95 宮中武官
微妙にピリつく空気のなか、半笑いで向き合うアイシャとサルーマン宰相。
アイシャがここに来た目的をいっそうややこしくしているのが、自身の聖女問題だ。そもそも、武神本人から聖女に任命されたわけではない。今なら、武神に直接、事情を聞けるかもしれない。だが、いま聞けば次に話せるのはまた当分先になる。タイミングが大事だ。
「では、私が何か、貴女のお役に立てることは?」
「いや、特に何も? 今日は挨拶しに来られたんじゃなかったですか?」
「あぁ、そう……でしたね。
うむ、刺激的なお話を、ありがとうございました。この忙しい時期の、特に忙しい朝議の前に! 王太子殿下はなにを企んでおられるのやら……」
首を振りながら、足どりも重く宰相たち一団は去っていった。
何だったんだろう。アッちゃんと、いまの宰相さんは仲間のはずなんだけれど。仲間うちでも微妙な隙間があったりするのかな。残されたアイシャも首を傾げ、お茶の残りをすする。
物陰から、メイドさんがお茶のおかわりを持ってくるタイミングを伺っている気配が感じ取れる。お茶は美味しいしお菓子の追加もお願いしたくはあるが、あまりお茶ばかり飲むのもお花摘みが近くなるので望ましくない。
さて、どうしようか。考えをまとめるより先に立ち上がって、2人目の目的の人を探す。気配だけでも、あんなに目立つ人はなかなかいない。“天剣”ことハーフェイズ。ちょっと遠いけれど、見つけた。
うまいこと、彼と話して外に連れ出せたらなにはともあれミッション成功だ。
*
オークの陣で忍び歩いたときと同じように自分の気配を消して、庭園を過ぎて、廊下や内門を渡って、彼の気配が濃厚に漂う広場に出る。いわゆる“練兵場”。アイシャの普段の生活には馴染みがない場所で、その名を知ることもない、たくさんの兵士が一度に訓練するための広場。それが練兵場だ。
何をしているのかは知らないけれども、たぶん大事なことの練習をしているのだろう、と目星をつけたアイシャは、ハーフェイズが暇になるのを待とうと、全体が見渡せるところを選んで腰掛ける。
さて、いつ、どう声をかけようか。タイミングを見計らいながら朝訓練の風景を眺めているうちに、なんだか楽しくなってきた。
武神流は1対1が基本だが、すべて1対多数の状況のために考えられている。今までひたすら実戦の混乱を経験してきたが、秩序だった軍隊の動きは初めて見る。すると、特に考えずになぞっていた技の意味が理屈でわかって、ちょうどいい見学になっているのだ。
新鮮な経験が楽しくて、いつの間にか気配を消す技を忘れていたことを誰が責められようか。いや、誰でも責められるか?
*
訓練中の、ある若い兵士が最初に気づいた。今は誰もいないはずの、観覧スペースの貴賓席にひとり少女が座っている。
身なりは宮廷人のものではないし、遠くて顔立ちもわからないが、何故か目が惹かれる。つい、目が合ってしまうとにこやかに手を振られ、思わず手を振り返しかけて、慌てて訓練に意識を戻す。
それでも気になって、隣の同僚をつついて「あれ誰?」と聞いてみたりする頃にはそこかしこでざわめきが始まっている。手を振り返すようなお調子者には下士官から大目玉を食らうだろうが、最も激しく動揺したのは総責任者のハーフェイズだ。
“天剣”の二つ名をもつ、無双の呼び声も高い大男が血相を変えて、超人的な疾駆、跳躍を見せて少女に詰め寄る。アイシャも、すこし体を動かしたい気分だったので迎え討って、ビシ、バシ、グッ、グッ、と軽く戯れあって、ハイタッチ。とはならず、怒られてしまう。
「師よ。遊びに来られる予定など聞いておりませんよ。」
「別件のついでだよ。でも、お願いはあるんだ。ハーさん、ちょっと、お時間いいかな?」
先日のシーリン邸での稽古で「師」「ハーさん」で呼び合うようになったハーフェイズとアイシャ。それくらいに気心が知れてはいるが、まだまだ打ち解けたとはいい難い。
ハーフェイズたち武人にとって“師”という言葉には“命に関わるほどの無茶振りも、もちろん受け入れる”くらいの重みが含まれるのだが、アイシャには、もちろんそういう求道家のノリに関する知識がない。
この場合の最速正解ルートは「四の五の言わずについてこい」の一言以外は無言で無理やり連れ出すことだったが、それこそ、知らないよそんなこと、というものなのだ。
訓練場の方から好奇の目が注がれている。このあと、ハーさんが失踪したら余計な噂になるだろうな。ちょっと失敗したな。頭をポリポリ掻く小柄な少女に向かって、大貴族に対するよりも腰を低くした大男がいつになく慌てた様子で話しかけている。
「ああー、ゴホン。師よ。仰りたいことは大体わかります。ただ、ここで話すのはちょっと、どうかと思いますので場所を変えさせてください。」
「うん、お疲れさまです。どこなりと、案内してくださいな。」
兵士たちの不審がる目を背に受けながら、練兵場の上官控室に場を移し、話を始める。
あ、もうお茶は結構です。さっきから飲みすぎてお腹がタポタポだ。