逃亡
あやしい洞窟にはぜったい足を踏み入れない。
小市民の小賢しさが鼻につくだろう?
いいの。
雑魚だから、はりきって中を覗きに行ったら一発で餌食になるだけって弁えてる。
というわけで全力で距離をとる。
具体的には戸締まりをして水と食べ物と着替えをもって避難所へ向かう。
そのうえで実家に帰るか、仕事を探しによそへ行くか決めよう。
壊れた窓や足跡だらけの室内の様子、建物の外観をできるだけたくさん撮影する。
保険適用されるだろうか。っていうかコレ小屋だから保険入ってないんじゃない?
歩いて集落に向かうため大容量バックパックにミチミチに詰め込む。軽自動車が使えないのは辛い。あれなら後部座席にデタラメに放りこむだけなのに。
中古で80,000km走行のポンコツだが、ちゃんと前に進むし右左折もできるし後進もする良い車だった。
残念だ。
名前もつけていた。
【豪天号】
中学生になって魔法少女自転車からママチャリに乗換えて以来、歴代の愛車につけてきた名だ。
舗装された道は使えなくても、迂回すれば降りられる。
集落からさほど離れていない。
なんちゃって村だからね。
草いきれの藪を払いながら雑木林のなかを降りる。
夏草の中に入るのはちょっとイヤ。葉っぱの裏にダニがいるんだよ。
長袖長ズボン農スパゲートルのちょっと降りるというにはガッツリ装備で徒歩十五分の迂回路。
軽なら五分。
避難所に行き叔父のお友達のお父さんに挨拶だけしておく。
テレビで被害状況の映像が流れている。
「ヘリの音がうるさくてイヤになる」
避難所滞在で疲れた顔でこぼしている。
「今晩までは余震が怖いから泊まるけど、明日にはだいたい片付くから帰宅するよ」
建物は見た目壊れていないそうで、なによりだ。
神棚のものが落ちたり、食器棚の中身は残念なことになったそうだ。
「そうそう。瑞希ちゃんの彼が来ていたよ」
「…っ?」
「心配していたから連絡取ってあげな。充電はそこで出来るから」
バッテリー切れで安否確認できなかったと思われている。
わたしに現在交際している相手はいない。
あれはわたしと交際していたことはない。
ここによく気づいたな。
漏らしたのは、だれだ。っていうか、たぶんあの子なんだろうけど。
何のために退職したか、あの愚鈍に膝詰めで説きたい。いや、理解しないんだけど。
既婚者とは付き合わない。
そう言って断わっても執拗な男からの理解が得られず
謎の「頑張れ、純愛」脳内ラブロマンス女の支援で追い込まれつつ
職場の白い目も痛くて
五百円玉大のハゲが幾つも出来たとき
もうムリだと観念して退職した。
アシのついている住居は引き払い、実家の老人を襲撃されるのを恐れて叔父の小屋に潜伏したのだ。
無事だなんて言わなければ良かった。
わたしが地元に帰ったことは記述しなかったのに。
ストーカーに実家を襲撃される危険は知っている。
だから、実家には帰れない。
避難所にもこのまま居られない。
幸い、小屋へ行く道は通れない。
床下の曖昧な恐怖より生きてるストーカーのほうが危険だ。
近日中に集落は復旧するという。
来週には移動販売も再開する。
あわてて飛び出すとき玄関から転げたおばさんが腰を打って怪我をしたという被害で済んで良かった。いや、おばさんは気の毒だが。
避難所で叔父友の親御さんとおしゃべりをしながら充電を済ませて、実家に帰ると告げて
小屋へ戻った。
県外に出るしかないかな。
続きは来週月曜日六時です