94 宰相
「べフランめから逐一、ご活躍は聞き及んでおります。奇瑞の知らせには仰天しましたよ。こうなっては逮捕・拘禁もできなくなりました、おめでとうございます。」
宰相のサルーマンと名乗る男が、いくらか気に障る馴れ馴れしい調子でとんでもないことを話しかけてくる。
返事をする前に、この国の政治の派閥について聞いていたことを振り返る。
今のところ縁がないが、国王派、議会派があるとうっすら聞いた。議会というのはアイシャは知らないが、最近になって主戦論に傾いているらしい。国王派は和平派。だったらさっさと降参してしまえばいいのに。アイシャは軽く考えるが、和平も降参も内容は様々ある。
また、それらと別に王太子アスランも派閥を持っている。しかも、ひとつの派の中で2つに分かれている。穏健派の宰相と武断派の大将軍が、王太子応援団の主流を争っているらしい。大丈夫だろうか、アッちゃん。アイシャの疑いの目は厳しい。
第3王子サディクも、派が無いわけではないようだ。戦争に出掛けた連中、中心の将軍という人にはついに会わなかったが、他にもイルビースの領主がサディクの親類で後援したりしていると聞いた。こちらはもちろん武断派だ。
第1、第3の王子がいるのだから、考えてみれば第2の王子もいるのかな、聞いたことがないけれど。ほかに、サッちゃんが妹姫から、あの、わたしが失くした懐剣を渡されていたというからそのお姫様も、派閥とかあるんだろうか。
考え込む、という程でもないが、黙り込んだのを覗き込むサルーマンの視線に気づいたアイシャが慌ててとりあえず口を開く。
「えっと、別にわたし、超聖女でも大聖女でも無いんですけど。政治とか、派閥で、わたしが適当に喋ったら誰かの迷惑になるとか、そういうのあるんですかネ?」
「おお、素晴らしいお心! 聖性が溢れておりますな。しかしお気遣いなく。この国に生きるものは草木に至るまで超聖女様のためのものでない存在は無く、人々は皆、超聖女様のお心のままに動くと思し召せ。」
アイシャは、いま言われたわかりにくい言葉を数周、頭の中で繰り返して、その他の情報を加えて、確認する。
「つまり、超聖女になれ、拒否権はない。余計なことは言うな、黙ってろ。って、いうことかな?」
「ご明察。聡明な超聖女様を戴けることは幸いに存じます。」
なるほど、ベ太郎の親玉だ。陰険で面倒で、でも慇懃なぶん、タチが悪いぞ。そうとわかれば、逃げの一手だ。そもそも、わたしが彼に用事があるわけじゃあない。ハーフェイズの話を持ち出すのも、好意的な反応は期待できなさそうだ。
膝の上においた手を握りこんで、立ち去る言い訳を考える。トイレに行くとかでもいいかしら。でも、その前にひとつだけ言っておかないといけないことがある。
「べ太郎がなんて言いつけてるか知りませんけれど、わたし、戦争がしたいとか思ってないですからね?」
アイシャの立場として言いたいことはいくつもあるが、客観的に見れば、場当たり的で何をしでかすかわからない危険人物。そう見られても仕方がないことは、シーリンから“マルチエージェントなんて恥ずかしい肩書で言い繕わないと誰も納得しない気◯い”みたいに扱われたことで、身にしみている。
「そうなのですか? サディク殿下とは……」
「サッちゃんにはね……ちょっと困ってるんだ、本当はね…。」
何をどこまで喋っていいのか。高度な政治的判断は、どうせわかりっこない。考えてみれば、別に隠さなきゃいけないことはなにもない。
アイシャは、自分の主観に正直に、父のためにオーク兵にお帰り願うべく手を出したことを説明した。
宰相は、親指と人差指で唇をつまみながら、真面目な目で話を聞く。途中、側近が「そろそろ朝議のお時間です」と耳打ちするも、「待たせておけ!」と一喝する姿は、さすがの貫禄を感じさせるものがある。
「……結局、お父ちゃんはそれとぜんぜん別に、だめになっちゃって。そういう意味ではわたしのやったことは丸々失敗で、これ以上、何かやらなきゃいけないことって本当は無いんだけれど。シーリンちゃんを神様関係の妙なことに巻き込んじゃったから、それだけはなんとかしなきゃ、と思ってるわけです。」
「おお、お泣きになるなら我が胸をお貸ししましょう! ご存分に!」
「え、いや、だいじょうぶです。」
実際、アイシャとしては現在進行中の策動は、自分にとって絶対譲れないものを賭けたものではなく、少々おかしな具合だが、友人に対しての純然たる善意でしかない。金銭や地位、報酬の類をまるで気にしないまま、こんなところまでやって来た。
対している常人には、「途中がどうなっても最終的には力まかせでなんとでもなる」という発想が持てないため、この少女の気持ちがわからない。だが、話の内容から覗えることがある。
「なるほど、無垢な善性を動機としておられること、承知しました。ほう、ほう。そうならば確かに、戦線の拡大をお望みではないのでしょう。が、私には面識が持てませなんだが、そのメレイ司令官の気持ちは少しわかりますね。」
スカウトの最中に、一方的に話を打ち切って襲ってきたオークの司令官。アイシャとしては好感をもっていただけに腑に落ちないこと甚だしく、3日に一度はふと思い出してワーっと叫びたくなる、嫌な思い出だ。説明してもらえるなら願ってもない、と話をうながす。
「金に目がくらむ、正義に燃えると言った人物なら、良くも悪くも利用できます。しかし、ただの“良い子”に、どうして運命を託せましょうか。そんな子が、特別な運命と特別な力をもって、何をしでかすかわからないときたら、これはもう、敵であれ味方であれ、いなくなってもらうしかない。政治家なら、誰もがそう考えます。
私だって、気ままに歩く制御不能・無敵の戦略兵器なんて、たとえ味方でも存在してもらっては困ります。」
「サッちゃんも、似たようなこと言ってたけど……。でも、黙って、じっとしている気はないよ。大人しい良いお嫁さんになったらネズ…身の破滅だって予言されちゃってるもの。武神様からも、思うように、心のままに生きろって言われてるしね。」