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第一話 やきとり屋 とっ鶏

 我が輩は大悪魔アスモデウスである。

 

 ここは繁華街から少し離れた落ち着いた路地であり、今は胃の腑におさめる食事を求めて酒どころを探し歩いているところである。


 現代の日本という土地はなかなか面白い。とみに食習慣が多彩で、色々な国の色々な食べ物に容易にありつけるのがいい。そりゃあ我が輩ほどの大悪魔だって分霊を顕現させてグルメを楽しんでしまうのも致し方ないというものである。


 この際、我が輩の立場であるとか分霊とは何ぞやとか、そういう細かいことはどうでもいいし説明するのも面倒であるので割愛する。どうせ近頃はゲームやら漫画なんかの影響でそういうのに詳しいやつはごまんといるし、けっこう偉い悪魔である我が輩が息抜きのために普通にメシと酒を楽しみ、その様子を日記につづるだけであるから、どこの誰がこの日記を目にしているかも知らないが、まあそういうものかと頭を空っぽにして読み進めてもらえればいいのだ。 


 神やら悪魔やら堕天使やら謀略がどうの神界大戦がどうのといった小難しいことはこの分霊個体ではやらないのである。


 さて、記念すべきグルメ日記の一店目であるが、まだ決まっていない。決まっていたらこのように街をさまよい歩いていない。

 そもそも食べ歩きのために作った分霊である我が輩だが、あっちこっちと飲み食いしてるんだから印象に残った店を書き留めておこうと思いたったのはついさっきのことである。

 三日坊主でこの日記をつけるのをやめてしまうかもしれないし、あるいは壮大な分厚い手記となって多くの人の目に触れるかもしれぬ。


 何もかも思いつきであるが、我が輩はこのような無計画な、行き当たりばったりの行動というものを案外好んでいる。意外性に満ちた発見や出会いがあるかもしれないからだ。

 我が輩が行きつけの店というものをあまり持たないのも同じ理由である。新たな店、新たな料理、新たな味との出会いを我が輩は求めているのだ。

 

 とはいえ、今夜の店探しには難航している。いや、いくつか目ぼしい店はあったのだが、ここしかない、とまでピンと来てはいないのだ。

 これはおそらく我が輩が日記をつける第一号の店になるということで、完璧な店を探して心の中のハードルを上げているのも一因だろう。

 何たって一番最初に紹介する店、食事である。かつて英国の貴族が最初に選んだ家臣のことを一の騎士と呼んで誇ったように、我が輩も最初に選んだのはこの店ですと胸を張って書き記したいではないか。

 その最初の店が決まっていないあたり、我が輩の計画性のなさを露呈させているような気がしないでもないが、まあそれも味であると誤魔化されるといいだろう。


 そもそも、グルメとは何だ? 

 飲み屋が点在する路地のアスファルトを踏みしめながらふと、我が輩は考える。

 グルメ。美食。おいしいもの。でもそれって個人の好みではないか、とも思うのだ。


 例えば我が輩はファーストフードが好物である。そう言うと食通を気取る輩が鼻で笑ってきそうであるが、あれは非常によくできた食事である。

 大衆の好みの最大公約数を目指して作られており、それが開発されるまでに費やされた技術、発想、時間に想いを馳せながらかじるダブルチーズバーガーは絶品である。

 そもそも人間の味覚というものは炭水化物と脂質に濃い目の味付けをしたものを美味いと感じるようになっているのだ。バンズ、チーズ、牛肉、そして塩分。まずかろうはずがない。


 とはいえ、世界一美味しいものであるかと言われればさすがに否である。売れているラーメンがいいものなら世界一のラーメンはカップラーメンだよとは著名なロックミュージシャンが発した名言であるが、確かにファーストフードは良いものであるが世界一の美食ではない。

 そう、つまりグルメとは、美味さを追求した料理を食すことなのではないか。言葉にすれば当たり前のことを、我が輩は再確認する。


 かといって、おまかせで一人二万円も取るような寿司屋であるとか、三ツ星を取った最高級のフレンチレストランでコースを堪能するのだけがグルメかと言われると首を傾げざるを得ない。

 あれはあれでいいものであるが、一般人が毎日通えるようなところではないし、我が輩は酔っぱらうのが好きであるので、しこたま痛飲したい今日の気分としては候補から外れる。


 いま我が輩は、仕事帰りのサラリーマン風の擬態をしている。職場でも正装であろうが、ネクタイを外してしまえば飲み屋においても由緒正しいスタイルで通じるこれは便利なものだ。


 街灯で照らされた宵闇の中、革靴で歩を進めると石畳がコツコツと小気味よい音を立てる。

 キャッチまみれの繁華街にろくな飲み屋はないとまでは言い過ぎかもしれないが、経験上こういった目抜き通りから外れた細い路地にこそ良い店があると我が輩は思っている。


 ふと、我が輩はスーツのポケットに入っている文明の利器を使ってしまおうかと考えた。


 日本人は食にうるさい民族であるので、当然のごとくグルメ雑誌に漫画、小説に至るまで、種々雑多な刊行物に食に関する情報はあふれている。

 スマホを開いて少しばかり入力するだけでご丁寧に民衆から点数付けをされた食事処が出てくるご時世であるし、そこから良さげな店をピックアップすれば良いのではないか、と思ったのだ。

 しかしそれでは、我が輩がグルメ日記を書いて良かった店を紹介するという趣旨に外れるのではないか、と自問自答する。

 もちろん今からどこに行ったところで、その店の情報はどこかに必ず載っているのだから、我が輩がグルメ日記を書いたところでそれが初出であるということはありえない。

 にも関わらず、我が輩がグルメ日記を書く意味とは――。


 そこまで考えて、我が輩は腑に落ちた。納得した。 


「我が輩にとってのグルメ」を紹介すればいいのだ。


 そも、好みなんてものは人それぞれである。よっぽど酷いものでもない限り、他人様が好んで食べているものにケチを付ける方が人格的におかしい。

 百人いれば百通りの好みがあり、それぞれ理想とするグルメも異なろう。我が輩とてそうである。

 我が輩が食事をしてこう思った、感じたということを書き記せばいいのであり、別に小難しく考える必要なんてなかったのである。我が輩はこれが好き。ただこれだけでいい。


 とてつもなくスッキリした気分になった我が輩は、そのまま目の前にある赤ちょうちんの暖簾をくぐった。藍染めの暖簾には白地に赤文字でやきとりと大書されている。

 年月を経て色合いがくすみ、すすけているところがまた味があっていい。店内は程よい広さがあったが、木目調の壁にびっしりと貼り付けられたメニューやドリンク類の印刷物がそれを感じさせず、雑多な印象が拭えない。

 そして手ごろなカウンター席に案内されたが、座るなり炭火で鶏を焼く香ばしい匂いが鼻腔に攻め込んでくる。


 普通のやきとり屋であった。普通の、よそよりもほんの少しだけ味が良いであろうやきとり屋だ。

 思った通りの店だ、と我が輩は満面破顔した。大満足である。今日はこういう店の気分だった。正確にはついさっきそういう気分になった。

 

「生中ひとつ。串はねぎまと軟骨、タレで。煮込みももらおうかな」


 生まれたばかり――自分で作ったのだから正確には産んだばかりなのかもしれないが、ともあれこの地に降り立ったばかりの右も左もわからない頃に比べると、我が輩もずいぶん注文が手慣れてきたなあと思う。

 我が輩は悪魔であるからしてトイレなんて行かないし汗の分泌もないのだが、テンションが上がっているのでサラリーマン風の擬態のためにおしぼりで顔も拭いておく。

 そんなこんなしてたら生ビールの中ジョッキが早速到着。

 どこにでもある普通の生中である。冷凍庫にぶち込んであったのか、キンキンに冷えてうっすら霜がかったジョッキの中身は、この店はアサヒらしい。


 偉大な先達がとりあえず生と表現したように、何はともあれこれがないと始まらない。我が輩はジョッキの取っ手を力強く握りしめ、中身の金色の液体を喉へと流し込んだ。

 冷たく泡立つビールが喉を通り、食道を通り抜け、胃の腑へと落ちていく。

 途中で喉が痛くなってくるが、構わずに飲む。ごっごっと喉を鳴らして飲む。まだ飲む。全部飲む。最後にジョッキの底へ残った泡を名残惜しげに口をあーんしながら受け止めて――くっはー、とひと息つく。


「ああ……」


 これよ。

 げふー、と品に溢れた悪魔ブレスを吐きながら、これだよなあ、と我が輩は満足する。

 生中飲んで満足することに言葉はいらない。これはきっと全世界共通だ。やったぜヤハウェ、世界平和の実現だ。

 

 ちなみに真面目な話をすると、居酒屋という形態は割と日本独自の文化である。欧米ではレストランは食事がメイン、酒を飲むところはパブと決まっていて、食事はあっても軽食ぐらいである。

 そもそも人前で泥酔するのは下品だと思われていたり、アルコールが買えない日や時間帯があったりと規制が厳しい。というかキリスト教とかイスラム教とかの、ヤハウェを信仰する宗教圏は基本的に酒に厳しい。

 かと思えばロシアなんかはウォッカ飲みまくりだし何なんだお前のとこ。まあ我が輩もその宗教出身の悪魔なんだが。


 これが中国とかになるとまた別の飲酒文化になってくるが、やはり酔っ払いには厳しいし一人飲みもお勧めされない。

 一人で飲もうが奇異の視線は向けられないし、泥酔した客を見るのも日常茶飯事であるし、コンビニでは二十四時間酒が買える日本はアルコール天国なのである。

 大麻は規制するのにストゼロが超安く買える日本は頭がおかしいのか、と真顔で言う外国人もいるぐらいだ。


「煮込みお待たせしましたー」


 とか考えてるうちにほかほかと湯気をあげる煮込みが供され、慌てて生中のおかわりを頼む。

 やきとり屋の味を推し量る要素はいくつかあるが、煮込みが美味いか不味いかはその代表的な一つだ。煮込みが美味い店に外れはない。


 さて、この店の煮込みはと覗き込んでみると。まず目につくのは、まん丸い卵黄のようなもの。


「キンカンとは珍しいな」


 思わずつぶやく。

 鶏の卵巣にある、殻がつく前の未熟な卵のことである。

 一般的に採卵用の鶏からしか取れないので、若鶏の肉を使っているはずのやきとり屋で扱っていることは案外少ない。逆に言うと、強い流通経路を持っているというアピールなのかもしれない。

 

 それ以外の要素はというと、正肉ではなくモツの煮込みであるようだ。キンカンの入ったモツ煮というと、山梨県のB級グルメで照り焼きのように仕上げた水分の少ないものが有名だが、この店は普通にスープの中に具材が浸かっている。

 薄切りにした鶏モツはレバーや砂肝、ハツもだろうか。それにキンカン、豆腐とコンニャク、小さ目に切った人参。仕上げに青々としたネギを小口に刻んだものをパラリとして、ご自由にお使いくださいと七味唐辛子の瓶が付いてくる。


「味を壊さない程度に強めの七味が悪魔的ジャスティス」


 つぶやきながらぱらぱらと七味を振って、いざ実食。まずは普通にモツの部分を行こうか。

 レンゲにすくった煮込みを啜るように食べてみると、あたたかな汁に強いうま味と何とも言えないモツの風味が溶け込んでいる。モツの噛み応えと合わさって実にいい。

 デミグラスソースみたいに味噌を煮詰めたモツ煮も好きではあるが、こっちのスープ煮は濃い目の豚汁に近いというか、オーソドックスなモツ煮感があってそれがいい。言うまでもなく変な臭みはなく普通に美味い。


 ほんの少し舌を刺す七味唐辛子と一緒に煮込みを味わいつつ、頃合いを見て生中をグビっと呷る。煮込みで温まった喉に再び冷たい金色が流れ込んでいく。至福のひとときである。


「お待たせしましたー、ねぎまと軟骨、タレですねー」


 煮込みを食べ進んでも良いが、そろそろ他の味が欲しくなってきた頃に焼き鳥が到着する。

 シンプルな塩味も好きだが、今日はタレの気分だった。タレをつけて焼いたやきとりこそ、いかにもやきとり屋ですといった風味があると思うのだ。

 盛り合わせでなく二本だけ頼んだのは言うまでもなく我が輩が少食であるからではない。飲み食いしているうちに焼き鳥が冷めてしまうのが嫌だからである。


 我が輩の個人的な好みとしては、色々な料理を所せましと並べて酒を飲むのが好きである。舌と胃袋が求めるままにあっちつまんでこっちつまんでと好きなように食うのがいい。が、そのせいで温かい方が美味いものを冷めさせてしまっては本末転倒である。

 温かいものが多い店では少しずつ頼むのがいい。混んでて料理が出てくるのが遅くなりそうだったら少しだけ注文を増やせばいい。

 こうやって、その店に応じた食べ方に順応していくことに我が輩は喜びを覚える。


 ねぎまの先端に刺さっている肉と、その奥のネギごと一口で噛み締めると、炭火の香ばしさがついたタレの味に、ネギがきゅっと潰れる感触が心地よい。そして鶏肉はやわらかくて美味い。やっぱり炭火で焼いたやきとりは良い。こんなものビールに決まっている。

 二杯目も早々に開けてしまった我が輩は、三杯目はハイボールにしようか、いやさレモンサワーにしようかと腕組んで悩みながら、今日という日に腰を落ち着ける店をこのやきとり屋に決めた己の慧眼に満足していた。


 なぜ記念すべきグルメ日記の第一弾に、このやきとり屋という存在を選んだか。

 それは、海外の人々が首を傾げるであろう日本の奇妙な文化、居酒屋で飲み食いするという行為、

その最大公約数がやきとり屋だと思うからだ。


 星の数ほどもある飲食店のうち、酒も飯も出す大衆的な居酒屋、その代表がやきとり屋であると我が輩は思う。

 けして高級なわけではない。少しばかり珍しいものもあるかもしれないが、たいていは既知の食事である。そして値段は良心的だ。

 普通に美味くて安い食事で、キンキンに冷えたビールをやる。ときおり飲みすぎて顔を真っ赤にしながらふらついたりする。これが日本の飲酒文化の最大公約数だ。酒飲みにとってのファーストフードである。


 我が輩は結論に満足して、ついでにキンカンを噛み締めて溢れでてくる卵黄のねっとりした風味にも満足しながら懐からメモ帳を取りだした。

 

 我が輩のグルメ日記で最初に紹介する栄えある飲食店、それはやきとり屋。

 おっと、忘れてもらっては困る。どこにでもあるやきとり屋であるが、我が輩の嗅覚が選び出した、他よりちょっとだけ美味しいやきとり屋である。

 七味唐辛子のようにそこが一味違うことを忘れてもらっては困るというものだ。


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