闇に潜る
休暇中の夜、グレイは喧騒渦巻く酒場にいた。
店の端にある卓についたグレイの目の前にはエールと何点かの料理、対面に座るのは薄い笑みを浮かべた男。
平服姿のどこにでもいるような男だが、負傷しているのか、右腕を固定している。
かくいうグレイも先の戦いでの傷が癒えていなく、左腕に包帯を巻いていた。
「いやはや、得意の槍を刈り取ったから大丈夫だと思ったのですが、剣技も侮れませんね」
「戦いでは便利だから槍を使っていますが、剣の鍛錬も怠っていませんよ」
「それにあの一撃、私を本気で殺そうとしていましたね?肝が冷えましたよ」
クロウが何でもないことのように笑う。
「それはお互い様です。お互いに仲間に気取られるわけにはいきません。手加減をして気付かないような仲間達ではないでしょう?」
「ごもっともです。ただ、貴方の副官ですか?彼女は何か気付いているのでは?」
「彼女は私に疑いを持っています。まあ、幾つかの任務失敗をしましたからね。分隊長達よりも私の思考を理解しているから疑われても仕方ありませんが、問題ではありませんよ」
クロウは果実酒を飲み干した。
「いやはや、想われていますね」
「・・・・」
騒がしい店内で語り合う2人の声を聞くものはいない。
端から見れば男2人が他愛のない会話をしているに過ぎない。
そんな中でクロウは表情は笑顔のままで、僅かに声を潜めた。
「私は暫く姿をくらませます。お陰様で組織での地位を確立することができました。その立場を盤石にしなければなりませんからね」
「予定よりも早いのではありませんか?」
「末端組織から潜入した私がこれほどの早さで内部に食い込めた。それもこれもグレイさんのお陰ですよ。次々と末端組織が潰される中で私だけが利益を上げていたのですからね。しかも、不自然さが露呈して疑われないように私の組織にもしっかりと打撃を与えてくれましたしね」
「・・・・」
「気になりますか?貴方が取り逃がし、私が売りさばいた人々のことが」
「知ったところで何も変わらないでしょう。我々は進んで闇に踏み込んだのです。彼等の心配をするなど、それこそ偽善です。私は私の選択を背負ってゆくだけです」
グレイは無表情のままだ。
その表情を見たクロウは笑みを浮かべたままで席を立つ。
「さすがですね。さて、私は旅立ちますが、今しばらくは今までどおりの匙加減でお願いします。申し訳ありませんが、もう少しの間だけ、お願いします」
クロウは卓に付いたままのグレイの肩に手を置いて周囲を見ると張り付いていた笑みを消した。
「この組織、思っていたよりも強大で凶悪です。末端をいくら潰しても意味がない。頭を潰して一網打尽にするために、私は更に闇に潜ります。次に会うのはこの仕事が終わった後になるでしょう。互いに生きていればですが。その時にはもう少し前向きなお仕事をご一緒したいですね」
クロウは卓の上に数枚の金貨を置いた。
「ここは私の奢りです」
そう言うが、明らかに額が多すぎる。
「ご馳走になりますが、多すぎますよ?」
グレイの言葉に再び笑みを張り付けたクロウ、いや、偽りの笑みではない。
「まあまあ、気にしないでください。次は奢ってもらいますから。それに、貴方の副官、彼女はとても優秀だ。しっかりと受け止めてあげてください」
言い残してクロウはグレイを残して店を出ていった。
1人で店に残ったグレイ。
今夜はいくら飲んでも酔えそうにないが、目の前のジョッキに手を伸ばそうとした時、背後に立つ気配に気付いた。
「・・・私に何か用件か?」
グレイは振り返ることなくエミリアに声を掛けた。
エミリアは黙ってグレイの前に座ると給仕の娘に果実酒を注文する。
「・・・・」
運ばれてきた果実酒のグラスを見つめながらも無言のままのエミリア。
「今は休暇中だ。休暇くらい私に付き合うことなくゆっくりしたらどうだ?」
「・・・・」
エミリアは顔を上げてグレイを見た。
眼鏡の奥の瞳は未だに迷いを帯びている。
エミリア自身、グレイを信じてついて行くと決めたのだが、不安なのだ。
「何を、いや、どこまで知っている?」
グレイの言葉にエミリアの鼓動が高まった。
「・・・隊長が、何か人道に外れることを・・・」
「そうか、やはりな・・・」
エミリアは目の前の果実酒を一気に飲み干して意を決した。
「教えていただくわけにはいきませんか?隊長が何をしているのか、何をしようとしているのかを」
グレイはエミリアを見据える。
「他の隊員には絶対に漏らしません。私は隊長が何をしようとも、副官として、いや、私は貴方について行くと決めました。でも、不安なんです。隊長のことです、私利私欲ではないことは分かります。でも、ならば、何が隊長をそこまでさせるのか・・・」
「エミリアが知る必要はない。知ってはいけないことだ」
突き放すようなグレイの言葉にエミリアの表情が曇る。
「私は隊長の・・罪を一緒に背負うことはできませんか?」
「罪か・・・そんな簡単な言葉では収まらないものだがな。この罪は隊長としての私の特権だ。他の誰にも譲ることも分けることもできないさ」
エミリアは再び視線を落とした。
「私は貴方を信じていいのですか?」
再び揺らいだエミリアの心、自分に問い掛けるように呟いた。
「それはエミリアが負うべきものだ。私を信じてついてくるも、私を見限るのも。そして、戦場で私を信じられないならば、迷うことはない。私を射ればいい」
「私が?そんな・・・」
「その選択の結果はエミリアだけが負うべきものだ。それこそ私が立ち入る隙もない」
ヘルムントやグレイに言われても迷っている、エミリアは自分が随分と優柔不断であることを思い知った。
それを自覚すると不思議と可笑しくなってきた。
(これからも私は悩んで、迷い続けるのかしら。でも、一つだけは自分を信じて決めよう)
エミリアは再び顔を上げると共に追加の果実酒を注文した。
「隊長!飲みましょう。とことん付き合ってください!」
結局、グレイはエミリアが酔いつぶれるまで付き合わされた。
酔いつぶれたエミリアを背負って夜の街を歩くグレイ。
(クロウさんのあの金貨、全てお見通しということか・・・)
1人で笑うグレイ。
「・・・隊長、私は貴方の行く末を見届けたくて付いてきたのです。そして、これからも・・・その責任を取ってください・・・」
眠りながら譫言のように呟くエミリア。
「責任か、任せておけ。私はどんな責任からも逃げはしない。責任をとるのが私の役目だ・・・」
夢現の中でグレイの言葉を聞いたエミリアは安心したように静かに寝息を立てていた。
(責任か、いくらでも受けて立つさ。その時に私の命が有るのならな・・・)
 




