見てはいけない
男子達がいないことに気がついたのは、休憩のために立ち寄ったコンビニから出発して約八分後のことだった。
「あれ、あいつらどこ行った?」
思わず零すと、左右にいた友人二人も周りを見渡した。
「本当だ」
「置いてきちゃった?」
駐車場から出るときにはいたのは覚えているが、つい話に花を咲かせすぎたらしい。班員同士が離れることは禁止されているのに。思わず顔を顰める。
「さっきのとこにいるかな」
「そうなんじゃない?」
春奈の問いに答えて、迎えに行こうとする。
「うわ、めんどくさい」
ぼやきながらも友人二人はなんだかんだ面倒見がいい。先生にバレるともっと面倒だからかもしれないけれど。
ちょうど観光スポットから次の目的地へ向かうところだったので、修学旅行の行き先に選ばれるほどの観光地だけれど、今歩いているのはただの住宅街だ。平日の、それも真っ昼間だからだろうか。人気が全くなく私たちの話し声がいやに響いた。
「そういえば、あいつらさっきサングラスかけてたよ」
そう聞いて、私はただ笑った。春奈も困惑と笑みが一対九に入り交じった表情になる。しかし、杏香は違った。凍り付いた表情が目に入る。
「……そう」
やけに落ち込んだ調子の声が落ちる。眉間に皺が寄っていた。
やがてT字路に行き着いた。私たちは右から来たので、あいつらもそっちにいるはずだ。しかし何故か杏香は右へ走り出した。春奈は気がつかないようでそのまま左へ進んでいく。私は少し迷って、杏香を追うことにした。歩いていた彼女はしかし、どんどん速度を上げて今までに見たことがないくらい必死に走り出す。脚の動きに合わせてスカートが翻る。
「待って!」
そう言っても止まらない。かえって速度が上がった気がする。
「どこ行くの!」
「逃げてるの!」
響いた言葉に、反射的に振り返った。ひどく遠くから女の子が走ってくるのが見える。春奈だ。
その向こうに、何かが見えた、気がした。黒々として形の崩れかけた何かが。
瞬間、走っているのに心臓が止まるかと思った。脳裏にバスガイドの話がよみがえる。
「この地方には、ある妖怪の話が伝わっています。その妖怪は崩れた女の姿をしていて、姿を見た人はどこまでもどこまでも追いかけられて最後には死んでしまうと言われています」
おばさんの話を、じゃあ誰が崩れた女の姿をしてるなんて伝えたんだと、笑い飛ばしたのが懐かしかった。そして恐ろしいことに気がつく。
この中で一番脚が遅いのは私だ。もちろん、一番それに近い春奈が捕まるかもしれない。でも逃げ切ったら?私を追い越したら?
十字路が見える。私を引き離した杏香がそれを直進する。私は、左折した。
夢中だった。次の角は右に。その次は左。まっすぐ、左、右、右、まっすぐ。友人2が追いかけられないようにめちゃくちゃに逃げる。もとの場所へ戻る方法を考える間もない。途中大きな駐車場やコンビニ、工場の横を抜けたけれどいちいち覚えていられなかった。ただがむしゃらにコンクリートを蹴り飛ばして前へ進む。
車の音が聞こえた。肺がパンクしそうだ。頬は火照り喉の奥から血の味がする。限界が来て、荒く呼吸をしながら歩いた。ひどく大きな道路だった。上り坂を歩きながらここまで来れば大丈夫だろうかと考える。しかし、確証はない。結局止まれなかった。息が整って、再び走り始める。脚が痛んだ。
前の方にバス停がある。道路に目を向ければバスがちらほらと見える。一瞬、乗ってしまえば逃げられると思った。だけどバスに乗ってあいつに追いかけられたら?いつかは降りなければいけない。あいつが車体を貫通しない保証もない。結局怖くて乗れなかった。
ふ、と鼻に柔らかな鼻の香りが届いた。反射的に右を向くと緑が広がっている。公園だろうか。左手には車が行き交う幅広の道路が延びているのに?
その不釣り合いさに惹かれるようにふらふらの脚でその中に踏み込む。追われているかもしれないのに、なぜか走る気にはならなかった。意識して深呼吸をするとひんやりとした空気が鼻を通り抜けるのがわかる。
どうやら、公園ではなく神社のようだ。小さなお社が見えてきた。といっても大した手入れはされていないらしい。表面の大部分が苔に覆われていて、辛うじて見える木はひどく黒ずんでいた。かなり近寄って、賽銭箱があるのを見つけたからお社だと気付くぐらいの荒れ方だ。
わらにも縋る思いでポケットから財布を引っ張り出すと小銭をありったけそこにぶち込んだ。二礼二拍手。必死に祈る。
「助けてください。許してください。友達を見捨ててしまいました。ごめんなさい。逃げたいんです。助けてください。許してください。許してください。許してください……」
何度も唱えていると、閉じた瞼越しにも周りが暗くなったがわかった。敷き詰められた玉砂利の上に重いモノが乗って、擦れて音を立てる。その音が、近づいてくる。
それに重なってぎちぎちと、何かを締める音がする。同時に、独特の気配も感じた。呟く、声。
「ゆルさなぃ、許サナい」
恐ろしくて目を開けられなかった。歯の根が合わない。必死に手を合わせたまま、今度は声を出さずに祈る。
その気配が通り過ぎたのを感じ、少し待ってから目を開ける。あいつは、いない。
「ナラば、」
しかし、耳元で声がした。しわがれた声。息を呑み、全身を汗が伝う。それでも振り返れない。
「代償に貴様の目を貰うぞ」
やけに流ちょうな声が吹き込まれた瞬間、僅かに薄暗かった視界が完全に黒くなった。我慢できずに叫ぶ。恐怖を発散するように暴れ、気がつくとどこかに横たわっていた。消毒液の匂いがする。目を覚ましたと、誰か女の人が叫ぶ。目の前は暗いままなのに。
結局、班の子は私以外見つからず、私の目は今も見えていない。