聖女の試し
砦からシーグル教総本山へは10日以上を要する道のりであった。
その途中では幾度かの魔物や野盗の襲撃を受けたが、実戦経験の豊富なグレイ達や冒険者として生き延びてきたセイラ達にしてみれば特に問題にもならずに進むことができた。
そんな中で、倒した魔物等に祈りを捧げる隊員達に対し、祈りを捧げることがないグレイに違和感を覚えていたセイラはグレイを見ていてあることに気が付いた。
聖監察兵団の制服の襟にはその者が信仰する教団の記章が付けられているのだが、グレイの襟にはその記章が無いことに。
「隊長さんはどの教団の方なんですか?」
セイラの素朴な疑問はグレイにとって何度も繰り返してきたものだ。
「私は国境警備隊から転属してきた身分で、信仰というものを持っていません。一応はシーグル教からの配属という形式になっていますが、そもそも神を信じていない私がシーグル教の記章をつけるのは相応しくないと思いまして、記章はつけていないのです」
幾度も繰り返してきた答えだが、うんざりしているというようなことはない。
質問者にしてみれば至極当然の疑問であり、グレイは自分の立場を明らかにするためにも真摯に答えなければいけないと考えているからだ。
ただ、普段ならばグレイの答えを聞いた相手の大半はグレイを白眼視するのだが、セイラは違った。
「そうでしたか。珍しい経歴をお持ちなんですね」
セイラの言葉にグレイの方が違和感を覚えた。
「・・・どうかしましたか?私、何か失礼なことを?」
グレイの反応に気付いたセイラが首を傾げる。
「いや、私が神を信じていないことを告げるとあまり良い反応は得られないので。まあ、当然ですがね」
「ああ、そういうことでしたか。私はあまり気になりませんよ」
「失礼だが、貴女の反応は珍しいですね」
セイラは肩を竦めて笑みを浮かべた。
「私は聖職者ですが、私が尊敬する冒険者さんに似たような方がいらっしゃいます。その方はネクロマンサーで、神の救いなんか微塵も考えていません。私はゼロさ、その方を見ていて色々な価値観があることを学びました」
「なるほど、あのゼロというネクロマンサーの知り合いでしたか」
「ゼロさんをご存知なのですか?」
「少しだけ。知っているという程ではありません」
グレイのことを知ってもまるで気にしている様子もない。
この若い神官はかなり柔軟な思考の持ち主のようだ。
数日後、一行はシーグル教総本山に到着した。
セイラの到着を待ち焦がれていた総本山では腰を落ち着ける間もなく聖女の試しが執り行われるとのことだ。
慌ただしいことだが、総本山の司祭達の気持ちも分からないでもない。
王国だけでなく、世界の存亡を掛けた戦いの最中のうえ、実に数十年ぶりの聖女の神託とのことだ。
セイラに掛かる期待が大きくなるのも無理のないことだ。
セイラだけでなく、アイリアとグレイ達も聖女の試しが行われる祭殿の間に案内された。
アイリアはセイラのパートナーとして儀式の見届け人となり、他の者は神官としてセイラの試しの最中に周りで祈りを捧げるとのことだ。
その祈りに宗派は関係なく、トルシアもイフエールもそれぞれの作法で祈ればよいらしい。
そこで困ったのがグレイである。
グレイには祈りを捧げるべき対象がない。
この場にいても邪魔になるだけだと考えて儀式を取りまとめている一番偉そうな司祭に事情を説明して退出しようとしたところ、グレイの事情を知っていたのか、その司祭は良い顔をしないものの、セイラを総本山まで護衛してきた功績もあり、祈りを捧げずともこの場で見届ければよいとのことで、アイリアと共にその顛末を見届けることになった。
試しを受けるために1人で祭壇に上がったセイラはその中央で右手を胸に、両膝をついて瞳を閉じた。
祭壇の周囲では高位の司祭や神官達、また、エミリア達もそれぞれの作法で祈りを捧げ始めた。
やがて祭壇奥の扉からシーグルの司教と、この試しの為に訪れたトルシア、イフエールの司教の3人が現れてセイラを囲んで祝詞を唱え始めた。
ピンと張り詰めた空気の中で3人の司教の祝詞だけが響いている。
やがて、祭壇全体を眩い光が包んだ。
光の出現に合わせて司教達の祝詞の声が一層高まったそのとき、光の中にうっすらと人影のような何かが現れてくるのが見え始めた。
(・・何だ?何が現れた?)
グレイが目を凝らしていると、うっすらとしていた影が徐々にはっきりと見えてくる。
白銀の衣を纏い、背中に2対の翼を持ち、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた美しい女性。
「・・・天使・・いや、女神か!」
信じていないグレイでもシーグルの女神の像くらいは見たことがある。
今まさにシーグルの女神が降臨したのだ。
神の降臨を前にして祝詞を唱えていた3人の司教も平伏している。
シーグル神は祈りを捧げているセイラに近づくと、2対の翼を広げてセイラを包み込んだ。
その場にいる者全てが祈りを忘れてその光景に目を奪われ、そのまま静かに時間だけが流れる。
まるで、時の流れから置き去りにされたような感覚に陥る中で、数秒か、数刻か分からない時間が流れた後、強い一条の光と雪のような優しい光がセイラを包んでいるシーグル神に降り注いだ。
セイラが聖女として認められた瞬間である。
光が収まり、セイラを包んでいた翼を広げたシーグル神は優しくセイラを立ち上がらせ、その手から生み出した一本の杖と白銀の法衣をセイラに手渡した。
セイラは今一度跪き、受け取った杖と法衣を頭上に掲げて深く頭を下げた。
その様子に見入っていた司教や神官達が我に返って再び祈りを捧げる。
シーグル神は一言も発することなく慈愛に満ちた微笑みのままで翼を広げて宙に舞った。
グレイの傍らにいるアイリアですら片膝をついて頭を下げている。
その中でグレイだけは膝を折ることもなく、頭を下げることもせずに冷静にシーグル神を見続けていた。
そんなグレイに気付いたのか、シーグル神はグレイに目を向けると一際輝くような笑顔を見せた後に徐々にその姿が薄くなってゆく。
その様子を表情を変えることなく見ていたグレイはシーグル神が姿を消しゆく中で最後は軍隊式の敬礼をもってそれを見送った。
静かに、厳かに聖女の試しが終わり、新たな聖女が誕生した。