142 本陣の戦況
その頃、シーリン・カーレンは逃げていた。
少々、時間を遡って経緯を記す。
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アイシャたち先発隊に遅れること3日、事務処理等、種々の要件を済ましたシーリンたち後発隊も進軍を開始した。
居残り組などと呼ばれてはたまらないと、矢鱈に逸り猛った彼ら約50名は急ぐための船便も早々に切り上げ、ほとんど駆け通しで15日の予定を10日で消化する非人道的スケジュールを自発的にこなし、先発隊に先んじてサディク軍本陣に到着する。
途中、河賊との接触や、一瞬だけジュニアが率いていた憂国隊との合流もあったが、概ね問題なく進んだ旅路だった。
ジュニアに代わって執事カビアが引率する憂国隊は早々について来れなくなったので置いていったが、それもあと数日で到着することだろう。
アイシャ隊が海路をとった噂は、同じワスーカ河港で聞いた。遊んで酒を飲んで降りる駅を寝過ごしたというのだから大いに笑わせてもらったし、で、あれば先に到着してしまおうと一同、奮起することにもなった。
が、旅の終盤でその先発隊がオーク族海軍の奇襲部隊を撃退したとの噂を入手する。
まさかこのような抜け駆けがあるとは、と驚愕するとともに、その奇襲が成功していたときの被害を考えるとゾッともする。そして一同、聖女や神の子の運命や宿命と言ったものにも思いを馳せ、使命感を新たにする。同時に、それに参加しそこなったことに深い憤りと焦燥を感じた。
そして、サディク軍に合流したのが昨日夕刻のこと。ヤクタ、シーリンは王子はじめ幾人かの軍人と顔を合わせていたので、陣中には危ぶむ声もあったが総大将権限により歓迎された。
明くる本日朝、定例のように発生している小競り合いが、今日も行われた。
数日置きの、罵声と弓矢の応酬、ちょっかいを出される程度の肉弾戦。を、朝食後から昼食前まで繰り広げる、軍事演習のような戦いである。
オーク軍としては、旧総司令が倒れて後、新総司令の到着まで大規模な軍事行動はしにくいが、残されている将軍や参謀たちは遊んでいるわけにもいかない。そのため、このような仕事を公務員的にルーチンでこなしている。
サディク軍としては、ゴリ押しの力攻めをするには兵力が足りないので、状況の変化を期待して待ちつつ、相手をする他ない。
消極的な戦況だが、変化が生まれたのはこの日からだった。
オーク軍の矢が降りそそぎ、サディク軍の大盾がそれを防ぐ。援護を受けてオーク軍歩兵部隊が突撃を仕掛けてきて、サディク軍の弓兵がすこし遅れて矢を放つ。そして槍兵部隊が待ち構え、乱戦となる。
いつもなら、しばらくしてオーク軍が引き上げ、数百人どうしの衝突で数人の死者と十数人の重傷者、数十人の軽傷者を出して睨み合いに戻る。そのはずだった。
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大盾を構えたサディク軍の兵が5人、吹っ飛んだ。オーク軍が放つ矢と同じ速度、同じ方向から一人、走ってきた歩兵が大剣を振るった結果であるらしい。と、周囲の敵も味方も把握しきる前に、さらに2人、3人、宙に舞う。
小柄な、細身の男だ。無骨な兜をかぶっていて顔はわからない。が、粗末な服に革の胴丸鎧ひとつを身にまとった、雑兵であることに間違いない。
その大剣は鉄の棍棒と大差ない、粗末なものだ。しかし大剣の長さは小男の身長と同じほどで、とてもその体格で振れるものには見えない。
異常な光景にさらされて反応が遅れた守備兵が、さらに右に4人、左に2人倒れ伏す。
ここでオーク軍が総力を上げて突っ込んでいれば、サディク軍は崩壊しただろう。が、400人のオーク軍歩兵隊はまだ陣地を離れて走り出したところで、まだ全然到着していない。
一人突出して悪目立ちしたオーク兵の男に、味方の仇討ちだと陣地の兵たちが囲んで襲いかかる。
遠目には、もう“彼”がどうなったのかは見えなくなったが、ある一点から絶え間なく人が吹き飛ばされ、空宙に巻き上げられている。まだそこで戦いが続いているのだろう。後続のオーク兵も、ヤツを死なせるな、勇者に続けと速度を上げて突撃し、間もなく乱戦となった。
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ヤクタたち後発組十字軍は後方で様子見をしている。とりあえずそう要請されているということもあるが、賊の本能が、おいしい所はまだここじゃないと囁きかけていたのだ。
ちなみに、この隊のトップは、事務方がシーリン、荒事担当がヤクタ。軍団運営のアドバイザーとしてビザン氏という元将校の退役軍人である一般隊員・53歳、料理人のユーバフ隊員・32歳こと、血祭りのときの“メガネくん”に料理他雑務長を任命している。
道中、この体制で大きな問題はなくこなしてきて、それなりの信頼関係を築いている。アイシャは何やら心配していたようだが、奇妙なギスギス感の芽を孕んでいる先発隊よりも、リーダー2人のわかりやすいお色気で野郎どもがまとまっている後発隊の方がきっちりしていた。
そのように信頼を置かれているヤクタが高台の上から戦場を見渡していて、あるタイミングで総員に招集をかけた。
勇ましく、騎馬スタイルから号令をかける。
「真ん中から抜かれて本丸まで行きそうだぞ! 全員で横腹に喰いついて止める!
シーリンはサディクっちのそばまで伝令にいって、そのまま避難してろ。どうせ戦争したくないんだろ、一番強いくせに。その代わり、もしものことがあったら王子様を守れよ! 強いんだからな。」
最前線はいよいよヤバいことになっている。乱戦の人混みが波打つように揺れ、飛沫が上がるように何かが吹き上がり、地鳴りのような低い音、硬いものが割れる高い音、怒号、悲鳴。詳しい様子は見えないが、見たくもない地獄絵図が繰り広げられているに違いない。
やがて人の群れが割れる。中から、真っ赤に染まった小男が一番に飛び出し、数十名のオーク兵が続いて突進する。
そのルートはまっすぐにサディクの元を目指す、ヤクタが勘で察知していた道筋だ。
「十字軍、突撃! テメェらはザコを狩れ!」
一声叫び、馬を走らす。ヤクタは賊の頭目時代、馬術は普通以上に使えるようになっていた。
ほかは、兵のまとめ役・ビザンは騎馬で、のこり武神流六人衆の4人をはじめとする50人弱が歩兵。彼らも剣や槍を構え、一斉に駆け出す。
ヤクタは馬上に銃を構え、ひとり先頭の“例の男”に追いすがって至近距離からその顔めがけ、発砲した。
閃光、爆音、確かな手応え。