128 炎上、三たび
この場の全員が呆気にとられている。
対話を求めて近づいた指揮官・マリアム副司令があっという間に囚われてしまったのだ。
いまだ霧のなか、奥の兵は状況をつかめていない。が、侵入者の一人が堂々と床に、壁に、油をまいて船に火をつけようとしているのはわかった。
軍船である。もちろん、多少の油をまいたからと言って簡単に火がつくようにはできていない。だからといって放置はしておけない。
「何をしている、副司令を救出しろ!」
魔道官グリゴリィの魔法を介した指示が全軍に伝達される。[侵入者に指揮官が拉致された! 救出せよ!]
500人超の軍人・船員が、やにわに騒々しく駆け出し、混乱が巻き起こった。
*
「火、なかなかつかないね。」
「なんと小癪な。」
いまだ緊張感がないアイシャに話しかけられて、焦りを見せていたオミードも冗談めかした言葉を返す。そのかたわらで、捕らえた敵指揮官を雑用係キルスが苦心して縛り上げている。
「姫様。」
もう暴れたくて仕方がないアーラーマンに短く催促されると、確かに、いつまでもこうしているわけにもいかないことにアイシャでも気づく。
「やっちゃえ!」
野獣の咆哮が耳をつんざく。“ヤバい奴ら”は野に放たれてしまった。
ハーフェイズが、アーラーマンが、腕を振るごとに複数人の体が宙に舞う。オミードも火付けを諦めて、凶暴な笑みを顔に貼り付けて怒りの乱戦に参加、たちまち2人に劣らない活躍を見せる。
[何をやっている、囲め! 押しつぶせ! 銃はやめろ、マリアム様に当たる!]
少年の魔法による指示は喧騒の中でも全員に正確に伝わるが、こちらにまで聞こえる。便利なだけじゃないね、魔法。あるワードを聞いたアイシャの笑みが濃く、意地悪っぽいものになる。
銃を持ってる人がいる! ということは、火薬を持ってる!
すこし離れた場所から、動揺の気配が漂う。アレだ。
まだ気絶中の捕虜をキルスにあずけ、ハーフェイズに守らせ、アイシャは全力の武神流で跳ぶ。男たちの暴れっぷりを見てテンションが上っているのかもしれない。しかし跳びかかった先でとんでもないことに気づいた。剣を持ってくるのを忘れた。
現在の愛剣・男爵丸は軽さを追求し、芯をがらんどうにしたハリボテ剣だが、武神流の秘奥義を駆使すればハーフェイズの全力とも打ち合える業物にすることができる逸品だ。
が、やはりそれなりの重さはあるので、普段から携行はしない。今朝は特にバタバタしたので、たぶん寝室に置いたままだ。ゲンコツちゃんは今ごろ、発見して慌てているかもしれない。そうだとしたら、後で謝ろう。
どこまでも緊張感のないアイシャだが、技を飛び蹴りに切り替え、銃を持ったオーク兵の意識を蹴飛ばす。
そのまま、日頃の動作からは想像しにくいキビキビした様子で、男の銃と、腰に提げた物入れを強奪、再び跳んで、深いスリットが入った長いスカートから白い脚をひらめかせてオーク兵たちを蹴り倒しつつ、味方のもとに戻った。
「これ、火薬の袋。火をつけて、燃えやすそうなところに投げ入れよう!」
アイシャの狙いを読んだか、グリゴリィが血相を変える。
「させるな! 何人死のうが、絶対に取り押さえろ!」
冷静沈着だったはずの少年だが、いきなり降って湧いた天災のようなこの事態に激しく動揺している。その頭をよぎった悪い予感を隠しきれないほどに。
そして、その“悪い予感”を読み取れる敵との実戦の経験に欠けていたことが、天才少年の命取りになった。
「あっちね! 燃えるものがあるみたい、行こう!行こう!」
「お供しましょう!」
悪夢のように、重なり倒れ伏す兵たちを踏み越え、侵入者たちはこの船の勝手を知ったように都合の悪い方向に駆け出す。させるものかと、少年は心を乱しながらも足を踏み出し、魔法の手綱を繰り出そうとする。
瞬間、死の予感がよぎって、無意識に魔法を防御障壁に切り替え、しかし、彼が“仔獅子”と侮った巨漢が、あるまじきスピードで迫り来て、それを最後に少年魔道官の意識は断たれた。
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男は、懸命に馬を走らせている。夜を徹して、追うべき目標に追いすがっている。
彼の名はべフラン。アイシャに人生をかけた大仕事を破壊され、彼女の監視任務を負わされるが常識の範囲で彼女を測った結果、現在、ほぼ失脚の憂き目を見ている。
このままで終われるものか。最後の意地で、押し付けられた閑職を投げ出し、アイシャの動向を勝手に追っている。これは職務ではない、ひとりのアホ娘に人生を滅茶苦茶にされた男のケジメ案件だ。
船を使うとは、小賢しくも考えたものだな。“十字軍”がアルタリ河を発した情報を掴んだ彼は、先回りして中継するであろう支流の港を訪れるが、聖女たちの消息はふっつり途絶える。
焦燥に駆られる彼が次に掴んだ情報は、海の港で“十字軍の聖女”が派手な祝福イベントを開催したというもの。なぜ、そんな妙な遠回りを。衝動的に酒場の机を叩き割ってしまい、逃げて“おたずね者”になってしまった彼が目指したのは、正しくアイシャたちが目指した港。
朝からの霧が晴れて、海と港が見渡せる丘に立った彼の目は沖合に、炎に包まれる軍船を捉えた。
「やんぬるかな!」
ベ太郎と呼ばれた男の魂からの叫びは、風に飛ばされて消えていった。