挿話 サディク
※⇓ ~ ※⇑ の説明は、我ながら面倒な設定話なので 読み飛ばし☆可☆ です。
あくまで挿話なので全体的に 読み飛ばし☆可☆ でもあります。
3回分近くの長さになりましたが、ごゆっくりどうぞ。
王家の三男というのは厄介な生い立ちだ。
長男のもしもの時のためのスペアであることを義務付けられながら、反乱者予備軍の最有力者としても監視され続けるのが仕事になる。
歴代の王弟も、寿命で死ねた例は稀だ。謀殺、唐突な病死、謎の事故死。本人に欲がなくても、有力貴族が担ぐ神輿になることも避けて通れない運次第。
バカのふりをして逃げるのは先に次兄にやられた。が、あの気苦労を見れば真似しようとはとても思えない。それで、
「兄上、私は王の剣として兄上の王業を支え申し上げる所存です!」
などと言っては剣ばかり振って政治の勉強から遠ざかっていた。
結婚も王室の大きな仕事だが、変な外戚を引き込む役割など冗談ではない。長兄に第二子までできればスペアの役割は終わるんだ、それから適当な結婚をして臣籍に下って、地方の将軍、晩年には大将軍になって華々しく戦って歴史に名を残すのだ。
“鉄のサディク”の渾名は噴飯ものだが、願ったりだ。こういう細かいエピソードが後から効いてくるんだ。
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はるか東、名も知れぬ新興の帝国が侵略を繰り返し爆発的な膨張を遂げている、とは俺にとって寝物語がわりに聞かされ、大きくなってもずっと続いてきた噂だった。
西北諸国とは前王朝時代よりもっと昔から戦い続け、いわば気心が知れた敵だったが、東のそれはまるで闇の中だった。ために、国の東部領主たちは商機を探りつつ噂話を楽しむ余裕を見せて傍観しており、王都では危機感を持つものもおらず。
わがファルーサ国の東には、従える旨味も薄い小都市国家群の荒れ地が広がっていたが、その悲鳴、あるいは絶鳴で、ようやくこの国にも非常事態であることが知れ渡った。
それが2年前。大急ぎで外交ルートを探る間にも東国境の守備は陥落、カヒラ領、ホルンザード領、東フィロンタ領は瞬く間に占領された。1年半前のことだ。
ここまで来て、敵は不気味に足を止め、ようやく対話に応じる態度を示しはじめた。
「未曾有の大軍が攻めてくる」という恐慌は意外に早く落ち着きを見せた。十万の敵は大群だが、未曾有というほどではない。
ひたすら荒れ地を攻め上ってきた蛮族が息切れしているのだ。そう言う者もいた。
いくらかは正しい。百万の兵を食わせるなど、すでに軍事の問題ではない、国の運営に等しい。が、集められた情報によると、敵はまさにそれを始めている。もう1年の時間を与えれば、独立国化した東部の百万の兵が出来上がってしまう。
敵は、その国をさらなる侵略の前線基地にするつもりだった。
対処できるのは今しかない。国の西部に偏重している兵力を東に集めるのも各地の諸侯の足並みが揃わない状態で、手をこまねいてはいられない。
事態は一刻一秒を争う。敵にプレッシャーをかけつつ、味方の数と心がそろうまでの時間稼ぎが必要だ。
かくして、強引かつ非合法に軍を編成して、夢想していた晴れがましい舞台に立つ間も惜しんで出陣した。
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行軍中、暗殺者に狙われているという情報を入手した。この手の情報は、受けるだけでも神経が疲弊するし道行きは遅れる。対処しないわけにもいかない。嫌な敵だ。
その暗殺が実行に移されかけたある日、出会った女は忘れられない印象を残した。
それは先行していたファリス子爵から「不審だが害はないと見られる少女がオーク族“毒蛇”部隊と見られる一団を掃討し、報酬を求めている」という、不審はお前だと言わざるを得ない報告を受けたことに始まる。
初めてその女子と目が合ったときに、戦慄が走った。
薄汚れた野暮ったい野良着姿の小さな女。美醜には興味がないが、その目の奥には、まるで異質な何かがたゆたっている。
子供の頃からの武者修行で、その道の達人とは多く出会い、触れあった。が、これほどの感覚に襲われたのは、“天剣”ハーフェイズが厠から出てくるところを弩で狙い撃つイタズラを敢行して、素手で矢を払われて実に愉快そうな笑みを向けられて以来のことだ。
あれは、酷い目にあった。心に浮かんだトラウマに足がすくんだ時、銃声が響く。
結局、暗殺は阻止され、その女子・アイシャには礼金を下賜することになったが、何となくそれだけで済ますことが惜しく、妹姫から渡された御守の懐剣を「受け取ってくれ」と差し出すまでのことをした。
その夜、顔も定かでない不思議な女の夢を見た。
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その後は新たな問題も起こらず前線に到着。敵陣とのにらみ合いを開始する。
計画では、ここから小規模な戦いを繰り返しつつ、敵の出方を探る予定だった。
何がダメだったのか。こちらが若すぎたのか、敵が老獪すぎたのか。巧みに焦らされ、焦らし続けられ、ついに敵の弱点を掴んだと喜んだ瞬間、全てが暗転した。
時間を稼ぐ、最後には王子自らが散ることで国全体の戦意をかき立てることも計算の内。などとは言っても、華々しい英雄的な大勝利を夢見なかったはずもない。敵には、自分自身よりも自分の奥底を見透かされていた。
虜囚となって初めて見まえた、モンホルース国の総司令官・メレイ。その視線だけで圧倒的な敗北感を植え付けられた。これが、世界か。ここまでのものか。
王子の立場で自分の国の政治家連中を軽く見ていたが、メレイの人としての強さが飛び抜けているのか、自分が愚かすぎて何も見えていなかったのか。
あまりにも早すぎ、あっさりと終わってしまった自分の活躍を省みて、できれば前者であってほしいが、国の未来のためには後者であってほしい。
今の自分にできることは、心が這いつくばってしまっても、体までは這いつくばらないことだけだ。
※⇑
「王子さまー、兄弟子さまー。」
我ながら滑稽なものだ。自分は特別な人間だ、という感覚を根こそぎ否定されてまだ数日だというのに、かわいい女子にきれいな声でけしかけられては、未だ奮起する部分があることに呆れる。不思議な助けの手が来る自分は特別なのだと期待する軽薄な心が息を吹き返す。
その後再び、静寂と孤独に戻って、先の一幕はさては幻聴であったか、と自嘲的な思いに満たされていた時、何の予兆もなく見張りのオーク兵が倒れた。
「メレイさん、死んじゃった。意味わかんない。どう思います?」
わかんないのはお前だ。そう言いたいが、意味のない一言にも無理矢理に意味が発生させられるのが王族。気ままなツッコミは許されないと教育されている。
そんな世界と無縁なこの女子は、気ままに喋りながら、存在感を消している騎士ヤザンに見張り兵の衣服を剥ぐように指示している。そんなことも、こんなに小さな田舎女子に言われなければ動けないほどに我々は萎縮してしまっているのか。そんな自分がどうして許せるものか。
ヤザンと目配せを交わし、覚悟を決めたのに、この女子は「爺やのアホー!」とか言ってる気楽なノリで、もう、何を信じていいのか、そもそも何か運命的なものを信じようとしてしまう己の弱さに泣けてくる。
*
囚われの身から脱した。マジか、信じらンね、バッカじゃねェの。
修行時代に覚えた品のない言葉が頭のなかでリフレインする。
「ここまで来たら、夜風が涼しいですね。えー、王子様、じゃない、殿下様。お疲れ様をおかけしました。」
もう何でもいいよ、と思いながらもこの時間が終わるのが惜しくてたまらない。サッちゃん、とこの女子は俺をそう呼んだ。母が、5歳になるまでの俺を呼んだ名で。
続いて「お前にもう用はない」と、要約すれば、そう言った。
「欲を出せ。…(俺に、何も期待してはくれないのか。)」
思ってもいないような言葉が矢継ぎ早に口から放たれる。俺は、何を言ってるんだ、こんな女子に、何を言ってほしいんだ。
求められたい。でも、自分に価値があるのか。本当に、まだ自分に自分で思うような価値があるのか。もう、無くなっているのではないか。
口は動きながらも、懊悩は尽きない。だが。
「今の王子様じゃなく、キラキラの夢を叶えた王子様にわたしの夢を叶えてもらいます!」
まぶしい光を受けて、ふわりと広がった髪が光輪を背負うように広がる彼女は、神聖なものに見えた。
つい、子供じみた妄想とも呼べないような未来図を口から漏らしてしまったが、困ったように笑う彼女の顔はこの先、一生忘れられないものだろう。
翌朝、アイシャが去ると聞いて、その家族宛に手紙を一筆したためた。彼女を嫁に欲しいと。
先の見えない状況で、性急で、かつ、あまりに不誠実ではないかとは思わないでもないが、それより彼女を手放したくないとの思いが先に立った。
もし、再会できなかったとしても、これで少なくとも覚えてくれていることだろう。
※⇓
そしてアイシャは、またしても去っていった。もっとも、居てもらってもすぐにしてもらうことがあるわけでなし、女性の受け入れ体制も無し。
ともあれ、王都へ詳細の報告は欠かせない。経緯は脇に置いておいて、軍団として戦功があったことに違いはない。
平和的な降伏への道は、おそらく最高に話が通じるであろう敵を失ったことで閉ざされたことだろうが、軍人の手柄を賞しないわけにもいくまい。
兵の増援を求めつつ、私的なルートで女性の受け入れ体制も模索する。
敵は想像以上に潔く前線基地を放棄し、占領地の東フィロンタ領都に籠もる。どうやら官僚制の秩序と硬直性は我が国以上のものであるらしく、蛮族との侮りを改めなくてはいけないと感じつつ、こちらには都合の良いものだとも喜ばざるを得ない。
東フィロンタ領都は兵士ばかり十万人を駐屯させるようにできてはいない。だからこそメレイは外に出て、後続の百万人を養える、都市以上の野戦基地を築こうとしていたのだろう。
その領都に無理に籠もるならば、1年を待たず疫病が発生して都市ごと敵軍は滅びるはず。
為政者として、現地住民を思えばしてはならない発想も浮かぼうというもの。
大きなインパクトを残して勝利はしたものの、兵力の数でいえばまだ敵すべくもない。敵の蛮勇ひとつで押しつぶされる身だ。
ひとまずの援軍は到着し、敵を囲んで攻めあぐねると見せて、敵の破局を期待する卑しい状況のなかで、ある日、王都からの謎の知らせが届いた。
※⇑
妹姫からの公式通信の体裁で届いた一報。
「拝啓サディク様。過日は格別のお計らいを賜りまして誠にありがとうございました。(書き直しの痕跡多数)貴方の聖女、アイシャです。なんだかそういうことになっちゃってるみたいです。笑っちゃいますね。(長文の時候の挨拶)…ハーフェズさんも戦争がしたいみたいです。ボランティアーズを作ったので、行きます。よろピく」
「愛するお兄様。このボンクラ娘はファルナーズが言うには使えるらしいので派遣します。ただただご無事のお帰りのみを祈念いたしております。かしこ。」
手紙を裏返し、陽に透かし、火で炙り、その他あらゆる手段を尽くしても文面以外の情報は得られなかった。ただ、アイシャが戻ってくる! 盤面が大きく動く!
新たに諜報団を雇い入れ、様々に情報を集めていたが、敵側は新しい司令官が赴任するまで新しい動きが見込めそうもない。そういうことでもっぱら、国内の動きを探ることになった。
が、いったいなぜアイシャが聖女になるのか、理屈に合う情報がない。そうするうち、北の港町でオーク海軍の奇襲部隊が、発見も警戒の報せもないまま、いきなり撃破されたとの報告が届く。
追って、王都近くの海港町に聖女の祝福の儀式があった、河賊の頭目が聖女軍を襲った天罰で殺されたなどの報告も届く。
その真偽を確かめる間もなく、あちらから押しかけてきた。
ヤクタとカーレンは、ある夕刻、先触れもなしにやってきて「アイシャはいるか、いないならサディクを出せ」と通るはずもない要求を出す。
得体が知れないヤクタはともかく、貴族の子女のカーレンまでそれでは困る。偶然、俺が近くにいたために問題が大きくなる前に静めることができたが、アイシャ以外は特別扱いできないから気を付けたまえ。
それだけ言うとカーレンは赤面しながら恐縮したが、もう一方は悪びれもせず「ぅンなことより、せっかくだ。サディクっちに授けるアイシャ対策会議しようぜ。」
「そうよねぇ、アイちゃん、自分で選ぶ男の趣味悪いから。しっかりした、ちゃんとした男に迫ってもらわないと、任せてたらとんでもない男を連れてくるわよ。」
会うなり、何を言い出すんだ。わが娘を王子に差し出そうとする貴族は後を絶たない。まず嫌悪感が湧き起こるが、どうも雰囲気が違う。
友の幸せを願う気持ち、心配、冷やかし、面白がり。年齢もほぼ同じ3人だ、1人の生贄の噂話を糧に速やかに、妙に打ち解け、道端に座り込んで会話に花を咲かせる。
「あれでいて、とんでもなく押しに弱いからぁ、情熱的な言葉でガンガン行くのがいいと思う!」
「そりゃあオマエの趣味じゃねぇのか。ま、押せば折れるだろってのは同意だ。脈があればな。あと、あいつは体の接触を最初、異様にビビる割に一度許せばどこまでも許す癖がある。
サディクっちの兄には最初から許してたから、脈はあるはずだぞ。」
こめかみの血管が浮き出る音を、人生で初めて聞いた。兄、次兄ソルーシュではあるまい、アスラン兄が? 奴は、俺のそれまで持っていこうとするのか?
「だからさぁ、アイちゃんに何も言わせないままギュッと抱きしめて、承認欲求を満たす甘い言葉を畳み掛けてぇ、さりげなくプロポーズしちゃえば何も深く考えずに「はい……(もじもじ)(ポッ)」ってな寸法ですよぉ!」
本気かこいつら。自分のために友人を売るにしても言い方があるだろう。まして、自分のためでなく友人のためと言いながら、そんな態度があるものか。
しかし、大いに参考にはさせてもらおう。俺1人なら、宮廷のように威儀を正して荘厳に迎え入れるくらいの知恵しか浮かばなかった。
*
その翌日、狂戦士の騒動、使者が起こしたアーラーマン師範の騒動。そして、再度の狂戦士の襲撃。その混乱を収めるべく現れた、アイシャ本人による奇跡が巻き起こした衝撃。
アーラーマン師範は余計な騒ぎを起こしてくれ、義勇軍との険悪化が懸念されたが、さらなる狂戦士の騒ぎと、光の柱を立てながらの聖女のご登場のインパクトで些細な問題は吹き飛んでしまった。
あれは、聞いていない。本物の奇跡、真正の神がかりではないか。後に本人に聞いてみても「知らない。神様が光らせてくれた。夜歩きには便利だね。」と、あっけらかんとしたもので、考えるだけ無駄、あるがままに受け入れるしかない。
なぜ、本人はアレが大した事でないと思っているのか、謎だ。
すでに遅い時間だったが、次の揉め事が起きる前に、最低限の顔合わせは済ませる必要がある。が、ここでまた揉めるのも避けたい。あっさり、手早く終わらせるつもりだった。
アイシャは、美しかった。
初対面のときは土まみれの白い蕪を思わせる雰囲気で、ヤザンがうんこらしょと引き抜いてきた謎の作物のように見えていた。
次に会ったときも印象はそう変わらなかったが、虎口を逃れて一息ついて、遠くの炎と星空を背負う彼女に魅せられた。いままで、婚姻の申し出を全てはねつけてきたのはこのための運命だったのか、と感じた。
そして今、王室の格式ある流麗な衣装を軽々と着こなして、相も変わらぬ村娘のように両手をパタパタ振って無防備な満面の笑みを浮かべる彼女を見て、愛しさが胸にあふれる。
この先は半ば無意識だ。対策を立てていたとはいえ、思考を手放して駆け寄り、抱き上げ、言葉をかける。かける、どころか、想いをまくしたてる。
気を取り直した時には、アイシャは腕のなかでだらしない顔で自失して「あへ~」みたいな声を漏らしている。まずい、締め付けすぎたか? この顔を他人に晒すわけにはいかない。
その姿を隠すように抱え直し、用意させていた椅子に休ませる。迂闊にも、この陣中で最も豪華な椅子はかつての敵陣から接収した、自分も座らせられたことがあるこの椅子だった。屈辱感が胸に溢れたが、アイシャはこのことを知るまい。
そのうち、王都でもっといい椅子に座らせてやりたい。
椅子の具合を確かめて上機嫌なアイシャが、こちらの視線に気づいて不思議そうな顔をした。
*
その後も、むしろその後こそ理解に及ばぬことばかりで、そのまま王都に報告しても正気を疑われるばかりだろう。だが、俺はアイシャに想いを伝えて受け入れられ、あまつさえ命を拾って勝利さえ与えられたのだ。これ以上の運命がこの世にあろうか。
欲をいえば勝つなら自分の力で勝ちたかったが、無理だったことは俺が一番よく知っている。
唯一の問題は、はじめ“アイシャをオトす軍師”を買ってでたあの無頼娘が急に、
「急に惜しくなってきた。考えてみれば、アタシはアイシャには王子様と対等な価値があることを世間に見せたかっただけなんだ。あの娘はアタシのだ。サディクっちは禁欲してろ」と、まさかの裏切り宣言をかましてきたことだ。
理不尽極まりないが、厄介な敵手であることは間違いない。だが、ここで譲って身を引くという選択肢はあらためて死ぬ以上にありえない。
あと、禁欲は俺が前から勝手にやってたことで、お前には関係ないぞ。
…俺の本当の戦いは、これからだ。