163 イライーダ総司令
どうやら、想像以上にオーク軍はぽっと出の邪神に乗っ取られてしまっているらしい。しかしこれは少しも都合の良いことではない。雑なバカほど始末に負えない、って誰かも言っていた。
でも、上手く行けばサウレとだけのやりとりで諸問題が解決するなら、それでもいい。ひとつ聞いておこう。
「サウレさん。その決闘の話ですが、例のマフディくんはどちらに。」
[あらアイシャ、何かしら? 彼なら、馬鹿力以外がさっぱりだから神域で修行をさせているのよ。伝言なら私が聞くわ。]
「いや、彼に用事はないですけど。彼は、自分が勝てばわたしをオンナにするとかふかしてたけれど、逆にわたしが勝てば、彼には何をしてもらえるのかなって。オーク軍全軍を家に帰らすことって、できます?」
[それは、管轄外だわ。
…ナスリーンとやら、舌打ちしてはダメよ。それは愛を遠ざけるわ。
…アイシャ、それを願うなら、我がマフディに余力がある状態で降参させることね。そうすれば、あの子をどう使うも思いのままよ。……なぜ、そんな嫌そうな顔をするの?きれいな顔が台無しよ。マフディ、妾から見ても美少年だし、アイシャだってメレイの件で出会ったときには仲良くなりたいって言ってたそうじゃない。]
「なんでか分からないようだったら、恋愛の神さま辞めたほうがいいと思う!」
[なんですって!? …待って、わかったわ。フフフ、可愛いじゃない。それはつまり! ちょっと距離を置く、恋の駆け引きね!]
うるさい黙れもう帰れ。そんな気持ちで黙って視線を注いでいると、ウフフフ、お姉さんにお任せなさい♡ と言い残して気配は去っていった。
あの俗な神に言いたいことは多々あるけれども、ひとまずは去ってくれたのを呼び戻したくもないので、そっとしておくことにする。
あとに残ったのはわたしたちと、急に目が覚めて子鬼につままれたような顔をしているオーク族の偉い人々だ。
*
「そなたら……もう良い、直言許す。そちらは、使者のナスリーンであったな。娘、そなたは?」
どういう理屈か、意志を取り戻したらしいイライーダ将軍が椅子から立ち上がり、周囲の静止を振り切って急に距離を詰めてきた。
ちょっと足どりがおぼつかないようだが、意志の強そうな目にまず意識が引かれる。細い目、黒い瞳、目鼻だちに特徴はあまり無いが、不思議に只者ではないと直感できる。
体つきも手指も意外に痩せていて、こちらのファルナーズ女将軍の軍人らしい強靭さに比べると文官風の神経質な、むしろ病的な雰囲気が漂う。
将軍が近くまで来ると、むわっ、と甘い煙の匂いが押し寄せて、ちょうど答えようと息を吸い込んだ時だったので咽てしまう。
「こちらは、……」とナスリーンさんが替わって答えようとしたのを目もやらずに手で制し、こぶし1つ分の距離まで顔を近づけてきて、目を覗き込まれる。
とにかく、答えよう。
「アイシャです。」
「そうか、アイシャか。何のアイシャだ。」
復活した途端に態度がでかい人だ。でも、さっきの体たらくを見ているからあまり怖くないぞ。
「アイシャは、アイシャです。ユースフの娘、ヤーンスの町のアイシャです。あ、そうだ、武神姫のアイシャでした。超聖女とか呼ばれたりもしています。」
「やはり、お前か。…よく、暗殺者がぬけぬけと来れたものだな。」
「言っておきますが、メレイさんにはしばらく寝込むくらいのケガをしてもらっただけで、彼を殺したのはそこに並んでる薄ヒゲの人ですよ。あなたこそ、それどういう気持ちで言ってるんですか。」
言うなり、サッと顔色を変えた将軍の目配せひとつで、哀れ薄ヒゲ男は拘束され、連れ去られてしまう。めっちゃ判断が早い。でも、どういうこと?
なにかに満足したのか、さっと踵を返し、元いた席まで戻って腰掛け直したイライーダ将軍があらためて話し出す。
「言っておくが、メレイの死に我は一切関わりがないぞ。奴は、敵、いや……尊敬すべきライバル、か。こちらには便利な言葉があるな。
あの薄ヒゲめが怪しいことはわかっていたが、確証がとれなんだ。だが、もういい。元々気にいらん男だったんだ、死刑でいい。もし間違いだったら、悪辣な計略を仕掛けた貴様らの罪になるだけだ。
……騎士ナスリーン、休戦だったか、言いかけていたことを申せ。」
どんどん調子に乗ってきたぞ。知恵があるようで、粗野なようで、どういう人なんだろう。最初の廃人みたいなのは見せかけだったんだろうか。ナッちゃん、負けてちゃいけないぞ!
「はっ。我らからは、8年間の休戦協定を結ぶことを条件に、捕虜とした国境侵犯の罪人であるマリアム姫の引き渡しが可能であると提案いたします。貴軍らが居座っているファールサ国の領土から退去されれば、9年目には姫の身柄をお返しいたすことでありましょう。
返答は急ぎませぬ。来たる決戦の後にお聞かせ頂きます。」
おっ、わたしは会議でちゃんと聞いていなかったけれど、そうなっていたのか。いやぁ、言うねぇ。でも、無理じゃない?
「8年か。ギリギリ、わが独断で長引かせられる時間だな。そちらには知恵者がいると見える。
ふ、ふ。甘く思われたものだ。返事は本日中に届けよう。貴様らの生首を添えてな。」
まァ、野蛮だわ。
背後からゾロゾロと、抜身の剣を携えた処刑人が入ってくる。サウレさんに言いつけてやろうかしら。いや、さっさと片付ければ、曲りなりの神さまにも文句を言ってやれるポイントが1点つくかしら。
甘く見られたのはこちらの方だよ。殺し合いはここまできてもやっぱり嫌だけれど、叩いて動けなくするくらいなら良心の呵責無しにできそう。全員、やっつけてあげよう!