134 対決
脇腹から気を送って背骨を伝い、頭の上に悪いものを飛ばす! ウリャ!
「ぬひゃぁああぁ!!」
めちめち、ビリ、バリ、ずるり。
怪音をあげて、“よくないもの”が男の子の体の中からこぼれ出た。
ふっとばすつもりが、ちょっと力が足りなかったみたい。でも、もう重なって貼り付いてないからオッケー。また寄ってきたら、何度でも引きはがす!
[な――なんちゅうことを! 貴様は、なんてことをするんだ!]
おや、逆ギレですか、見苦しいですよモル…モルさん。非道いことをしてたのはあなたでしょ。
[魔導師同士の戦いでは絶対にやっちゃいかんことがあるんだ! あんなに、ムチャクチャに引きはがすから、見ろ、全身の気脈がグチャグチャになって、リゴきゅんが死んでしもぅたじゃないかぁ!]
「え、し、えぇ!? わ、どうしよう、また死なせちゃった! ちょっとみんな、ハーさん呼んできて! また、喝!ってやってもらわなきゃ!」
今ごろ、部屋から出てきたキルスやジュニアにお願いして、走ってもらう。
[遅いわ、そんなもので間に合うものか! 貴様がやれ!いちかばちか、気を吹き込むんだ!]
「どっどどどっどうすんの?」
[口から息を吹き込むんだ、正しい気を乗せながらな!緊急事態だから特別に許してやる!早うせい!]
「わ、わ、」
モルモルが“リゴきゅん”と呼んだ少年のキレイだった顔はもう土気色で、目は開いているけれど瞳は虚ろで揺れ動きもしない。口はぼんやり半開きで、息は止まっている。心臓が働きを止めたんだ。でも、まだ小さい命は生きてる。でも、すぐに死んでいく。
心が、働きを思い出したら。首を切られたとかじゃないんだから、生きていられるのかな。モルモルは、そう言ってるんだ。
正しい気を、とか意味がわからないけれど、とにかく、まず息を吹き込む!
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「こ、これは、いったい!?」
呼び出されたハーフェイズが言葉を失う。
アーラーマン、オミード、ロスタムらもアイシャたちを囲んで、脂汗を垂らしながら見守る。
「アァーー!!」
マリアムが頭を抱えて叫ぶ。
「お…おぉ…」「神よ……」「信じられない……」「キ……キ…スゥー……」
*
無我夢中で、モルヴァーリドと相談しながらグリゴリィ少年に気を吹き込んでいたアイシャ。
[もう大丈夫だ。筋肉の使徒にしちゃあ、やるじゃないか。]
目に見えない、得体の知れない存在が近くに漂っている。怪しいことこの上ないが、ともかく、それに成功を保証されて、ふぅと一息ついて視線を上げる。と、巨漢たちに囲まれていた。
なんだ、これ。みんなが戸惑っている。そんな時、少年が意識を取り戻した。
「ここは……これは、いったい…」
さっきまでの死人の目じゃない、か細くても力が宿った、青く澄んだ目だ。頭巾から亜麻色の長い髪がこぼれ落ちて血色を取り戻しつつある頬にかかり、なんだか色っぽい。
さっき、誰かキスとかいってたぞ。ひどい。わたしは男の子と手をつないだこともないのに。
緊急事態だった、しょうがない、んだけれど、大胆だったかな。自然と彼の唇に目が奪われて、いままでなかったくらいに心臓がドキンと跳ねる。耳鳴りがしてきた。手が震える。顔が熱い。
とにかく、このひとがいちばん事態をわかってないみたいなので、説明してあげよう。
「ここ、こ、こここは、十字軍の船だよ。あなたは、モルモルさんに操られてひとりで飛んできたけれど、わたしがモルモルをやっつけて、あなたが死んで、でも生き返ったの。わかる?ね?」
「そうか……俺は負けたのか…閣下! マリアム閣下は!」
マリアムちゃんは、囲みのなかで顔をグシャグシャにして泣きはらしていた。
少年はよろりと立ち上がると彼女に向かって膝をついて、深く頭を下げて、なんとか力を振り絞る感じで口を開く。
「閣下。力及ばず、お助け申し上げること叶いませんでした。申し訳ありません。この一身に代えましても……」
最後まで言わせず、マリアムちゃんが駆け寄ってひっしと抱きしめ、声もなくひたすら嗚咽している。なんだか美しい風景だ。
あれ? わたしが空気だ。あんなにドキドキしてたのに? 何かあってもいいんじゃないの?
「見ろ! 敵艦隊が引き返していくぞ!」
誰かが叫んで、この場のみんなが無言で海に目を向ける。確かに、沖合に停泊していたオーク軍の残り3隻の船が、船首を東に向けて遠ざかりはじめた。
[あぅー、すまん!]
まだいたのね、モル婆。
[わえが囚われの姫を助けてくると言うてな、戻り次第全軍で港に攻め入れと。それからちょっと格好つけて、“ありえぬことだが、もしも1刻も戻らなんだら退却して事の次第を報告せよ”と申し付けておった。すまんな!]
中空から突然声が響いたので、ハーさん以下こちらの仲間たちは混乱している。けれど、マリアムちゃんは腕の中の瀕死の少年より蒼白な顔色で、目も口も開くだけ開いたすごい顔になっちゃってる。罪深いな、モル太郎。
夏のお昼の強烈な日差しが降りそそぐなか、港町のそこかしこから喜びの叫びが沸き起こっている。ひとまず、降って湧いた脅威が勝手に去っていくんだ。勇者と聖女の海賊退治みたいなお土産話を残して。
状況を判断するにはもう少し情報が必要だけれど、まずはちょっと落ち着いた場所に移動しましょう。