菓子パンの奇跡
夏の暑さは誠に煩わしく、涼しさを求めて家の猫が水道管の隙間に頭を突っ込んでいました。
外では、畑で採れたスイカを冷やすために、老婆がバケツを求めて物置へと向かっておりました。
虫除けの網を仕掛け、窓を全開にしても、吹く風は無く、暑さばかりが照り付けておりました。
「おーい、昼飯は何かあるかい?」
父親が遠く、台所に居る母親に呼びかけます。
「そうめんでも茹でましょうかねぇ」
「今からかい? そんなに待ってられないよ……」
「菓子パンならありますが」
「そんな物は子どもの食べる物だ。仕方ないからお湯を沸かしてくれよ。ちょいとばかし、庭で大葉を摘んでこよう」
「お願いしますね」
そんな訳で、父親が庭で手頃な大葉を摘み、水にさらしてそうめんを待ちかねておりました。
最初は僅かな揺れでした。
揺れは突如大きくなり、やがて立つのもやっとになりました。
「地震だ!」
父親は我先にと逃げ出そうとしましたが、居間で震える老婆を見て、慌てて抱えて外へと向かいます。
「お父さん! 大丈夫ですか!?」
火の元を消し、台所からふらつく足取りで母親が現れましたが、ミシリと音がした後に、家が崩れ、目の前が真っ暗になりましたので、三人は生き埋めにされました。
瓦礫に押され、僅かな身動きしか取れぬ自分が居ると、父親が最初に気が付きました。
手を動かすと、シワの深い手に指先が当たりました。呼びかけますが、その手は何も言わず、瓦礫の奥深くに残されたその体は、既にあの世へと旅立っておりました。
「……とう……さん」
僅かなうめき声が足下から聞こえましたので声を返しましたが、その声はか細く、どうやら強く瓦礫に押されて返事も侭ならぬ様子でありました。
天井と畳の狭い隙間を懸命に藻掻き、何とか体を反転させて、瓦礫を僅かに押すと、母親の体が瓦礫の下敷きになっておりました。
「だ、大丈夫か!?」
「何とか大丈夫です。しかし挟まって身動きが…………」
家に押し潰される形で取り残された二人は、誰か救助が来るのを待つ事にしました。
壊れたのか壊れていなかったのか、定かではありませんが、時計の音が、静かに瓦礫の山の中に響いています。
一先ず落ち着いた二人は、懸命に救助を待ちますが、やがて一夜をそこで過ごすことになりました。
翌日には助けが来るはずと、母親を励ましますが、その日も助けは来ませんでした。幸いにも水道管が壊れて水が染み出しておりましたので、飲み水にだけは困りませんでした。
次の日の朝、空腹で目を覚ましました。
何か無いかと、手探りで辺りを調べます。老婆の手は既に冷たくなっておりました。
箪笥にしまってある急須が指先に当たりました。
「……なんだ、急須だ」
父親は急須を転がし、深く残念な思いになりましたが、母親はそれを聞いて口を開きました。
「お父さん……その近くに菓子パンがあるはずよ…………」
「……分かった」
父親が更に手探りで近くを探すと、ガサガサとしたビニール袋を掴みました。
それは父親が拒んだ菓子パンの袋です。
袋は既に破けており、中は酷く濡れておりましたが、父親は躊躇うこと無く、それを半分にして母親の口へと入れました。
もう半分を自分の口へと押し込み、染み出る水で流し込みました。
次の日、また次の日と時間が流れました。
そして、ようやく二人は助け出されました。
久し振りの日の光は眩しく、二人は変わり果てた周辺の惨状に、我が目を疑いました。
毛布や布でくるまれた人々が次々と運ばれて行きます。
その中で、二人を救ったのは、菓子パンでした。
小さな菓子パンが二人を救ったのでした…………。
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