117 血祭り
我らの義勇兵団、その名も王子様命名の「十字軍」がいままでの本拠地・ゲンコツ道場から出発していく。
ゲンコツ道場というのも正しくは王都第四代カムラーン兵術道場というのだが、最後までアイシャが面倒がってこう呼んだせいで、後の世には正式名称がゲンコツで記録に残るかもしれない。
道場周辺の道路は広くないので、群衆を押しのけるように一行は進む。
多少の混乱を生みつつも、近所の塀や家の屋根の上に陣取った観衆から拍手や歓声、紙吹雪が投げかけられている。義勇兵の縁者だろうか、名を呼びながら色とりどりのハンカチを振る女性もいる。
なかでも、「姫しゃまー!」と叫びながら大きく両手を振っているのっぽの女の子は、たぶんアイシャに呼びかけているのだろう。心当たりはないけれど、ついにわたしにもファンができたんだと満面の笑みを浮かべ、短槍のかわりに鞍に結んでいた例の日傘を持ち出して振り返す。
そちら方向の観衆からはワーとかギャーとかあまり美しくない喝采が沸き起こり、女の子は大泣きして失神した。大丈夫かな、のっぽちゃん。と心配にもなるが、笑いと冷やかし混じりのこのパレード、成功して凱旋ともなればどんなに華やかだろう、むかし夢に見たあの風景にも劣らないはずだ。
“ちやほやされたい”。人生の目的のひとつの雛形が眼前に現れ、俄然やる気が出てきたアイシャ。自然と、声援に応えるアクションにも力が入る。
やがて、一行は大通りに出る。道案内にはゲンコツちゃんの従者役の、道場の弟子衆がカーレンの指示通りに先導していて、いくつかの商店に立ち寄りながら進む。
以前にも言っていたように、それらの商店で食料品などの物資を受け取っているのだ。
約束はきちんとできているが、国の意向には背く行動であるため、カタチとして例のやくざ者と同じように脅して奪うような小芝居を入れる。これによって商店側が、国から義勇軍に加担した責任を問われたときに「脅されて仕方なく」と言い訳できる。と、カーレンは言った。
本当かいな、と疑い目線のアイシャだが、こうやって“寄進”を受けていると、物見高い観衆も商店に負けじと金品を投資したくなるらしい。そうして集まる額もなかなか大したものになっていく。
「見たこともない量のお金だ!」「砂糖は、砂糖はあるの!?」「きゃあ、干し果物!」
いつの間にか馬を降りて物品を眺めるアイシャとゲンコツが肩を組んで頬を寄せて飛び跳ねながら大興奮している様子も、王都っ子の負けず嫌い魂に火をつけたようで、荷駄いっぱいにうず高く四方山のものが積もっていく。そろそろ困ってきたところで、豪気にも飛び入りで荷馬車の寄進があり、寄進主のファルロフ商会は大いに名を上げることができたようだ。
*
やがて、予定の品を受け取りきったところでふたたび馬上の人になったハーフェイズが群衆に向かって大音声を張り上げる。
「然れば、我々十字軍は戦地へ旅立つ。
それに先立ち、昨今王都を騒がし、昨日、姫聖女さまのお馬・アシュブ号を盗まんとたくらんだ、奸賊ザンドの根城を襲い、これをもって血祭りとする! いざ!」
えっ、と物騒な単語を聞いて戸惑うアイシャだが、応! と皆は走り出す。アイシャもアシュブ号に乗せられ、馬を引いていたオミードがその後ろにひらりと飛び乗り、後を追って走る。
そういえば、悪人退治の仕上げをするみたいなことを言ってたなぁ。アシュブちゃんを盗まれかけた時には全身が震えるほど腹が立ったものだけれど、その後色々あったから、もう忘れてた。わたしが薄情で、心的な何かが足りないとか、あるんだろうか。
懊悩するアイシャを乗せて、群衆を跳ね飛ばしかねない勢いで一行は走る。
血祭り。
語感は最悪だが、神に生贄を捧げる文化では全くありふれた祭事に過ぎない。
神に捧げるという美名のもとで行われる蛮行。皆でオカルトをキメて盛り上がって団結しようゼ、という意味では昨夜の女の子の占い談義と内実は変わらない。少女のアレだって、その共同体の中では生死を賭けている。
だが、いまだ群れることが得意でないアイシャには、この熱狂に心の芯から参加しきれない気持ちの部分がある。その上に血祭りと聞いて、指先から体の奥底まで冷えていく思いがする。
「姫聖女さま、ご心配ですか?」
アイシャの鞍の後ろに飛び乗って草号を駆けさせつつ、オミードが耳元でささやく。
「これだけ騒げば、敵は逃げ散っておりますよ。無人のアジトを更地にしてやる作業で新兵への訓練をするのが目的です。我らの門出を汚したりはしませんよ。
…こんなにお手を冷たくするほどご心配なさることはありません。」
やだ、イケボイス。渋い美声を浴びながら手綱を握る冷えた小さな手を倍ほどもある大きな手で包まれ、さすがの朴念仁アイシャも鼓動が早くなるのを感じざるを得ない。頼れる男の手練手管、これほどのものかとも思いつつ、しかし彼はまだ数回チラッと会っただけの、ほぼ他人だ。この密着度は恐怖感のほうが強く出る。
半泣きで身をすくめているうちに、馬の歩みが止まった。目的地に着いたらしい。
屋敷の門をアーラーマンの大棍棒が軽々と吹き飛ばす。
「突貫! 男は縛り上げろ、まだ殺すな!」
ハーフェイズの咆哮とともに、結構なお屋敷に男たちがなだれ込んでいく。ゲンコツちゃんも元気よく先頭きって駆けていく。おお、戦乙女の面目躍如だね、と頼もしく見守るアイシャは、今回は馬上で外から見学だ。ゲンコツちゃんには暴れてもらわないと目的が達成されないし、男たちに舐められてはいけない、本能に刻まれた衝動モードを体得しているのだろう。
そういえば、ヤクタたち後続もまだついてきているはずだけれど。伸び上がって後方を見ると、群衆をかき分けながら追いついてきたところだ。そのまま屋敷の庭に入り込んで、そのスペースを活かして寄進の物資の仕分け作業を始める、なるほど、無駄がない。
ヤクタも屋敷で略奪に参加したいだろう(一方的な偏見)に、カーレンちゃんの指揮を義勇兵に指示して回るのにてんてこ舞いだ。あれは、見つかったらわたしも仕事させられるに違いない。こっそり隠れようとしたところで、メガネの義勇兵さんが駆け寄ってきた。
「姫聖女さま、ママがお呼びです。」
たしかにカーレンちゃんをママと呼んで従えと言ったのはわたしだけれども、失敗だったわ。キモチワルイ。一発で抗う気力を刈り取られ、馬をオミードに預け、しおしおとカーレンのもとに出頭する。
「よく来たわぁ、アイちゃん。馬の背中を温めるだけがあなたの仕事じゃないのよ。」
もの言いにいつもの徳がない。
ああ、この飛び入りで増えた山を仕分けして記録して、何人の何日分の食料になるか計算したり、剣とか弓矢は配分を考えたりしないといけないのね。血祭りやってる間に。うわぁ。
頭を抱えて、時が過ぎる間に他人が仕事を終わらせてくれるのを待つことを許す優しさを、徳がない状態のカーレンはもっていない。
「メガネくん班が数えてるのを記録して合計を計算するの。お願いね。」