97 女将軍
成功に油断して、気配を探り忘れていた所に大声を出されて、ビクッとしてしまったアイシャ。恐る恐る振り返って声の主をみると、やはりベフラン。が、誰やらの小脇に抱えられている。
目線を横にやると、立派な甲冑のお腹が見える。そのまま上を見る。
背は高い。大体、ヤクタを見上げる首の角度だ。その人物の顔を見る。女性だ、おそらく。ゴツい顔に、軽く化粧を施している。眉を整え、唇に紅を挿し、頬の傷跡に金泥を塗っている。派手だ! 歳はおそらく40前後、とびきりガッチリした体格で、成人男性ひとりを小脇に抱えて走ってきたという状況もごく自然なことと考えていいだろう。
何も口をきく前から気圧されている間に、そのガタイの主が見た目通りの野太い大声を発した。
「やァ。話に聞いた、“天剣”を熨したオーク退治の大聖女さまってのは、貴様かィ。俺ァ、ファルナーズっていう。この国では大将軍をやってる。サルーマン坊やとは、さっきまで会ってたらしいな。それで、俺に挨拶も無しとは、結構なもんじゃアねぇか。オぉ?」
「はじめまして。えーっと、アイシャです。貴様って呼ばれたの、はじめてです。…べ太郎、説明!」
「何様のつもりだ、動くなっていっただろう。…この方は、皇太子殿下支持の武断組、将軍派のトップ。ファルナーズ大将軍閣下だ。15の頃よりあらゆる戦場を駆け回り、以来さんじゅ、ギョプッ
カエルが潰れたような音が出て、べフランが放り出される。
噂の将軍派トップさんが女性だったとは知らなかった。妙なカタチで床に転がるベフランを見やって、その痙攣するさまを見て身をすくめながら視線を上げると、そのファルナーズ大将軍とバッチリ目が合う。
大将軍は、凄んでみせたのを完全スルーされたことがまるで嬉しかったように目尻に笑いじわを寄せ、「よろしく」と右手を差し出した。あ、握手ですね、と、右手で握り返す。瞬間。
「痛ったぁ!」
か細い叫びと、骨が鳴る音。
握りつぶす気か、と思うほどの気迫が込められたファルナーズの握手に、驚いたアイシャが左手を添えて、将軍の手をひねって手首を外し、揺さぶって肘を外し、押して肩を外した。
握手を振り切って一歩跳び下がって、痛い、痛いと涙を流しながら右手をかばうアイシャ。大将軍は、脱臼で走る激痛に眉をしかめつつ、しかし嬉しそうな顔で話しかける。
「痛くしてゴメンな、俺、でっかいから力加減間違えちまったんだ、仲良くしよう。こらベフラン這いつくばってないで起きろォ、骨を嵌めるの手伝え。」
*
「騒がせたなァ。イヤなに、朝議でな、小僧どもが新しい大聖女だ、オーク退治のサー坊の嫁だ、って騒いでやがるんだが、俺ァとんと◯んぼ桟敷だ。なんもわからねェから抜け出て、コイツに案内させて来た。さっきので、貴様が大したタマだってのは、わかった。
この国の武官代表として、オークどもに対して不甲斐ないことは、謝る。すまねェ。
言い訳になるがな、建国王より前から、この地への外敵は西からばかりでな。東の向こうは瓦礫と岩山ばかりの、水場ごとに小国群がポツポツ、程度だったんだ。それで、軍閥は国の西側、経済閥が真ん中から東側で影響力が強いのさ。
だもんで、はるか東から来たオーク軍には、宰相はじめのオンナ男どもが「なんとかするからぁ」って間に、全部手遅れよ。実際、防ぎようもねぇから、静脈川と動脈河に防衛ラインを敷いて、良い条件で降参しようってのがヤツラの肚だ。」
ポクリ、ゴポリと関節をはめ直しながら、将軍が語る。
涙目ながら敵を見る目を向けていたアイシャも、裏のない感じで明るく話しかけられて、警戒を解き始めたところでの強引な施術を見て、うわっ、と声が漏れる。自分が外した骨ながら、怖怖と目を覆って指の隙間から様子をうかがっても、相手は淡々とした様子だ。
いいの? 政治の裏側の話まで言って。面食らうアイシャと、その視線を向けられて青い顔で首を振るベフランを気にせず、大将軍は話を続ける。
「だからさ、次、“天剣”をつついて何をやらかすんだい? 協力するぜ。場合によっちゃあ、サディク派に組みしてもいい。」
「これは、きついお戯れを……」
べフランが死人のような顔色で切れ切れにつぶやくが、聞く者はいない。
これは、どう答えたものだろう。少しの間だけ悩むが、考えてみたらべ太郎にはほぼバラしていたんだ。隠してもしょうがない。アッちゃん王太子には隠したけれど、そこはそれ、話の流れと立場の違いだ。
アイシャは、ハーフェイズの反応まで含め、全部話した。ファルナーズ大将軍は始め呆気にとられ、次いで、笑いをこらえて身を捩っている。べフランは、地に突っ伏しているので顔が見えない。
「気に入ったぜ! その計画、俺も乗った! 協力させてくれ。」
「えぇ、でも、あんまり大事にする気はないし。」
「イヤ、今の時点でも“国家◯◯罪”が30個ほど成立するぞ、それ。歴史に残る謀反だぜ。」
初耳である。迂闊極まりないことに今まで方方でベラベラ計画を口にしてきたが、誰もそんなこと言ってくれなかった。でも、聞かせたときの反応を思い返すと、みんな判っていたような気がする。えぇー、わたしのこと、どう思われてるんだろう。
軽い人間不信がアイシャの中に生まれた瞬間だが、未だ、大した問題ではない。
「うそっ! ……じゃあ、ご協力、お願いします。揉み消す係とか、お願いできますか。」
「じゃあ、って言い方があるか。それに揉み消せる問題じゃァねェなぁ。
…だが、法ってのは運用する人次第でもある。偉い人を味方につければ、なんとかなるさ。」
「偉い人、ですか? 王様?」
「うーん、我が敬愛捧げざるべからざる至上至尊の君におかれましては、ありゃあグズだからなァ。太子殿下が半分共犯であれば、口説いておきたいのは、王女殿下だな。若いが賢いし、陛下を上手く動かせる。もう会ってるか?」
「知らない。です。あ、ひょっとして、サッちゃんにお守りの懐剣をあげた妹姫ってひと?」