109 アシュブ号
今日は、ギルドでは志望してきた義勇軍メンバーを100人に絞って連絡する作業をしてくれているらしい。
その間、ハーさんとゲンコツちゃんコンビと一緒に、スポンサー候補のラーミン伯爵さんにご挨拶に行きます。ラーミンさん。
ラーミン伯は若き日、ハーさんに生命を救われて以来の熱烈なファンで、恩を返せる日を虎視眈々と狙ってる(自称)人物らしい。それならば返してもらおうと、朝から堂々と貴族街の大通りの真ん中を歩いていく。
スポンサーへのアピールなので、わたしは王宮の聖女様服カスタム ~スカートの裂けたところを金糸の刺繍で縁取りして元からこういうデザインなのよっていう主張~ を着て、サウレ流オミード氏から(貸して)もらったお馬さんに乗っている。すごい、偉くなった気分。
意外にも、武神流には乗馬スキルがない。実践していないので曖昧だけれど、戦車道の嗜みはある感じ。戦争用の馬車で長物の武器や弓矢を使う技術。800年前の記憶だからね。まだ乗馬の習慣がなかったのかもね。戦車なんて今じゃあ、男の子に歴史の勉強させようと興味を引くためだけのお話なのに。
だからわたしはお馬さんにまたがって走らせることはできない。第一、スリットはあってもスカート履きだ。足が丸出しになっちゃう。
ところでわたしはズボンは履かない。ヤクタが基本パンツスタイルなので、同じシルエットで隣に並ぶ気にどうしてもなれないだけなんだけれども。身長差が40センチなのに足の長さの差が30センチって、どうなの?
そういうわけで、わたしは横座りで馬の鞍に腰掛けて、ハーさんが手綱を取って、ゲンコツちゃんがハーさんと腕を組んで、道をポクポクと歩いている。
お馬さんは草ちゃん、8歳の騸馬? 去勢したオス馬。去勢? 大人しくさせる手術。へぇ。で、白いキレイな馬で、軍馬の訓練もしたけれど大人しすぎて役に立たないから安く売られたんだって。
わざわざ手術までしておいて、ヒドいと思うわ。わたしとは、目が合ったときに波長も合う感じがしたから、お互い怖くない。よろしくね。
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お尋ね者ハーさんと、呼び出しをブッチしているわたし、ウワサの主のゲンコツちゃんが連れ立っていると、とても人目を引く。あ、子供とママさんが手を振ってくれてる。こういう笑顔を向けてもらえるのは久し振りだ、うれしいものだね。でも、わたしたちを何だと思ってるんだろう。
やがて、なかなかの豪邸に門前に着いた。細かく震えるゲンコツちゃんの緊張が伝わる。
ラーミン伯は、もともと先々代からの宰相派だったけれどオーク族の侵攻以来、宰相とモメて派閥を抜けて、今は無党派で仕事を干されている。だから暇してるはずなのでアポ無しで行っても大丈夫。もし不在で、執事あたりが舐めたことを抜かしたら屋敷を平地にしてやろう。あの男ならそれを喜ぶはずだ。
ハーさんがいつもの紳士面を崩さないまま、そんな過激なことを言う。この人は普段常識的な顔をしていて、ふっと暴の気配があふれ出る。あぶないタイプだ。見知らぬ伯のことを思えば、なるべく門前までご本人が迎えに出てきてほしい。
まるでゲンコツちゃんの緊張が伝染したようにわたしまで息を詰めていると、勢いよくお屋敷の玄関が開いて、走り出てくる一人の男。太り肉の、寝間着の上によそ行きの季節外れのコートを羽織った中年紳士だ。裸足だ。
あれっ、とおもっていると、あとから侍女さんらしき中年女性が追いかけてきて、紳士はあっさりと捕獲され、靴を履かされている。愉快な人たちらしい。知らないけれど。
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「いやぁ!お恥ずかしい!近頃は来客もなく!油断しておりましてな!いやいや!ハァーフェイズ殿!少々散らかっておりますが!屋敷にお上がりくだされ!お連れのお嬢さん方も!さぁ!さあ!」
うるさい。面食らっていると、いつの間にかひっそりとしたお爺さんが斜め後ろに佇んでいる。武神流でも全然気づかなかった。ギョッとして落馬しそうになったけれど、草ちゃんがうまく御してくれたから問題なかったので、やっぱりこのお馬、優秀だと思う。自分から屈んで、降りられるようにしてくれるし。
お爺さんはこの屋敷の馬丁らしい。わたしには何もわからないけれど、ハーさんは古馴染みの気安さで草ちゃんをご老人に預けてしまう。心配だわ、怖くない? 草ちゃん。ひとりで引き離されて心細くないかしら?
大人しく連れられていく草ちゃんの後ろ姿に、袖をもみ絞りながら視線を向けていたら急に、草ちゃんが馬丁の手を振りほどいて駆け戻ってきて、頬ずりしてくれる。あぁ、賢いね、優しいねお前は。わたしがずっと守ってあげるよ。
「この馬丁の達人が言うには、師があんまり寂しそうだから、逆に師のほうが売られていくんだろうと悲しくなって戻ってきたらしいですぞ。別れが多かった馬には、ままあることのようですな。」
老人がモゴモゴ言うのをハーさんが苦笑混じりに通訳してくれる。まぁ! 草ちゃん、あんたは主従がわかってなかったの? このダメ馬! …じゃなくて、心配してくれたんだね。でもわたしが主人だからね。あなたがわたしを売るんじゃないから心配することないんだよ。安心してお爺さんに預けられなさい。
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お馬さん関係のあんまり必要なかったやり取りを経て、伯爵邸の中に通される。が、玄関から掃除が行き届いていなくて、広くて装飾品は多いけれども薄汚れている。大丈夫? スポンサーどころか、お金貸してって言われない?
「コイツは元々こうです。が、そうですな、どうでしょう。とりあえず、師は媚びず、堂々と、鷹揚な笑顔でお願いします。シーちゃんは、なるべく普通に。」
「うん。」
「ハファハハファハ、ハイ。」
ゲンコツちゃんはまだ震えているけれど、わたしは上手くやれる、うん。王宮では、相手の仕掛けに妙な調子でがっちりハマっちゃっただけだ。
今回は緊張しそうな相手じゃないからね。笑顔で。市場のおっちゃんに向ける笑顔で。ニコーっ。