを狙ったことは許せない。
「ヤクタ、なにか投げるもの、ない?」
「お、急になんだ?」
「姫様、これはどうですか?」
って爺やから渡されたのは、かわいい小さな陶器の小瓶。持つにも、投げるにも、とてもいい感じだ。さっそく、シュート!
「ヤクタ、あの男を捕まえて! ……爺や、ごめん、あれ、投げてよかったものなの?」
ヤクタは危険を察してくれたのか「ホイきた!」と嬉しそうに駆けていく。
それはいいけれど、爺やには申し訳ないことをしたかもしれない。つい、カッとなっちゃってた。あんなかわいいもの、誰かにあげるためのものだよね。
「あれは妻と孫娘への土産で、あと9個あるので、お気になさらず。香油ですが、土産をせがまれておったのをすっかり忘れておりまして、昨日そのへんで買ったものでしてな。」
それは、余計申し訳ないからなにか穴埋めするよ。あ、ヤクタ、捕まえられた?
「おォ、暴れたから取り押さえたら、舌ぁ噛み切りやがった。聖女の奇跡でなんとかならねぇ?」
犯人は口から血を吹いて悶え苦しみ、かなりグロいことになっている。うわぁ、なんでこんなことに。群衆が逃げ回ったり、逆に寄ってきたりして、悲鳴やぶつかった怒号、混乱が広がる。
とにかく、眼の前のことを。
今も血を吹いている人の前に膝をついて、口のなかの出血と、息を詰まらせているものを回復術で対処。さあ、どうだ。