196 町人の宴
夏の夜は遅い。まだ西の空が赤くもないうちに夕刻の鐘が鳴り、職人たちは仕事の手を休める。
そうしたら、それぞれ家の前までやって来て、適当な空き地に屋台やテーブルの設営を始める。家のあたりは町の中心から外れていて、土地は余ってるんだ。
日が沈み始める頃には、たくさんの人が集まっていた。噂を聞きつけて、近場の町の人や、近隣に避難していた住人も戻ってきて、若者が増えて華やかな雰囲気になる。
そんななかわたしはといえば、「アイシャちゃん、宴が盛り上がってきたらモノ食べてる余裕なんかなくなるんだから、今のうちに食っときな!」なんて言われて、酢漬け野菜にチーズ、炙り干し肉とか、はちみつクッキーなんかを目の前に山と積まれて往生している。
子供の頃は確かにこれが一番のごちそうだったさ。でもね、いつまでも田舎娘じゃないことは服装見てわかっててほしかったなぁ。
ここでニコニコしてたら、20年後も50年後も聖女アイシャの好物はカブのピクルスとチーズを刻んで混ぜたものだって語り継がれちゃう。肉だよ。新鮮な肉、好物は。 干し肉でも塩漬けでもない良い部位の肉を持ってきて。それから花の香りの砂糖菓子。
なんてニコニコ顔のおばちゃんらに言えるはずもなく、「ぅゎーぃ」みたいに愛想笑いをしていたら、ジュニアとヤクタと酒場の年増女たちが大皿を持ってやって来た。
「ほらアイシャちゃん、縁起物の特製クーフテだ! たくさん食いねぇ!」
う。それは、あんまりいい思い出じゃないかも。でも、カチカチで塩っぱい炙り干し肉よりそっち気分かな。
ヤクタも、どこに消えたのやらと思ってたらそんな準備をしてくれていたのね。感激。ジュニアにはもったいない、いい女だよ。
さっそくクーフテにかぶりつく。肉汁が! 閉じ込められていた肉汁が(以下略)
「縁起があるのかい⁉️ 聞かせておくれよ、聖女さま!」
我を忘れかけたところで、助け舟が来て意識を取り戻した。服は、大丈夫だ。汚れてない、よかった。これ、誰が作ったの? ジュニアが、へぇ~。料理人のメガネくんから作り方を聞いて? 何やってんの、暇だったの? 予想しなかった人間関係だわ。
それはそうと、クーフテの縁起もののお話?わたし、もう1つ食べてたいからヤクタ、お願い。
「バカ、こういうのはオマエから聞かなきゃアリガタ味がないだろ。最初から語ってやりなよ。」
「最初……武神流から?」
「あ、それは、アタシにはちょっと。王子様の初対面、も、ちょっとな。」
そうだった、今集まってる人たちにはヤクタ盗賊団の被害者も少なくないはずだ。あの時に捕まってた人だっているかもしれない。
「そうだ、ヤクタはあの時に助けてくれた人だったことにしよう。」
「それならいいか。しかし、それ、いいのか?」
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聴衆の熱気に当てられたか、クーフテの隠し味の蒸留酒でお腹がホカホカしてきたからか、アイシャはポツポツと、やがて饒舌に語りだす。
西の空が赤く染まり、巣に帰る鳥の声、草むらの虫の音が寂寥を感じさせるはずの時刻になったが、松明の明かりが灯され、話を聞こうという人々のにこやかな瞳を照らす。
「殿様からの祝いの下されものだ」と酒樽を運んできた役人と運搬人も輪に加わり、酒は皆の手から手へ回される。
アイシャのためにはテーブルを積み重ねた演壇が作られて、周囲をソワソワさせながら危なっかしく登ってから「後ろの席まで聞こえてるかーい?」なんて言って、あっさり無理だと悟って気を送って声を届ける。
話の内容は信じようもない奇妙なことばかりだが、こうやって奇跡のような力で届けられるのだ。奇妙な説得力がある。
アイシャに起きた今までの出来事は、ヤクタにもシーリンにも、サディクにも事あるごとに語っている。語り口調はふわふわしているが、案外に内容は整理されてしっかりているのだ。娯楽に乏しい町に住む人々は、時おり映像さえ交えて繰り広げられるバトルアクションに魅了された。
皆、王子救出作戦では固唾をのみ、ユースフの死の行では涙に暮れ、塔の上からの風景にはあらためて祈りを捧げる。
十字軍の結成には足を踏み鳴らして、軍船が炎に包まれる様には拳を突き上げて興奮し、熱狂を隣人と共有する。
途中参加の観衆が増えると「最初から聞かせてくれ」の声も上がり、「もう一度あそこの話を聞きたい」の声もでて、物語は夜更けまで終わらなかった。
終わってからも場の盛り上がりは終わるところを知らず、口々に叫ぶように感想を語り合う。
語り手にとって最も納得いかないことに、聴衆の一番人気はアーラーマンの一騎打ちだった。というのも、主観の記憶で見せられる映像で落ち着いて見ることができた華やかな戦いといえばそれくらいだったからだ。
わずかな慰めは、敵側の勇士もアイシャの主観では一瞬の微笑みが印象的でクローズアップされたため、聴衆の人気も敵側ながら二分したことだろうか。
その辺の語りが一段落したところで、皆の興味が戻るのはやはりサディク王子。
「素敵よねぇ、王子様。」「男前であらせられるわ。」
老若の女たちがそう語れば、
「男だぜ、王子。」「カッコイイよな。」
男たちも呆けたように口にのぼせる。
「やっぱり、次の王様はサディク殿下で決まりだよな!」
「王都から出てこない政治家なんかよりも、下々にも目をかけられておられるしな!」
「うおぉ、どうして俺は兵士に志願しなかったんだ!次こそは、殿下の御ために!」
聖女の地獄耳が不穏な会話を捕らえた。あれれ、ちょっとヤバいお話に進んでない?
でもダメだよ、それはサッちゃんが望んでないからね。でも、どう言おうか。第一、本当に本心から望んでないのかな? 一瞬、迷って口を挟みそこねた隙に、女子からの質問タイムが始まってしまった。
「それで、アイシャちゃんと王子様は好きあってるんですか!!」
よく見れば顔なじみの少女デルバルちゃんとココちゃんに、懐かしむ余裕もなく今にも飛びかからんばかりの勢いで詰めてこられて、演壇から転げ落ちそうになる聖女。
語る時には注意深くラヴの気配は消して省略したので、男たちにそれを気にする者はいなかった。が、餅は餅屋に、ラヴは乙女に。
老若の乙女たちが夜闇に爛々と目を光らせている。
「あー、サッちゃんのことね、あのね、」
「サ ッ ち ゃ ん !!!!!」
奇襲を受けて苦しまぎれも思いつかず、真っ赤な顔でしどろもどろになる迂闊ちゃんの姿に、男どもも参戦して盛り上がりは最高潮に達する。
「終わりー!解散!解散ー!」
演壇の上から今夜いちばんの大声が発された。