154 ひきこもり
天幕のなか、円卓を囲んで、サディク軍と十字軍の幹部ほかが暗い顔を並べている。
「では、第18回緊急対策会議を開く。義勇軍、いや、十字軍との共同になるのは初回だな。……アイシャは、いま?」
「一昨日、帰ってからずっとベッドに籠もったまま出てこねぇ。アタシにはよくわからんが、なんか泣いてる。どうしたもんだか。
おいサディクっち、露骨に面倒くさそうな顔をするな。お前に王子様役を期待しちゃあいねェよ。」
のっけからの無礼どころの問題でない発言に、場が気まずい沈黙に包まれる。
アイシャはサウレ神とのやり取りのあとの帰り道、だんだん無表情に黙りこくるようになって、ついにベッドに潜り込んで出てこなくなってしまった。
それきり、夕食にも、翌日になっても出てくることがない。どうやら震えながらむせび泣いているようなので、疲れているのであろうと、そっとしている。
が、期日があることなので、そのままにもしておけない。
「いやぁ、アイちゃん今までよく無理してがんばってこれたものだと思うよぉ。兵隊さんの命の責任者と神様の相手なんて、やれって言われてできることじゃないんだから。
…まぁ、こうなったら最後までやってもらわないと、どうにもならないんだけどね。」
「だよなぁ。あんなふうに男の欲をぶつけられたのも初めてだっただろうし。」
寝不足と疲労の様子もあらわなサディク王子の問いに、マイペースなヤクタとカーレンからの採れたて情報が続く。
「我が身の不甲斐なさを痛感しております。」
「それなら、我々、いや、私こそ。」
ハーフェイズとナスリーンがうつむきながら本音を漏らし、ナムヴァル将軍も寡黙にうなずく。
「ハーフェイズは、かの狂戦士と戦って、どうだったのだ。アイシャの替わりに次、戦えば勝てそうか。」
王子の問いに、皆の視線が“天剣”に集まる。
「かの者は、技術は見習いレベル。ただ、力と、それゆえの速さは我が数倍。未熟な技があるぶん、何をしてくるともわからないカーレン嬢よりも対処はしやすい相手です。
ただ、肉体の硬さが理不尽なもので、首を斬りつけようが指や腹の皮一枚を斬りつけようが、まるで刃が通りませぬ。なにか、まやかしがあろうかと存じますが……。
とにかく確実なことは、某は奴めに少なくとも負けはいたしませぬ。次こそは仕掛けを見破って、勝ってみせましょう。」
頼もしくもハーフェイズは断言する。彼の誤算は、狂戦士マフディに技術が足りないのはエルヤ武神の仕込みだからで、いまサウレ神のワザが彼に伝えられていることを考えれば決して問題なしとは言えないことだ。
そこをうっすらわかっていても、言えないことが多いヤクタとしては止めに入りたい。
「オヤジには、決闘よりもその後の決戦の方で働いてほしいんだよ。兵隊の指揮とかはアイシャもアタシも役に立てねェからな!」
「では、聖女さまに出てきていただく妙案は、なにか?」
「それな。」
横から発言してきたサウレ流剣士のオミードは、あれ以来、土下座の体勢を崩そうとしない。誰も責めはしないのだが、急に敵性分子になってしまったその心中を図り知れる者もいない。
偉丈夫が部屋の隅で器用に身を畳んでいて見苦しいが、自らの奉じる武術の開祖があんな“恋愛神”で、人生をかけて修めてきた術が“恋闘術”だったと明かされて、かける言葉があるだろうか。いや、ない。
が、そこから発言した度胸に免じて、ヤクタも存念をもったいぶらずに話す。
「そこの優男が、噂の“きゅん”だな、そうだろう?」
「“きゅん”?」
この場には、聞けることがあれば尋問するため、捕虜のマリアムとグリゴリィもつれてこられている。
「ああ、モルモル…ヴァリーロ?とやらの言っていた、“リゴキュン”とは、そいつか。女児に好かれそうな顔立ちだが。」
ナスリーンにとって快い回想ではない記憶からの率直な感想を口に出す。
サディクは、アイシャからの報告で省略されていたと思しき情報に眉をしかめている。
「おい、きゅん、死にたくなかったらアイシャの機嫌を取ってこい。」
「品位! 品位!」
直截な脅迫に口を挟んだのは、いまいち事態を把握していないファリス、色男の子爵だ。彼も美形だがアイシャの琴線に触れなかったのは、まだ男っぽいからか、年齢が離れているからだろうか。
捕虜たちへの通訳は、引き続きキルス十字軍団員。単語よりも伝え方に技術が要求されるメッセージに未熟な翻訳家が滞っている間に、サディクたちの議題は次に進んでいる。
大将軍ファルナーズから秘密裏に派遣された捨てゴマ部隊“憂国隊”が到着していて、そのあしらいの件。
影でチョロチョロと敵陣の情報を集めていたベフランからの報告で、ついに新しいモンホルース軍総司令としてイライーダ大将軍が到着した件。
“狂戦士”に受けた被害の対処、兵士たちへの情報の統制と公開。
その辺になると ヤクタは関係なくなるので、グリゴリィを攫って勝手に抜け出し、アイシャの部屋へと足を向けた。
*
「おーい、アイシャ、元気かぁ?
例の男をつれてきたぞ。出てこいよ、さもないとアタシが喰っちまうぞ。」
のっけからの最低発言に、一応の世話役としてしぶしぶ控えているゲンコツちゃんも部屋の隅で頬を染めているが、ベッドの膨らみからの返答はない。
「アイシャ、すこし話が、できないだろうか。」
グリゴリィが若干たどたどしく、最近覚えた言葉で話す。そこは、さすがの学園三位の秀才だ、覚えは早い。
その美声に応えて、布団の隙間から闇が目をのぞかせた。