【短編】猫かカレー選択次第でマーマレードか屋上か
久々の投稿です。
「はぁ~~~~~~~~~~。もう死にたい」
つい、僕はマンションのベランダで愚痴をこぼしてしまった。普通なら風にかき消される単なる愚痴。でも、今日は違った。
「死なれると困るんですけど……」
返事が帰ってきたのだ。
「え⁈ あ! す、すいません! 死にません。ちょっと落ち込んでただけで……」
まさか隣のベランダに人がいるとは思ってもみなかった。僕はびっくりして心臓がバクバクいってる。
そう言えば、今朝の情報番組で今日は100年に一度の月食が見れるとか何とか……。まあ、あいにくの曇り空だから月食なんて見れないだろうけど。
うちのベランダとお隣のベランダは仕切り板で隔てられていた。「非常の際は、ここを破って隣戸へ避難してください。」と書かれた板。こいつの正しい名前は何だろう。
「まあ、私も本気で死ぬとは思ってなかったけど……」
良い声の女の人だ。少し落ち着いた感じの声。年上かな?
「あの……僕、先週ここに引っ越してきて……」
仕切り板ごしに答えた。
「ええ、知ってるわ。トラックが停まって荷物を運びこんでいたもの」
一応、母さんと一緒に挨拶に行ったけどお隣だけは留守だったんだ。
「騒がしかったらすいません」
「いいえ、気にしなくていいわ。それより、なんで死にたいなんて言ったの?」
「その……転校して、今のクラスに馴染めなくて……」
「そりゃ、6月に転校してきたら そうなるでしょうね」
そうだ。高3の6月に転校してきたら、人間関係は出来上がってるし、みんな受験だから周囲に目を向ける余裕なんてない……。
「そうなんです。誰も一言も話しかけてくれなくて……みごとにボッチです」
「自分から話しかけたらどうなの?」
「いや~、そんなのできないですよ~~~」
言っててガックリ来た。そうなのだ。僕は話しかけるのが苦手だ。
「なんで? 話しかけたらいいじゃない。背も高いし体格もしっかりしてるし」
見えるの⁉ ベランダには仕切り板があって隣は見えないのに。このお姉さんには透視能力でもあるのか⁉
「仕切り板ごしなのに分かるんですか?」
「そうね……声の発せられる位置とか、声の感じから……ね。私は占い師なの。だから、人の機微に鋭いのかもね」
占い師すげえ。声だけで背が高いとか、体格まで分かるなんて……。
たしかに、転校する前まで僕は陸上をやっていた。身体はそれなりにできあがっていたかも。まあ、今は完全にやめてるけど。
僕もお姉さんの姿を見たいと思ったけど、女性の部屋を覗き込むのは変態的だし、何よりここは地上46階なのだ。いわゆるタワーマンション。
市内ではかなり高い方で、1階あたり3メートルと考えても140メートルの高さだ。高所恐怖症の僕にとって下を覗くなんてとてもとても……。仕切り板の横から覗くというのも絶対無理だ。
「なんでこんな時期に転校してきたの?」
「その……実は……両親が離婚して……慰謝料だか手切れ金だかで母がこのマンションをぶんどったらしくて。うちは貧乏になったので、ここしか住むとこが無くて……」
「それは矛盾しているんじゃないかしら。ここは市内でもトップクラスに高い所よ? 標高だけじゃなくて価格的にも」
「うちは……父が会社をやっていて、ここ数年羽振りが良かったんです。なんかタイミングが良かったのか、会社が急成長して……」
「今時そんな話もあるのね」
「それで、色々誘惑もあったと思うんですけど、愛人を作って出て行ったみたいな……」
「まあ……それはそれは」
「数か月にわたる冷戦状態を経て、この5月についに……」
「離婚した、と」
「はい。それで養育費とかは払ってもらえなさそうなので、弁護士経由でこのマンションをぶんどったらしくて」
「お父さんよくマンションなんて買ってたわね」
「新しい女と住むつもりだったみたいで、僕たちに内緒で買ってたらしくて」
「すごい話ね。じゃあ、ここを売って別の安いところに住んだ方が良かったんじゃないの?」
「……」
「……思いつかなかったのね。あなたも、お母さんも」
「……」
恥ずかしい。全く思いつかなかった。わざわざ引っ越してきた僕らって……。
「それはそうと、そんな話題があるならそれをクラスメイトに話したらいいじゃない」
「それは……」
僕は言葉に詰まった。
「恥ずかしいの?」
「はい、両親が離婚したのって……」
「……」
「あ、違うんです! 片親が悪いとかじゃなくて、うちはずっと両親共にいたから……」
「でも、それは『自分はそいつらとは違う』って思ってるってことでしょ?」
「あ……」
言われて初めて気がついた。突き詰めるとそう言うことになる。
「うちも片親みたいなものだけど、もう慣れたわ。親の事は子供にはどうにもできなかったし。慣れるしかないわね」
「そう……ですね。僕、片親の人を無意識に一段下げて考えてたんですね……すいません。そんなつもりは全然なくて……今じゃ僕がその片親の子供になってるし……」
「別にお父さんは亡くなった訳じゃないんでしょ? 一緒には住んでないかもしれないけど、『お父さん』でいいんじゃないの? まあ、好きか嫌いかは別として、ね」
「……はい。ありがとうございます」
ここで僕は気づいた。お姉さんに名乗ってないことを。引っ越しの時に挨拶には言ったけど、留守だったし。
「あ、僕 柳町……じゃなかった、住吉桧七太って言います」
「普通 自分の苗字間違える?」
「親の離婚で苗字が変わったのに まだ慣れなくて……」
「ああ、そう言うことね。偽名を名乗られたかと思ったわ。よろしくね。住吉桧七太くん」
そう言うと窓が開く音がしてお姉さんは部屋に入ってしまったようだ。
あ、しまった。お姉さんの名前を聞き忘れた。
◇
翌日、僕 柳町……じゃなかった、また間違えた。住吉桧七太は学校で一人で過ごす。
「住吉」は母の旧姓。ずっと「柳町」だったので苗字と名前の語感に違和感がある。「やなぎまち」は5音、「すみよし」は4音。1音減って変な感じだ。
初めて僕の名前を聞く人は違和感がないのだろうか。僕からしたら17年間名乗ってきた名前だ。急に変わってしまって違和感しかない。
女の人が結婚して名前が変わる時って こんな気分なんだろうか。
僕は「住吉」をまだ口でも心でも覚えていないようだった。名乗る時や名前を書く時も、一瞬考えてから書くようにしている。
転校初日はドキドキだった。みんなの前で自己紹介をして、ドラマやマンガみたいに「自己紹介イベント」をこなした。
席についたら近くの席の誰かが小さな声で「よろしく」とか言ってくれると思っていたけど、現実は誰からも話しかけられなかった。
僕は少しだけ人見知りだから、自分から話しかけるのはちょっと苦手だ。話しかけてもらえばある程度 普通に話せるんだけど……。
この日は、10分休憩の時も昼休みも みんなこっちをチラチラ見ていたのは気づいた。少し離れたところでコソコソ話されて話題になっているのは気づいていた。
でも、誰も話しかけてこなかった!
そして、1日過ぎ、2日過ぎ、それが普通になり1週間過ぎてしまったのだ。
考えてみれば、教室内の人間関係は出来上がっていた。
もしかしたら、この4月にクラス替えがあったのではなく、1年とか2年からずっと同じクラスで既に人間関係は出来上がっていたのかもしれない。
出来上がった人間関係の中に入り込むのはすごく難しい。
このクラスに僕の入り込む隙間などなかった。もっとも隙間があっても自分からは入って行けないんだけど。
転校前の学校で陸上部に入った時は、クラスの人が一緒に入ってくれたから友達もできたし、先輩との関係もうまく築くことができた。
でも、今は一人だ。
*
1週間かけて観察した成果によると、このクラスにはいくつかのグループが存在する。
一番勢力があるのは、女子の七隈さんのグループ。
彼女はギャルっぽい見た目で髪は栗色でロング。毛先に行くほどウェーブしてる感じ。彼女は人気者らしく、いつも8人くらいでつるんでいて、多い時には15人くらいが集まっている。
彼女のグループ内でもヒエラルキーはあるみたいで、彼女を含んだ三人くらいはいつも教室内で大きな声で話している。典型的なギャルの集団って感じかな。
このグループのすごいところは、男子も含まれていること。人数的に考えてもクラスの一大勢力だと思う。
グループ内の男子で目立つのは茶山くんだろうか。
髪を少し染めていて茶髪という感じ。七隈さんと同じく声大きめで賑やかな人だ。明らかに僕とは違う人種。
身体は鍛えられている感じでがっしりした印象。「ザ・男」って感じ。ボディビルダの様に筋肉隆々というよりは細マッチョという感じでしなやかな筋肉の付き方。
七隈さんは茶山くんと話すときだけボディタッチが多いので、多分七隈さんが茶山くんのことを好きなのか、二人は付き合ってる感じなのかもしれない。
何も知らない僕から見ても、茶山くんを見る時の七隈さんの目はハートになっているように感じるし。
他には男子数人の小さなグループがいくつかあって、その他はボッチ勢と言ったところかな。
でも、そのボッチの一人の中にいるのが女子の六本松さん。彼女はいつも一人 席に静かに座っている。成績は学年で1番らしい。家もお金持ちだとのこと。
彼女の特徴はむしろその見た目の方と言った方がいいだろう。黒髪の背中まであるストレートロングヘア。物静かな目で「かわいい」というよりは「美人」と表現した方が正確だろう。
席についている時は授業中以外ほとんど文庫本を読んでいるみたい。孤高の美女という感じ。彼女には誰も話しかけない。同じ教室なのに、彼女の周りだけ見えない壁があるみたいだった。
彼女は僕の席の隣だというのに、僕も話しかけることができない。そんな空気なのだ。
これがこのクラスの落ち着いた形なんだろう。
女王様的な七隈さんを中心に、取り巻き数人がいて、その取り巻きの中には彼氏である茶山くんがいる。
その一大グループに対抗するような大きなグループは無くて、あえて言うなら六本松さんが一人で対抗馬的な。
そして、六本松さんと七隈さんは仲が悪いのか、二人は全く話さない。七隈さんであっても六本松さんの透明な壁は超えられないみたいだ。
僕はその教室の中でボッチ勢の一人。誰からも話しかけられない本当のボッチ。今日も一言も話さずに教室を後にした。
◇
昨日 月食が見られなかったから1日くらいずらしてもある程度の月食が見られるんじゃないかと思って僕はベランダに出てみた。
高所恐怖症の僕にとってこの46階のベランダに出ることは割と緊張することだからまた出るとは思っていなかった。
正直、あの占い師のお姉さんのことを思っていなかったと言えば噓になる。
「〽~~~~~♪」
あのお姉さんの鼻歌だった。時々歌詞が出るけど、分からないところは鼻歌になる感じの……他人に聞かれると一番恥ずかしいやつだ。
そして、歌っている曲はプリキュアのオープニングみたい。その選曲よ。
「上手ですね」
「わっ! びっくりした!」
仕切り板越しの向こうでもお姉さんがワタワタしているのが伝わる。
「プリキュア好きなんですか?」
「ま、まあ、普通よ、普通」
「プリキュアは確か2004年から放送だったかな。約20年もやってると、親子で楽しめるコンテンツになってるって言うし、もう『歴史』って言っていいんじゃないですか? 別に恥ずかしくないと思います」
僕もアニメは大好きだ。それに、お姉さんみたいな美人(多分)がアニメを好きなんてちょっと可愛い感じで好印象。
「別に恥ずかしくないわよ。プリキュアカレーとか1袋で37kcalしかないし、その上 たんぱく質が多くて、脂質が少ないから筋トレする人の間でも話題なのよ」
そうなのか。今度 買ってみようかな。
「……」
「……」
少しだけ間が開いた。話題を切り替えるタイミングであり、僕は彼女に聞いてほしいことがある事を無言で伝えていた。
「なに? どうしたの? 相談事かな?」
「……はい」
「クラス内で1日 誰とも話せない事かな?」
「すごい! どうして分かるんですか⁉」
「占いをやってるから」
すごいな占い師!
「僕、転校してきてもう1週間にもなるのに誰とも話せてなくて……この学校でやって行けるか不安になって……」
「前の学校ではどうだったの?」
「うーん、普通ですかね。話しかけられたら話せるので、新学期とかは何となく友達になって、友だちが友だちを連れて来てくれたから……」
話してみて気づいたけど、僕にとって初めてのケースなのだ。既に出来上がった人間関係の中に一人入って行くのが。何かと話しかけられることが多かったから、これまで全く困ったことがなかった。これまで僕は受け身だったんだな。
新学期ではみんな不安に思っているから僕にも誰かが話しかけてくれていた。
でも、今回は6月だ。しかも、高校3年の6月。3年の受験年に転校してくるのも珍しいのに、4月じゃなくて6月だよ。
訳ありなのは誰にでも分かる。気を使って話しにくい所もあるのかもしれない。
「誕生日はいつ?」
脈絡もなくお姉さんが訊いた。
「僕ですか? 6月11日です」
「もうすぐじゃない。じゃあ、誕生日プレゼント代わりに私がその問題を解決してあげるわ」
「そんなことできるんですか⁉」
「でも、目先のものは一見 甘いように見えるけど、実はマーマレードジャムのように苦みと一体だからちゃんと見極めないとダメよ」
「……」
さすが占い師、言っていることが抽象的で意味がよく分からない。
僕がマーマレードジャムについて知っている事なんてほとんどない。みかんみたいな柑橘系のジャムで、果肉だけじゃなくて皮まで使っているってことくらい。
イチゴジャムみたいに甘いだけじゃなくて、皮に含まれた苦み成分リモノイドがあって甘みと苦みのある特別なジャム。保存性が高い特別な瓶はマルメラーデグラスと言ったか。
割と色々出て来たな。そこまで思い出しても どうしたらいいのかさっぱり分からない。
「具体的に僕はどうしたらいいんでしょう?」
「……」
ベランダの仕切り板の向こうなのでお姉さんの表情などは一切分からない。
「猫かカレーかで言ったらカレーを選ぶことね」
全然意味が分からない。なんだその二択。
「そうね、明日よ」
「明日?」
「そう、明日 現状の道を打開する道が開くわ。みんなと話すチャンスが来るから見逃さないようにね」
「……はあ」
「明日の一限目の教科は何?」
「一限目ですか? 確か英語だったかな?」
さっき時間割を見て教科書を準備したから多分合ってるはず。
「じゃあ、それをわざと忘れて行きましょう」
「え⁉」
分かった。それで僕が周囲に話しかけないといけない状況を作ろうって作戦か。そんなこと分かっていたら僕は教科書をちゃんと持って行くに決まっている。
どうしよう。教科書をわざと忘れて行っても僕は誰にも話しかけられずに1時間困るだけだ。
転校して1週間以上 誰も話しかけてこないのに急に話しかけてくるわけがない。僕は疑い85%で翌日学校に向かった。
◇
翌日、奇跡が起きた。占いのお姉さんのいう通りだった。
ダメ元で英語の教科書はわざと忘れて行った。一応、何も起こらないことも予想して教科書の必要そうな所の数ページだけはコピーして持って行ったけど、教科書自体は置いて行ったのだ。
授業が始まってもノートしか出さなかった。そしたら、隣の席の六本松さんが無言で自分の教科書を指さしてきた。「教科書忘れたの?」ってことだろう。
僕は授業中だったこともあって無言で頷いた。
すると、彼女は机を少し移動させて僕の机に横付けして教科書を見せてくれた。
僕は両手を合わせて「ありがとう」とジェスチャーでお礼を告げた。六本松さんはこちらを見て微笑みで返事をしてくれた。
その可愛さよ!
彼女はいつも無表情だったから少し冷たい「美人系」だと思っていたけど、笑顔の破壊力は凄まじく、美人な中にも可愛さがある事が分かった。
やばい。今ので少し彼女のことが好きになった。それほど彼女の笑顔は破壊力があったのだ。
しかし、クラスメイトから話しかけられるイベントはこの事じゃない。結局 六本松さんには話しかけることはできなかったし、彼女からもそれ以上 話しかけてくることはなかった。
ただ、授業中なのに教室内は少しざわざわとしていた。そして、何人かがこちらをチラチラと見ていたのだ。こんなの転校初日以来だ。
そして、「話しかけられイベント」は昼休みに起きた。
4時間目の授業が終わって昼休みになったタイミング。僕がちょうど机から弁当箱を取り出したタイミングで七隈さんと茶山くんが話しかけてきたのだ。
「ねえ、住吉くんが鞄に付けてるこのキャラクター、猫⁉ 超かわいくない⁉」
七隈さんは僕のカバンに付けられているキーホルダーを指さして言った。
「ああ、あれはアニメのキャラで……」
「そうなんだぁ! 可愛いよね、ね! 茶山くんもそう思うでしょ!」
「え、あ、うん! 思う思う!」
一緒に来たというよりは連れてこられた感がある茶山くんが無理やり可愛いと言わされているみたいだった。
なんだこの会話。
「ねえ、住吉くん。こっちに来てみんなと一緒にお弁当食べない?」
「男子もいるしさ」
茶山くんも援護射撃してきた。
「え?」
願ったりかなったりだった。クラスの中で一番大きなグループ。それもヒエラルキーの頂点の七隈さんのグループからお声がかかったのだ。
「いいの?」
「もちろん。前の学校のこととか教えて」
七隈さんは笑顔だ。茶山くんはちょっと緊張した感じ?
1週間 誰も話しかけてこないような僕相手に緊張する必要があるだろうか。
「み、みんなは弁当じゃないの?」
普段 七隈さんたちは食堂で昼食を取っているようだった。一緒に食べるのは良いのだけど、僕も食堂に行くということだろうか。
「今日は梅林くんと橋本くんがパン買ってきてくれてるの。だから、教室で一緒に食べよ?」
梅林くんと橋本くんとは七隈さんのグループの男子の二人。わざわざパンを買いに行ってあげるなんて彼らは七隈さんのことが好きなのだろうか。そこまでしてあげるなんて。
それでも、七隈さんはこの教室で茶山くんと一緒に待ってる。なんかちょっと悲しいというか、哀れだと感じた。
僕は七隈さんと茶山くんに手を引かれて教室の中央付近、10人以上の集まりで弁当を食べることになった。
どれほどの人が気づいているかは分からないけど、最上座の席に七隈さんが座り、その次が僕と茶山くん。
七隈さんを真似た容姿の茶髪にウェービーな髪の女子たちは僕にはもう見分けがつかなかったけど、確実に僕たちより下のカーストにいるように見えた。
「住吉くん、ごめんねぇ。うちら人見知りだから中々話しかけられなくて。でも、これで話したしこれから仲良くしよ。ほら、同じ穴のムジナを食った仲とかっていうじゃない?」
「同じ穴のムジナ」と「同じ釜の飯を食った仲」が混ざってる。これはボケなのか⁉ ツッコんだ方がいいのか⁉ でも、周りの笑顔空間を考えると何となくツッコミにくい。
「ははは、そうだね……」なんてYESともNOとも取れない返事をして誤魔化した。
七隈さんも茶山くんも他のみんなも話しかけてくれるんだけど、弁当はすごく食べにくかった。
いつ話しかけられるか分からないので、いつご飯やおかずを口に運んでいいのか分からないし、噛んでいる間に話しかけられたら答えられない。
結果、転校してきて一番窮屈な昼休みを過ごしてしまった。
なんだろう、上から2番目の階級を急に与えられて、この場にいていいのかっていう疑心暗鬼と居心地の悪さ。
このグループの中に入って分かったのは、転校以来 最高に居心地が悪いということ。
それにしても、昨日までと打って変わって急にみんなして話しかけてくるのはどういうことなのか。
「ねえ、住吉くん。これホント?」
そう言って七隈さんはスマホの画面を僕に見せてきた。
その画面に映し出されているのはクラスのグループチャットみたいで、何枚かの僕の写真が載っていた。
「陸上の選手だったの⁉ しかもかなり有名な!」
そう僕は前の学校では長距離をやっていた。何度か雑誌の取材も受けて掲載されたこともある。
前の学校には良い仲間がいて、いつもみんな僕に話しかけてくれていた。僕はこのまま陸上の推薦で大学に行ってどこかの企業で走り続けると思っていた。
でも、突然のアキレス腱の断裂。僕はアップ(準備体操)を軽視していた。「自分だけは大丈夫」と訳の分からない自信があった。こういうのを正常値バイアスとか言うらしい。
走っている時に「バチン」と音がして ふくらはぎを叩かれたかと思った。その後は踏ん張ることができなくてその場に倒れ込んでしまった。
担架だ、病院だと騒ぐ周囲を見ても僕は「大げさだなぁ。大丈夫なのに」と思っていたほどだった。
結果、典型的なアキレス腱断裂が分かった。幸い手術でつながったし、それなりにリハビリもした。でも、また起きたら……と思ったら走れなくなった。
仲間たちは軽いウォーキングから始めたらいいとか言ってくれていたけど、すごく怖かった。
よくアスリートが「故障」という言葉を使うけど、日常生活では全く問題ないのだ。痛いとかもない。でも、競技となると自分の100%を出そうとする。
その100%には耐えられないのだ。
しかも、僕のケガをきっかけに父さんと母さんがケンカすることが多くなった。それまでもうまくいってなかったけど、歯止めが利かなくなった感じ。
結果 二人は離婚して僕は転校することになって……。
陸上は僕にとって苦い思い出になっていた。その話をするのも嫌なほどに……。
「もう、陸上はやめたんだ。ケガしたし、引退って感じで……」
「でも、有名ってすごくない⁉」
七隈さんは僕の言うことなんて まるで気にしないみたいに言った。
ああ、そうか。分かった。
僕が有名だったから七隈さんは僕を自分のグループに取り込もうと思ったのか。それで、たまたま朝から六本松さんと仲が良さそうに見えたから慌てて昼食を食べるグループに声をかけた……と。
彼女にとって価値があるのは「有名な僕」だから、陸上をやめた僕は徐々に価値が下がって行くんだろう。
今は階級が上から2番目だけど、時間経過と共に価値が下がって最後は梅林くんや橋本くんみたいにパンを買いに行かされる立場になるんだ……。
◇
帰宅後、昨日と同じくらいの時間にベランダに出てみた。
「やあ、マーマレードジャムはどうだったかな?」
お姉さんは先にベランダに出ていたみたいだ。彼女の言葉で彼女が昨日言ったことを理解した。
ああ、そう言うことか。
先に言われていたのに、ここでもう一度言われてやっと理解できた。
僕は急にクラスの人気者的に扱われて、七隈さんの直下の階級上位2位のところに置かれた。
七隈さんを含めてみんなが話しかけてくれて、チヤホヤしてくれる状態。ジャムで言うところの甘い部分だろう。
でも、僕の目の前のジャムはただ甘いだけじゃない。マーマレードジャムなんだ。食べていると苦い部分が含まれている。
あの居たたまれない気持ちは「苦み」の部分だったか。
「占い師さんってすごいですね。忠告されていたのに、僕はバッチリマーマレードジャムをなめてきましたよ」
「懲りたみたいね。それは優秀だわ。苦みがあると言っても表面的には甘いからほとんどの人はそこに甘んじるものよ」
予言通りになったからか、占い師のお姉さんのどや顔が見えるようだ。もっとも、僕は彼女の顔すら見たことがないのだけど。
「甘いって言っても、あんな表面的な甘さは甘さの方だけでも馴染めなかったですよ」
「そう」
「あと、今日とか明日とかは階級の上の方に居られるかもしれないけど、七隈さんの……あ、グループのトップが七隈さんって子なんですけど、彼女の気が変わったら今度は僕がパンを買いに購買に走らされる係になりそうです」
「そこでうまくやり過ごして卒業まであと9か月くらい現状を維持するという選択肢はないの?」
「いや、無理ですよ。あれならボッチの方がまだ気が楽ですよ」
「そう……」
「他に選択肢はないんですか? ボクにとってのハッピーエンドみたいなやつ。教えてもらった選択肢は多分『猫』しか出ませんでしたよ⁉」
七隈さんにカバンに付けていた猫のキャラについていじられた。それが「猫」だったのではないだろうか。他に猫要素はなかったし。
もう一つは何だったっけ。関連のない2つだったので全く覚えてない。
「そう……困ったわね。じゃあ、明日のお弁当はご飯だけにして おかずを持って行かないといいわ」
「なんですか、その突拍子もないやつ」
「まあ、持って行けば分かるわ」
そう言うと、お姉さんは部屋に戻って行ってしまった。
占い師というものは本当に恐ろしい人種だ。彼女の指示で停滞していたゲームが急に進むみたいに事が進展する。
ただ、どうなるかは僕が理解していないので不安しかない。
そうは言っても、現状を打破するには僕は彼女の指示に従うしかないのだ。
その後、母さんに言って明日の弁当をご飯だけにしてもらうのだった。
◇
翌日も「マーマレードジャム」が目の前にあった。
「ねえ、もう陸上はやらないの?」
七隈さんが僕の隣の席に座って訊いてきた。微妙に距離が近いんだけど……。
僕が陸上で怪我をした情報も一緒にグループチャットに流れていたはずなのに……。
人は見たい情報しか見ないと聞いたことがあるけど、七隈さんの場合 極端なのかもしれない。
「ねえ、住吉くん。1日に練習はどれくらいやるのかな? 今も朝とか走ってるの? もし走ってるなら一緒にどうかな⁉」
「いや、もう僕は引退したから……」
茶山くんも僕の席の前に座って色々話してくる。聞けば彼も陸上部らしい。そして、ボクの名前を知っていたらしい。元の「柳町」の方だけど。
高校生の場合、有名になったとしても名前を見るくらいで顔を見ることなんて ほとんどない。よっぽどその人のファンでない限りは。
茶山くんも悪い人じゃないんだと思うけど……
占い師のお姉さん、今度こそダメでした。僕はこのマーマレードジャムの生活に毒されてきたみたいです。
瓶の外から見ただけなら半透明のオレンジ色できれいに見える。一口食べたら甘くて蕩けそうだけど、その奥に苦みがあって……。その苦みの上に甘みが成り立っている。
この教室はまさにマルメラーデグラス。七隈さんのためのジャムの瓶。
彼女が甘く過ごすために多くの苦みが詰まってる。
そんな毎日は嫌だ。僕もリモノイド《苦み》になるのは嫌だった。
でも、引っ込み思案な僕はその状況を打開できないでいた。ちょっとした切っ掛けがあれば……。ほんのちょっとの切っ掛けが。
そして、その切っ掛けはその日の昼休みに突然来た。
昼休みになって僕は机に弁当箱を取り出した。視界の隅では七隈さんと茶山くんがこちらを見て立ち上がっている。
これからまた誘われて一緒に弁当を食べることになるのだろう。白米しかない僕の弁当を見て二人は何ていうのかな。どんな反応何だろう……。
「ねえ」
その声の主は、七隈さんよりも茶山くんよりも先に僕に話しかけていた。
僕の机に薄めの箱をトンと載せて続けた。
「住吉くん、私と一緒にプリキュアカレー食べない?」
席についたままの僕の目の前に立っていたのは六本松さん。手にはプリキュアカレーの箱を持っている。
「え?」
驚いて慌てて六本松さんの顔を見上げた。
「プリキュアカレーはね、1袋で37kcalしかないし、その上 たんぱく質が多くて、脂質が少ないから筋トレする人の間でも話題なのよ」
え⁉ このフレーズを聞いたことがある。
そう言えば、僕は六本松さんの声を初めて聞いた。いや、何度も聞いていたけど、教室では初めて聞いたと言った方がいいのか。
「もしかして……占い師の……」
「占い師のお姉さんです。住吉くん」
そこにはいたずらが成功した子供みたいなきれいな どや顔の六本松さんがいた。
「ここじゃなんだから、屋上で食べる?」
「あ、はい……」
僕は狐につままれたみたいに、彼女に手を引かれ、言われるがままに屋上に移動した。その時、視界の隅に入った七隈さんと茶山くんのポカーンとした顔。これも印象的だった。
*
「ふふふふふふふ。見た? 二人のあの顔!」
屋上では六本松さんが笑いをこらえきれないという感じだった。
「おねえ……六本松さんも人が悪いなぁ。いつからお隣が僕だって気づいてたんですか?」
「そんなの最初からに決まってるじゃない」
「そうなの!?」
「私は陸上が好きなの。特に長距離が。月陸だって毎月買ってるくらい好きなのよ。柳町くん、改め住吉くん」
月陸とは、陸上競技の雑誌のこと。確かに、僕も何度か取材を受けて載ったことがある。
「推しが隣に引っ越してきたんだもの どうやってコンタクト取ろうかと思うじゃない!」
「そうなんだ、言ってよ……」
「相手は有名人なのよ? 下手に動いたらうざいやつって思われちゃうじゃない」
「そんな。実際の僕はこんなだよ。自分からはクラスメイトにも話しかけられなくて……」
「でも、運が良かったわ。朝の情報番組で100年に一度の月食の話を聞いて、見ようと思ってベランダに出て」
僕と一緒だ。
「ちなみに、その番組の占いでは1位で『新しい出会いがあるかも。一歩前に出てみよう』だったわ」
「もっと早く、分かりやすく一歩出てよ」
「まあ、いいじゃない。こうして出会えたんだから。それより食べましょ? ご飯だけなんでしょ? このカレーをかけて……」
「学校で弁当にカレー持って来てる人なんて見たことないよ……。あ!」
「……どうしたの?」
「猫と……カレー!」
僕は思い出した。あの時、お姉さんに……いや、六本松さんに提示された二択。「猫」ともう一つは「カレー」だった。まさかプリキュアカレーとは思わないじゃない!
「プリキュアカレーは冷えていてもおいしいのよ」
彼女のウインクは僕の心を落ち着かなくさせるのに十分魅力的だった。
「どんだけプリキュアカレー好きなんだよ」
「私もお弁当ご飯だけしか持ってきてないし」
「えー。カレーは一袋だけ?」
「もちろん、2つ持って来たわよ。1個あげる」
「ありがと」
「キラキラシールは見せてね」
カレーにはキラキラシールが1枚付いているらしい。
「ホントに好きなんだね! このカレー」
「私は好きになったら極めちゃう方だから。30種類コンプしてるわ。住吉くんのことも極めちゃおうかしら」
「……よろしくお願いします」
なんだその返しは⁉
「なんで七隈さんが『猫』だったの?」
「ああ、彼女は猫が大好きなのよ。彼女のカバンにも猫のキーホルダーが付いていたでしょ? あとペンケースも猫の形だわ。人は仲良くなろうと思ったら無意識に共通点を探すものよ」
そんなの全然見えてなかった。
「話してみたら面白い人だったんだね。六本松さん」
「あの教室がどうかしてるのよ。一部の人だけが騒いで楽しんで、そのグループに入ってないと声を出すのも はばかられるみたいな変な空気で……。そこに飲まれないためにはそれなりに防壁が必要だったのよ。ATフィールド的な」
「ホントにアニメ好きなんだね。教室では冷たい感じすらする美人だと思ってた」
「びじっ……ふ、ふーん、住吉くんは私をそんな風に見てたんだ」
「ベランダで話してた時……占い師のお姉さんだと思ってた時の方が話しやすかった」
「私の素はこっちだから!」
それは好きになってもいいってことですか⁉
「でも、なんで僕? 雑誌に取り上げられる高校生なんていっぱいいるのに。しかも、もう僕は走れないよ?」
「住吉くんはグラウンドに入る時いつも一礼して入って行くじゃない? あれが好きだったの」
そう言えば、武道だったら道場に一礼するみたいに僕はグラウンドに入る時 一礼してた。陸上の神様がいるとは思わないけど、ルーティーンみたいにやってたな……。
そんなの雑誌には載らないし、試合を見に来てくれていたみたいだ。
「後は顔。好みだったから」
うぐっ……。ストレートでこれまた破壊力があった。
「あ、ありがとう」
「一緒に走ってくれる? 試合みたいに本気じゃなければ大丈夫なんでしょ? 住吉くんが走る姿も好きよ。フォームがきれいだったし」
「うん。もちろん」
治療はもう終わってる。リハビリだってした。復帰に向けて動き出してもいいかもしれない。
なんのために走っているのか分からなくなっていたけど、こんな風に走っている僕のことを好きって言ってくれる人が一人でもいるなら……また走ってみたいと思ったんだ。
もうすぐ夏が始まる。
季節が変わるみたいにあの教室も変わっていくだろう。少なくとも僕と六本松さんの関係も変わっていくだろう。
小路谷さんと高野倉くん(3巻)
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2022年12月31日発売です。
ぜひのぞいてください。