イザベラの自信
世界を取り巻く情勢は悪化の一途を辿っていた。
帝国との戦争状態になり、アイラス王国が援軍を派遣していた連邦国は崩壊し、王国にも侵略の脅威が迫りつつあった。
更に世界を震撼させたのは、突如として周辺国に侵攻を始めた帝国は降臨した魔王に支配されているという事実だった。
魔王軍が王国に侵攻するのも時間の問題となった今、王国政府は国内に有する戦力に加えて冒険者すらも動員して東の国境防衛に当てることになった。
しかし、その戦力の中に聖監察兵団は含まれていない。
後詰めとして温存され、主に国内警備に当たることになっていた。
142小隊もここ数ヶ月の主任務になっていた人身売買組織の摘発に明け暮れていた。
そんな任務の合間の休息日、グレイはイザベラからの呼び出しを受けた。
呼ばれた先は王都中心部にあるちょっと高めの酒場、客を選ばす、庶民でも手が届くが、そう頻繁には来ることが出来ない程度に程よく上品で落ち着いた店だった。
グレイは予定時間よりも早めに店に来たが、既にイザベラは卓に着いていた。
「相変わらずですのね。軍人としては優秀でもエスコートとしては落第点なことは」
普段着のドレスにサーベル姿のイザベラ。
卓には既にワインが置かれている。
「時間に遅れるつもりはないのですが、エスコートとやらの匙加減が今一つ分かりませんので」
肩を竦めながらイザベラの対面に座るグレイは制服のままだ。
「どうせ理解するつもりもないくせに。貴方の頭の中は軍務のことばかり。余計なことを考える暇はないのでしょう?」
悪戯っぽく笑うイザベラ。
給仕を呼んでグレイのために火酒を注文する。
向き合ってグラスを傾ける2人。
暫しの沈黙の後に不意にイザベラが口を開いた。
その表情からは自信に満ちた笑みが消えていた。
「東の国境の砦防衛に出陣することになりましたの」
聖騎士団が出陣することはグレイも知っている。
「・・・どうしました?」
問い掛けにイザベラはグレイの目を見た。
「出陣する前に貴方に聞いておきたいことがありますの」
「?」
イザベラの言葉にグレイが意外そうな表情を浮かべた。
「私、戦いに挑む時は常に勝つことを考えていますし、その自信もありますの。例え敵が魔王軍でも同じ、今回の戦いも勝つ、つもりではいます・・・」
「・・・」
「でも、少しだけ・・・ほんの少しだけですけど、不安でもありますの」
普段のイザベラからは想像も出来ないような発言だ。
「貴方を見ていると、戦いに挑む時に私とは別の何かを考えているのでは?と思います。私とは別の何かを見ているような気がしますの。それを貴方に聞いてみたいのです。教えてくださいます?」
イザベラの問いにグレイはグラスの火酒の香りを楽しみながら口に含んだ。
「らしくないですね。イザベラさんらしくない」
グレイの言葉にキョトンとした表情を浮かべるイザベラ。
「私も・・自信を失うことだってありますのよ?特に今回の相手は魔王、またあの時のように・・・」
「また?」
「何でもありませんわ。でも、圧倒的な力を持つ魔王軍を相手にするのに少しくらい自信が揺らいでもいいのではありませんの?」
イザベラは少しふてくされたようにグレイを見上げた。
「それは仕方ないこと、というか当然のことです。それが強大な敵であれば尚更です。私がらしくないと言ったのはそこではありません」
「どういうことですの?」
「普段のイザベラさんならば教えてくださいます?なんて言いません。自信を失っているかどうかは分かりませんが、普段のイザベラさんならば問答無用で教えなさい!でしょう。不安を内に秘めても胸を張るのが私の知るプライドの塊のようなイザベラさんです」
「それって褒めていますの?」
「さあ?分かりません」
首を傾げるグレイにイザベラは吹き出した。
「相変わらず女性の扱いはてんで駄目ですのね?私も偶には弱音の一つも言ってみたい時もありますのよ」
「言い方ですよ。イザベラさんが不安を感じていること、それくらいは私にも分かります。弱音を吐いてみたいならば、普段どおり我が儘・・そう、我が儘を通してもいいのではありませんか?」
「私、我が儘ですか?」
「そうですね。私にはそのように見えています。でも、イザベラさんの我が儘は人を選んでいる。我が儘や無茶振りをしても対応できる相手にしか言わない、そう思います」
イザベラはグレイの言葉を聞いて手元のグラスのワインを飲み干した。
そして、吹っ切れたように笑みを浮かべる。
「訂正しますわ。女性の扱いが落第点と言ったこと。ギリギリ及第点をあげます。もう少し堅苦しさを取れば合格ですわ」
「そちらの評価はあまり気にしていません」
「それが貴方らしさですね。ならば、私に教えなさい、貴方が戦いに挑む時に何を考えているか」
グレイは頷いた。
「イザベラさんとは真逆です。私は常に最悪を考えています。必勝の状況下で敵が敗走する最後の1人でも、ここから形勢逆転されることはないか?自分ならばここからどうやって挽回する?そのためには何が必要か?そうなったら、盛り返されたらどう対処すべきかを考えています」
「常に敗北の可能性を想定しているのですか?」
「敗北の可能性・・・というか、負けないこと、を考えているのですかね」
「負けないこと・・・」
「これは聖騎士であるイザベラさんと軍人である私の違いでもあると思います。騎士と兵士は似ているようで非なるもの。常に崇高であり、勝利を求められる騎士と任務により失敗を許されず、それでも失敗したならばその被害を最小限に抑え、生還することを求められる軍人の違い」
「難しいことを言いますのね」
「そう大層なものではありませんよ。常に前を向いている騎士か、足下や背後を気にする兵士か、といった違いですよ。つまり・・・」
「つまり?」
「私の話はイザベラには何の参考にもなりません」
珍しくおどけたように話すグレイに呆気に取られたイザベラだが、思わず吹き出して笑う。
「貴方、私を元気づけようとしてますの?」
「どうでしょうね。ただ、聞かれた内容の答えは私の本心ですよ。私は軍の小隊指揮官として常に最悪を想定し、部下を生き残らせることを考えています」
イザベラは頷いた。
「やはり、私が見込んだ男ですわね。貴方が背後にいると思うと心強いですわ。私も二度目はありませんの。魔王だろうが何だろうがね」
イザベラの二度目という言葉に違和感を感じるも、それを聞くのは野暮な気がしたグレイはさりげなく聞き流した。
店を出て夜の街を歩く2人。
店の前で別れようとして叱られたグレイはイザベラを送る羽目になった。
さりげなくグレイに腕を絡めて歩くイザベラを騎士団の宿舎まで送り届ける。
別れ際にグレイに向き合ったイザベラは普段どおり自信に満ちたイザベラだった。
「行ってきますわ。魔王など軽く捻り潰してきますの。また会いましょう」
告げて踵を返したイザベラは振り返ることなく宿舎へと入って行った。
イザベラを送り届けて自分の宿舎がある第1大隊本部に帰ってきたグレイ。
大隊本部前の門には当直の警備兵が立っているが、その横にもう一つの人影があった。
そこにいたのは不機嫌な顔のエミリアだ。
「隊長!戻りが遅いです」
確かに遅い時間であるが、咎められるようなものではない。
「イザベラさんの用件だったんだ、断れるものではない。仕方ないだろう」
グレイの弁明にもエミリアの機嫌は直らない。
「そんなことは分かっています。でも、あの方は少し隊長のことを振り回し過ぎです」
「いや、それはイザベラさんに言ってくれ」
「言えないから隊長に言っているんです!それくらい察してください」
「いや、無茶な・・・」
結局、グレイはその後小一時間程エミリアの理不尽な説教を受けることになった。
今年最後の投稿となります。
来るべき新しい年が皆さんにとって良い一年になることを願います。
今年もありがとうございました。




