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第四話 はかた地鶏 やっとーと。

 シャオラッ、と内心で気合を入れて我が輩は九州系の料理を出す居酒屋の暖簾をくぐった。 

 

 前回、我が輩はハデス夫妻の接待で焼肉屋に行ったわけだが、ドカ食いするような店ではなかったものの、思いのほかいい肉だったので焼肉欲は満たされた。


 が、満たされていない欲がある。飲酒欲である。

 なまじ控えめに飲んでしまった分、今日の我が輩は飲酒欲に火がついている。飲んだくれる気まんまんである。


 で、飲んだくれるならば美味い酒のアテがいる。できれば気取っていない店がいい。

 どんな店にしようかなと思い悩んだのも束の間、我が輩の頭脳に天啓が降りてきた。


 鳥刺しで酒が飲みたい。


 一度そう自覚してしまったらもはや止められなかった。スマホという文明の利器を使い、関東でも鳥刺しを出す店を調べた我が輩は一直線に店に向かった。

 

 時刻は夕方の五時過ぎ。店が開いてからそう間もない。注文を頼んでから待たされない、静かに飲める、店も暇な時間の売り上げが伸びて喜ぶといいことづくめの時間帯である。


「はいらっしゃーい! 一名様ァ!」


 無駄に元気あふれる掛け声、うんうん博多料理を出す居酒屋らしくて大変結構。

 割と新しい店らしく、内装は小奇麗である。グループ向けを意識して店を作ったのか、カウンター席がないのが我が輩ちょっと引っかかるな。

 金離れが良いであろう自負のある我が輩は気にせず居座るが、一人客が居座っては店が儲からないのでは?などと考えてしまう善良かつ孤独なのんべえだと二人分の席を使うことを後ろめたく思うかもしれぬ。


 まあそんなことはいい、注文だ、注文をしよう。


「はかた地鶏の鳥刺し盛り合わせと――豚バラと鳥皮を二本ずつ。それと生で」


 福岡に馴染みがない者は、我が輩の注文を聞いて豚バラ? と奇異に思うかもしれぬ。が、これは福岡の焼き鳥屋におけるスタンダードスタイルであるらしい。


 以前訪れた飲み屋で福岡出身の酔客と近い席になり、お国の居酒屋事情を伺う機会があったのだが、彼いわく焼き鳥屋に入ったらとりあえず豚バラを一人五本とか二人だったら十本とか、どかっと頼んでからめいめいが好きな串を追加で頼むのだと語っていたことを我が輩は思い出し、リスペクトしてみたのであった。


 まあ酔客の言うことであるから話半分に聞くとしても、地鶏が売りで焼き鳥を扱っている店になぜか豚バラ串が置いてあるあたり、案外本当かもしれぬ。

 そして、もう片方の注文となる鳥皮については、これまた向こうで人気だという串に皮をぐるぐる巻きにしてカリカリに焼き上げるスタイルのものだ。

 ひらがなでとりかわ、と書く人気店のやつが有名らしく、これまた我が輩が食べてみたかったものである。


「生お待たせしましたー」


 そうこうしているうちに生ビールがご到着。さすが空いてる時間だ提供も早い、と思っていたが、夕方五時を過ぎたばかりの店内には続々と客が入ってきていた。

 検索アプリでも上位の点数を付けられていたので人気店なのであろう。まあいい、飲もう。


(沁みる……!)


 ひと仕事終え、飲みたい欲が高まっているところに流し込むキンキンのビール。失われていたビール分を取り戻すことに我が輩の全細胞が喜んでいた。

 同時に、我が輩の悪魔的脳内にある酒飲みスイッチがオンになる。あと一杯か二杯ほどもビールを飲んだら福岡らしく焼酎で攻めてみようではないか。今日はとことん飲むけんね。


「生おかわりと、こちら豚バラと鳥皮ですねー、お待たせしました」


 鳥刺しより先に焼き鳥のご到着である。さて、名も知れぬ福岡県民よ、豚バラとやらはどんなもんか味わってくれようではないか。

 

 まず見た目。タレはなく塩味しか扱っていないらしい。で、豚バラ肉だけかと思いきや、肉と肉の間に玉ねぎのくし切りが刺さっていて、ほんのり焦げ目が美しい。

 ではいざ実食と食らいついてみれば、炭火で焼いた香ばしい豚の脂、その強いうま味の隙間からたまねぎが清涼剤めいて顔を出す。

 感想はというと、普通に美味い。ガツンと豚の脂、そして玉ねぎ、塩。なるほど、普通に美味い串なんだな、と我が輩は思った。

 というより、「これでいいんだよ」感がすごい。定番というか、外れようがない組み合わせであるし、とりあえずこれを注文して食いながら、他は何を食べようかなと考える、そんな福岡県民のソウルが伝わってきた。


 ちら、と我が輩はメニューに載っている豚バラのお値段を見る。一本百五十円。我が輩としてはこんなもんかな、と思うのだが、例の同席した福岡県民いわく、福岡は美食が何もかも安いらしい。

 一本百円でも高いぐらいやけん、そんなんよう買わんと。安いところだと一本六十円とかやけんね。そう語っていたのを思い出す。

 というか、彼があまりにも地元の良さを全力で推してきていたので、我が輩の中の福岡県民像は地元大好き人間で固定されている。放っておくといつまでもお国の良さを語ってくるので苦笑するほどであった。

 値段に関しては流通や土地代もあるので、こちらで同じ値段で出しては店が立ちいかなかろう、そう思ったが口には出さない分別が我が輩にはあった。


「ふむ? おお」


 次に鳥皮を食ってみる。こっちはタレだ。これまた炭火の香ばしさ、そして表面はカリッカリに焼かれているのに中はしっとりジューシー、そして鳥のうま味。

 鳥皮なのでもちろん脂なのであるが、とことんまで火入れをしたおかげなのかちゃんと鳥の風味もして、これまた後を引く味でビールが美味い。

 あちらの人間はこういう後引き系の味が好きなのかもしれないと我が輩は思うが、考えてみたら我が輩も好きなのでよくわからない。ビールが美味い。


「焼酎いっちゃおっかなー」


 美味いアテ。美味い酒。我が輩が求めているものがこれ以上ない形で満たされているので我が輩ご機嫌である。

 鳥刺しときたら、芋焼酎のロックあたりを合わせてみようか。博多系の御多分に漏れずこの店も豊富に焼酎を置いてあるようなので銘柄を物色する。


「ええと、今でしたら少々お待ちいただくことになりますが。そちらに名前をご記入してお待ちください」


「え、もう満席なの? はやっ」


 ふと店の入り口にあるレジカウンターあたりから聞こえてきた声に我が輩もびっくりである。我が輩が入店した開店直後こそ人がまばらであったものの、それがこんなに早く埋まるとは。


 何の気なしに店内の様子を確認すべく振り返ると、今しがた店員と会話していたであろう女性の姿が目に入る。思わず我が輩は眉をひそめた。ついでに自分の席に視線を戻す。

 鳥刺しはまだ来ていないので、二人用のテーブル席にはずいぶんとスペースが余っていた。


「あれ、この前のおじさん? 何でここに?」


 手をひらひらさせて存在をアピールしながら近づいてみれば、あちらも驚いた顔をしている。

 我が輩もびっくりだ、時間帯こそ一緒ではあるが、最寄り駅すら違う店で例のカサゴの小娘に会うとは想像すらしていなかった。


「驚いたのはこっちもだが。二人席で良ければ相席するかい?」


「え、いいの? ラッキー! あ、この前はカサゴ、ご馳走様でした!」


 ぱあっと花開くように小娘は微笑んだ。少しぐらい警戒されるかなと思ったが、ずいぶんと人の懐に潜り込むのが早いやつである。

 そして、たかだか一皿分の代金を持っただけだというのに律儀に礼を言うあたり、悔しいが我が輩の悪魔的好感度は相変わらず高い。


「あ、まだ始めたばっかりなんですね?」


「ああ。あとは鳥刺しを頼んでいるぐらいかな」


 テーブルに焼き鳥の皿しか来ていないのを見て、じゃあドリンクだけでも早く頼まなきゃ、とビールを注文し出す小娘。


「あれ、キャベツは頼んでないんですか? 福岡の焼き鳥といったらキャベツですけど」


 我が輩の脳裏に電流走る。なんだそれは、初耳だ。まさかこの小娘、我が輩の知らない技術を持つ福岡の達人だとでもいうのか。


「一回旅行で行ったことがあるんです。向こうの焼き鳥屋って、お通しでキャベツ出てくるんですよ。例えばこうやってキャベツを取り皿がわりにして焼き鳥を上に置いておくと、そこに焼き鳥の脂が付くじゃないですか。で、焼き鳥を食べ終わった後に、ポン酢醤油をちょっとかけると、さっぱりしていいんですよ」


 わなわなと震える手で、小娘の言う通りにしてみた。皿替わりにしたキャベツには、直前まで置いてあった鳥皮のタレと脂が付いている。

 付着したタレだけだと味が足りないだろうので、テーブル備え付けのポン酢醤油をちょろっと足して、思い切って食ってみる。

 生のキャベツのぱりぱり感、ちょっと固いかなって一瞬感じるものの、そこにタレの甘辛さとポン酢のハーモニーで口の中が実にさっぱり爽やかである。なるほど、この状態であの脂っけの強い豚バラを食えば実に美味いだろう。侮りがたし、福岡。そして我が輩の負けだ、小娘。


「乾杯しましょ乾杯。今日もお疲れ様でしたー」


 内心では敗北感に打ちひしがれながらビールと芋焼酎で乾杯する。相も変わらず小娘はいい飲みっぷりであった。

 我が輩をもってしても太刀打ちできぬ飲み助としての実力、いったいこいつは何者だというのだ。


 と、ふと小娘がテーブル脇に置いた荷物が気になった。小さ目の楽器でも入っているような、黒塗りの威圧感があるケースである。


「私、調理師学校の学生なんですよ。これ包丁ケースです」


 近くにある調理師学校の名前が金糸で刺繍された包丁ケースを見ながら、なるほどと我が輩は膝を打った。

 なるほどなるほどそれならば、年齢に似合わずあちこちの店で食べ歩きをしていることも、浜やの大将の包丁さばきに興味を示したことも、小娘らしからぬ食の知識を持っていることにも、そして我が輩が負けたことにも頷ける。

 そしてこれほどののんべえパワーを持つこの小娘が将来料理人になるのだと考えれば、日本の未来は実に明るい。一転して我が輩はとてもすがすがしい気分になった。

 

「おお、これがカンピロさんで有名な例のやつ……」


 運ばれてきた、鳥刺しがどっさりと盛られた大皿を眺めながらぼそりとつぶやいた小娘の独り言に、思わず我が輩は苦笑を漏らす。

 なるほど、調理師学校の生徒であれば食品衛生の一環として習うこともあろう。


 基本的に、生の鶏肉というものはどれだけ新鮮でもカンピロバクターという食中毒の原因菌で汚染されている。そこらへんのスーパーに売っている鶏肉にはほぼいると考えていい。

 この菌は熱に弱く、肉の表面にしかいないので、少しの加熱で無効化できる。芯が生の鶏のたたきなどが食べられるのはこの表面加熱処理をしているからだ。


 では、完全に生の鳥刺しは危ないのかという話になると、ちゃんと処理をしていない鳥刺しは危ないという結論で間違いない。

 九州で広く親しまれている鳥刺しは、内臓部分にいるカンピロバクターを肉に付着させないように屠殺する段階から店で出すまで厳格な処理法を守っているから成立している。

 それでも年間数百件の食中毒が起きているのは、ほとんどが素人が誤った知識で生肉を食べたり、生肉と同じまな板で野菜を切るなどして菌が付着したものを食べて起こる。

 まあ、稀に店側のミスで起きることもあるが。結局はフグなどと同じでリスクはゼロにならないので、その店の料理人を信用するかどうかという話である。


「人生初鳥刺し、いただきます」 


 小娘がおそるおそる口に運ぶのを横目に、我が輩も待ち望んでいた鳥刺しを頬張る。

 くにゅりとした生肉の触感。少し甘めの醤油に、薬味のニンニク。噛めば噛むほど、はかた地鶏の強い風味がにじみ出してくる。野趣の強い味わいを、芋焼酎のロックで流し込めば――たまらん。これが食いたかった。


「これは、食べる人がいなくならないわけですねえ。めっちゃ美味しいです」


 そうであろう、そうであろう。結局そこに尽きる。生の肉は美味いのだ。


 お次はレバーと行こうではないか。見るからに新鮮でぷりっぷりしている鶏レバーを、塩を溶かしたごま油につけていただく。

 論ずるまでもなくバカウマであった。マジで悪魔的に美味い。そこに芋焼酎のロックをキメると――悶絶する。この組み合わせは美味すぎる。

 ひょいぱくしながら感動に打ち震えている我が輩の姿を見て、小娘も意を決して一切れレバーを食べてみたようだ。何これやば!とすぐに叫んだ。


「くくく、酒飲みがこの味を知ってしまったら戻れまい……」


「無理ですね。こんなもの焼酎に合うに決まってるじゃないですか」


 どこかいけないことをしているのではないかという背徳感とスリルもまた、美味さのスパイスだ。

 どうしても鳥刺しはたまに食いたくなる。酒飲みはあの欲求には抗えない。それぐらい美味い。


 福岡のヤバいところは、名物がこれだけではないところである。この後だって、おそらく我が輩はもつ鍋を頼むであろう。明太子をちびちびつまみながら、これまた名物だという鉄なべ餃子を頼んでもいいし、塩辛なんかを頼んで珍味で攻めてもいい。

 いったいどれほどの酒が飲めるというのだろう。間違いなく食い倒れるまで飲み食いしてしまう。恐るべし福岡、恐るべし福岡の酒飲み。小娘とは違ってあれから再会はできていないけれど、名も知れぬ福岡のオヤジに乾杯。


「そういえばさ、普通に仲が良いだけの男友達から告白されること多いでしょ?」


「なんでわかるんですかー!?」


 のんべえの夜はまだ始まったばかりである。

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