127 敵船上にて 2
[意志を“気”に込めるのは不得手か。異国の魔法使いよ。研鑽が足りんな。]
少年の水縹色(すこし緑がかった明るい水色)の目と目が合う。澄んだ瞳だ。彼の口は動いていない。耳から聞こえている気がするのは、気のせい?
わたし、魔法使いじゃないわ、失礼ね。でも、それどうやるの、教えて?
気持ちを込めて、彼の目を覗き込んでみる。どうかしら、こんな感じで伝わる? と、彼の顔がみるみる紅潮して、
[貴殿は雑念が多すぎる、馴れ馴れしい、恥を知れ! …これより、閣下がお見えになる、今しばらく真面目にやれ。]
言いたいことを言って、少年の姿はかき消すように見えなくなってしまった。
馴れ馴れしい、って、最近も誰かに言われた気がするわ。ムカチン。ダメかしら、こういうの。
「姫様、今のは。」
顔から詰めてくるハーさんの問いにもわずかに棘がある。その顔が重たいんだってば。肩をすくめて目線をそらすアイシャだが、次の言葉をつむぐまでに、周囲のオーク族兵たちが一斉に一点を見つめてひざまずいた。
ザザザ、と霧の中の視界不良をものともせず揃った動きを見せる兵を見て「この練度の兵なら、ひょっとして、あるいは、万が一、すこしは手間取る危険性があったかも、」などとハーさんが口の中でブツブツ言っているうちに、荒れ地に道が現れるように人波が2つに割れて、2人の人物がその奥から姿を表した。
一人は、先ほど姿を消した少年。消える前までの不確かな存在感とは違い、確かにそこにいる気配がある。さては、幻影とかだったのか。見破ったぜ! …まぁ、消えるまでわかってなかったんだけれど。
もう一人が、特別きらびやかな衣装を身にまとった、少女。年の頃は私と一緒か、すこし上くらいに見える、見慣れない異国風の顔立ちの女性だ。
先の少年も、彼女に向かってひざまずいている。彼女がこの船で一番偉いことは間違いなさそうだ。その女の子が驕慢な表情を浮かべて、言葉ひとつで男を殺すのにも慣れた様子で口を開いた。
「Ħudha bil-mod. Jien ser nismagħkom!」
うん、何を言ってるのか、さっぱりだね。
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指揮官である少女、マリアム副司令が隣のグリゴリィ少年にささやく。
「なんと見事な戦士だ。あの男が、貴様の言う龍か。」
「いえ、彼は仔獅子です。わが目を疑いましたが、小さい女の子が龍です。」
「馬鹿な。次に寝言を発せば処罰するぞ。」
「ご随意に。」
少女はできるだけふんぞり返りながら、目の前の、元は豪華だっただろう薄汚れてシワが寄った祭服の、気楽そうな中にもわずかな卑屈さをのぞかせた女の子をじっと観察する。
美貌で劣ろうとは思わないが、黒髪・茶色の瞳の自分に比べ、明るい髪色、美しい玉の色の瞳には体の内がカッと熱くなる嫉妬心を抱かざるを得ない。顔立ちも、目がパッチリと大きく、自分たちの民族とはちがう。隣の男にもかつて抱いた感情だが、男は、男だ。同じ女ではない。
「仔獅子とは、龍とは。正確に言え。」
「申します。獅子は強大ながら人の手に負える存在です。その仔は、飼いならすことも可能です。しかし、龍は。蜥蜴でも蛇でも無く、その根本から、人の手に負えるものでない故を以って龍と呼びます。
敵対せず、侮られず、ただ去っていただくのが唯一の選択肢かと。」
「ほざくな。」
少女は、アイシャを睨みつけながら詰め寄る。
恐れを抱くはずもなく、遠慮するいわれもない、一歩。ニ歩。三歩。四歩。突然、風景がぐるりと回り、あっ、と言う間もなく、その目はさっきまで自分を囲んでいたはずの自分の軍とグリゴリィ魔道官を遠くから見ている。
「え、何?」
「სულელი ბავშვი.」
羽交い締めに締め付けられ、何か、耳元で囁かれたが、意味がわからない。だが嘲られたことだけはわかる。
そのことが、彼女の中に封印されていた子供時代の心的外傷を蘇らせた。
「ひぇ、ヤ、いや、たすけ、」
「მოკეტე.」
自分でも意識しない何事かを口走りかけ、そのまま意識を失う。そのことは、彼女にとって幾何かの救いだったかもしれない。
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「Eh, x'qed jiġri?」
「おばかさんだね。」
無造作に近寄ってくる指揮官ちゃんを、アイシャがヒュッと前に出て、身動きを封じつつ自陣まで連れ去ってくる。
様子があっさりしすぎていて、敵兵も、魔道官も、ひざまずいていてとっさに対応できないでいる。
「Ħej, le, le, jekk jogħġbok għi……」
「黙って。」
自分の服を見て笑った少女に対していくらかの悪意と殺気を込めて、意地悪くささやきかけると、彼女は失神して、同時に失禁してしまう。
「……あっ、この娘、やっちゃった! 拭くもの、なにか、いや、いまダメだ! あぁもう、オミード氏、火を放っちゃって! 帰ろう!」