バルコニーの攻防
ミリーは、つい1週間前、王太子からのプロポーズを受けた思い出のバルコニーへと足を踏み出す。
今日は、あの日と同様、雲一つない青空である。
ミリーは両腕を広げ、大きく伸びをし、太陽の匂いが充満した空気を身体に取り入れる。
そして、徐ろに振り返り、私の名を呼ぶ。
「マチルダ様、そこで何してるんですか?」
存在に気付かれていないと思っていた私は、声をかけられてビクリとする。
慌てて壁の陰に隠れようとも思ったが、もう遅いだろう。
私は、何事もなかったかのような平然とした表情で、ミリーのいるバルコニーの方へと歩いていった。
「ここで会うなんて奇遇ね。私もバルコニーに出て、ひなたぼっこをしたくて」
「嘘はやめてください。私のこと、ずっと尾けてたんですよね?」
図星だった。
アランに婚約破棄を言いつけられた時、アランは「俺は、婚約前のことはお咎めなしだと言っているんだ。別に同時に何人と関係を持っていようが構わない。婚約前はね」と言っていた。
そこで、もしもミリーが婚約後に3人のうちの誰かと関係を持つようなことがあれば、それをカメラに収めることによって、アランの翻意を促せないかと企んだのである。
そのため、私は、ミリーの密会シーンを捉えるべく、彼女の行動を可能な範囲で監視していた。
あれだけ節操なく男と寝ていたミリーのお盛んな性欲も、婚約後にはパッタリであり、それどころか、食事の席を除いては、アラン以外の男性と接触することすらなくなっていた。
ゆえに、今のところ撮れ高はゼロである。
「尾けていただなんて、そんな物騒なこと言わないでよ」
しらばっくれる私に対して、ミリーは憮然とした顔を向ける。
「マチルダ様の目当ては何ですか?」
「目当て? 何の話かしら?」
「マチルダ様は、私を殺したいんですか?」
ミリーは、先ほどよりもさらに物騒なことを言った。
「事故死に見せかけて、バルコニーから私を突き落とそうとしてるんでしょう?」
完全なる誤解である。
たしかにミリーは憎い。この女さえいなければ、と何度思ったか分からない。
しかし、ミリーを殺そうだなんて、これまで1度たりとも頭に浮かんだことはなかった。
「誤解よ」
「いいえ。分かってます。マチルダ様は私に殺意を抱いています」
それは半分くらいは当たっているのかもしれない。
死んで欲しい、という気持ちが「殺意」だとすれば、それは心の中にある。
しかし、具体的に、ミリーを殺そうと思ったことはない。
冷静に考えると、それはそれで不思議な話かもしれない。
どうせゲームの世界であり、このままだと私の余命も幾ばくしかないのだから、「普通の人」はミリーの殺害を企てるかもしれない。
しかし、根暗な女子高生である私には、その度胸がなかった。
ゆえに、ミリーを殺さずに、お城から追い出す方法を考え続けていたのだ。
「そりゃマチルダ様は私のことが憎いですよね? 私さえいなければと思いますよね? せっかく王太子との婚約にまで漕ぎ着けたのに、結婚を目前にしてどこの馬の骨か分からない町娘にポジションを奪われたんですから。私の腹を八つ裂きにして殺してやりたいと思いますよね?」
普段のおっとりとしたミリーとは、口調も、言葉選びも違っている。
「魔性の女」がついに本性を現したのである。
「せっかく王妃になって、権力も財産も全て手に入れられるはずだったのに、その野望が潰えて、さぞかし悔しい想いをしてるのでしょう」
「そんなの興味ないわ」
「この期に及んで良い子のフリしないでください。悪役令嬢のクセに」
「……ミリー、あなた、もしかして、権力とか財産とか、そんなもののためにアランを選んだの?」
ミリーはフッと鼻で笑う。
「当たり前じゃないですか。私は貧乏人の家に生まれて、しかも顔も可愛くない。何も与えられないまま、この世に生だけを受けてしまったんです。そんな私が、王妃になれるんですよ? そんな千載一遇のチャンスを逃すわけないじゃないですか。だから、マチルダさんに土下座されようが何されようが、この座から降りるつもりはありません」
乙女ゲームのヒロインらしからぬ生々しい告白に、私は面を食らってしまった。目の前の女は、私の知っている「ミリー」ではない。
「だから、クシャルでもなく、ロウでもなく、カシージョでもなく、アランを選んだの?」
「ええ。もちろん。料理人の妻になっても、護衛隊長の妻になっても何も良いことはないですから。詩人の妻なんて最悪です。不幸せコースまっしぐらじゃないですか」
「じゃあ、その3人は単なる遊びだったわけね」
「そうです。……というか、マチルダ様、何で知っているんですか?」
しまった。
私が、ミリーと3人との関係を知っていることは、まだアラン以外には話していなかったのである。そのことを忘れ、何の考えなしに、ミリーに晒してしまった。
「もしかして、マチルダ様、今まで私のことを尾行して、私の行動をずっと監視していたのですか? 私の弱みを握るために」
「違う」
「絶対に図星だろ!! 本当に最低最悪の女!!」
ミリーは、鬼の形相で私に飛びかかってきた。
あまりに突然のことにかわすことはできず、私は彼女に押され、バルコニーの縁へと追い詰められた。
ミリーは私をバルコニーから突き落とし、殺そうとしているのである。
「何するのよ!? やめて!! 離しなさい!!」
「死ね!! 死ね!! 私の人生を邪魔しないで!!」
ミリーは私をドレスごと掴むと、上に持ち上げようとした。華奢な身体の一体どこに眠っていたのか分からない強い力で。
私は、必死に抵抗したものの、両足はすでに浮き上がっており、肩のあたりまでバルコニーの外に出ていた。
――このままだと殺される。
「きゃあ!!」
突き落とされる寸前に、私は、ミリーの左腕を思いっきり引っ掻いた。
これがクリーンヒットした。
ノースリーブで剥き出しだったミリーの腕に、私の爪が深く食い込み、血が吹き出す。
反抗の痕を残されては、私の死を事故死には見せかけられないと思ったのか、ミリーは私を突き落とすのをやめた。
最後の足掻きによって、なんとか私は、九死に一生を得たのである。
力尽き、バルコニーに倒れ込む私を、ミリーが睨みつける。
「私が3人の男と遊んでたことは絶対にアランには言うなよ!! それから、私を殺そうだなんてバカなことも考えるな!! アランには、私にもしものことがあったら、あんたの仕業だと思うように伝えておくから!! 負け犬は黙って小屋で寝ていなさい!!」
そのような捨て台詞を吐くと、ミリーは引っ掻かれた腕を押さえながら、小走りでバルコニーを離れた。