110 営業スマイル
ラーミン伯爵さんがにこやかに話し続けている。ひとりで、ハーさんに向かって喋り続けている。わたしとゲンコツちゃんは置いてけぼりだけれど、ハーさんとも会話という行為は成立していないように見える。
彼がハーさんの大ファンだという話は間違いないようで、ひたすら、あの時のハーフェイズはいかに素晴らしかったか、どれだけ神々しかったかばかり口にして休むことがない。
そりゃあ、遠くに見えただけでパジャマ姿にコート一枚羽織って走ってくるはずだよ、と納得できるだけの熱心さだ。けれど、肝心の話をできるのかしら、この人。
屋敷は、たしかに壮麗だった。過去形なのは、明らかに掃除の手が足りていないことがわかるから。仕事を干されてるってのは確かなようで、援助してもらうのはちょっと心苦しいぞ。この感じなら、屋敷を売ってでもお金を作ってくれそうだけれども。
伯爵さんのお話は、ハーさんの活躍ぶりに始まって、その時の剣、服装、鎧、髪型、ひとつひとつのセリフ、その時ごとの表情を身振り手振り顔ぶりで説明してくれる。ハーさんは慣れているのか、開始1分でうんざりして窓の外を見ているけれども、その姿さえ伯爵にとっては苦み走ったいい男スタイルのファンサービスに写っているようだ。
わたしも、ぜんぜん興味ない。でも、スマイルでやり過ごすのが今回のお仕事。テーマとして、カーレンちゃんから「そういう、お小遣いをねだる孫スマイルじゃなくて、聖女の微笑み。オトナの、荘重な、優雅な、落ち着いた笑顔を練習していらっしゃいな」と指示されている。要するにお澄ましスマイルだよね。できなくてやってないわけじゃないんだよ。見ておおきなさい?
わたしたちはそんな感じだけれども、ゲンコツちゃんはハーさんファン。ラーミン・シーリンのハーさんフリークス仲間だ。ひとり熱心に聞き入って、やがていいタイミングの相槌、マニア心をくすぐる質問、有名らしいセリフを一緒になって叫ぶなどして、素晴らしい接待を開始。すっかり親友になったみたい。アレ、これ、いらないのはわたしか?
長引きそうだった話は、ラーミンさんの3ループ目の「ハァーフェイズ“地獄剣”の戦い!」の解説中、必殺の跳躍回転斬を実践しようとして机の角に膝をぶつけ、一時会話不能になったところで中断させる。ハーさんがいつもより大げさなアクションで、
「そうそう、今日こちらに罷り越したのは、お願いがありましてな! 伯爵は、昨今の騒動などお聞き及びあるか!」
詰め寄る。こうしてみると、やっぱり迫力があるな、このひと。
伯爵さんも、いま目が覚めたような表情で、
「それよ! サルーマンの小僧、言うに事欠いて“天剣”を逮捕だの、なんだの……やや、とするとそちらの女子衆は、次期大聖女様と、お告げの神の子…?」
最初に言ってますよ。他人の話も聞いてほしいものだわ。まあ、わかってもらってるなら話は早い。義勇軍のために資金を、金30枚ほど都合してほしい。借りるんじゃないよ。もらうんだよ。と、ハーさんが格好いい言葉で説明してくれる。
「そういうことなら、30と言わず100枚、用意しましょう。ところでひとつ、お願いがあるのですが!
いえ、大したことではございません、ハァーフェイズ殿!と、大聖女様と、私の3人並んだ肖像画をですな、侍女頭のアーラ、これがなかなかの達者な描き手ですので、これに描かせてほしい! それにあたってせめて下描きの間、絵のモデルになっていただきたく!」
ハーさんと目を見合わせる。おぉ、すごい眉間のシワ。とても嫌そう。わたしは、必然性があれば脱いでもいいですけれど、ちょっとこれは必然じゃないですね。人選に漏れたゲンコツちゃんは、ホッとしたような寂しそうなような顔。
でも、お金は要る。モデル代としてはとっても美味しい話だと思う。本当にそんなお金を出せるようなら、ちょっとの間だけ協力してあげようか。
渋るハーさんの手を引いてアトリエに移動。今日はスケッチだけザッと済ませて、本番は後からわたしたち抜きでじっくり描いてくれるらしい。うん、何日もモデルやらなきゃだったら、さすがに断る。
わたしが真ん中で高い椅子に座って、後ろの左右にハーさんと伯爵。なんだか変な家族の肖像みたい。それは別として、絵のモデルになってる気分は悪くない。動かないでといわれるのも、武神流の技で微動だにせず動きを止めていられるから楽。そうだ、絵画の職業モデルという将来はどうだろう。
「まァた、始まった。」
頭の中のヤクタが冷やかしてくるけれど、いいじゃないの。優雅な仕事だし、わたしが作品になって残るのが良いね。ハーさんはどう思う?
「は? そうですな…師の武技は本格派ゆえ、素人衆にはわかりにくいかと…」
アクションモデルの話はしてないよ。確かに、跳躍回転斬とかしないけれどさ。おや、ラーミンさん、なに?
「そういう画家のモデルは大抵、愛人契約込みの専属か、複数のパトロンを浮き名を流しながら渡り歩くアレな、失敬、そういうケースが多くてですな、大聖女様には……」
えぇー。コラ、頭の中のヤクタ笑うな。悪いのはわたしじゃなく世の中だ。
いや、それならわたしが画家になるのもアリだぞ。なにせ、お絵描き上手のアイシャちゃんですからね。でもこれはまだヒミツだ。一日に何度も否定されると辛いし。急ぎの話でもないからね。まずはヤクタに似顔絵でも描いてあげよう!
「このような素描をもとに、進めさせて頂いてもよろしいでしょうか。」
アーラ侍女頭画伯の御作、拝見しましょう。うゎ、オーラがすごい。上手な人の絵は、ラフでも描線が輝いているね。
「いいと思います。もうすこしおっぱいを大きくして、脚はこの辺まで長く。できれば髪の色は明るめにお願いします。」
「正気ですか、師よ。胸が大きいと剣技の邪魔でしょう。」
「そうじゃないのですよ、弟子よ。」
「押忍、それが許されるならジブンも、ハー様の隣に適当な美女を描いて【シーリン】と名札をお願いしまッス!」
画伯には、ちょっと申し訳ない。けれど、有意義な訪問になった。
*
支援金は箱入りの現金で、即金で受け取った。
「ハァーフェイズ殿!の雲霓を望む、その日のためにコツコツ準備してきた一部です! 我が領内にはもっともっと用意してありますが、どうやらいまだ“その時”には至っておらねぬご様子。“その時”到らば、「ラーミン、来よ」とお声がけくだされ!」
伯爵様の言付けは、「あれ、反乱蜂起の計画ッスよね」とゲンコツちゃんが震えながら耳打ちしてくれた類のものらしい。やばい。ヤバい金だ。わたしは触りたくない。馬にも載せたくない。重たいんだから、もちろんハーさんの荷物だ。
とにかく仕事は完遂したので表に出ると、カーレンの方のシーリンちゃんがご立腹で待ちくたびれていた。午後からの次の目的地は彼女の出番だからね。
正午はだいぶん過ぎちゃっているけれど、目標額の3倍はもらえたんだから許してよ。じゃあ、行きましょう。