聖務院聖監察兵団
グレイは神を信じていなかった。
神の存在を信じていないわけではない、実際にこの世界には神が存在していることも知っている。
そのうえでグレイは他人の信仰を否定するつもりはないが、自分自身は神に祈りを捧げたり、救いを求めるつもりは毛頭ない。
自分の人生の責任は自分自身が負うべきであるとの信念を持っているのである。
グレイは意を決して口を開いた。
「私の身分表にも記載してありますが、私は信仰を持っていません。そんな私が聖監察兵団の神官戦士になることはできないのではありませんか?」
命令に背くつもりはないが、自分の信念を曲げるつもりもない。
聖監察兵団で神官戦士になるために自分に嘘をついて形式だけの信仰を持つつもりはないのだ。
毅然として、はっきりと意見を告げたグレイに目の前の役人は顔色を変えず、2人の聖騎士は互いに目配せをして頷き合っている。
「それについては問題ありませんの。確かに現在聖務院に席を置いている者は例外なく3神の何れかの神を信仰しています。でも、それが当然のこととなっていて、内部規定には信仰を持つ者でなければならないとは明文化されていませんの。裏を返せば、信仰を持たない者が聖務院に席を置いてはいけないという規定もありませんのよ」
イザベラと名乗った聖騎士が悪戯を企む子供のような表情で語る。
イザベラに続いてヘルムントと名乗った聖騎士が続ける。
「神への忠誠が求められる聖騎士は信仰を持つ必要があるが、聖監察兵団の神官戦士であれば現在のグレイ殿の立場でも問題はない」
2人の説明を聞く限り、グレイが信仰を持たないことを承知のうえでの命令のようだ。
「グレイには信仰を持ってもらう必要はありません。形式的にはシーグル教からの配属ということになりますが、シーグルの女神は寛大ですの。だからグレイはシーグル神を信仰しなくても結構ですわ」
グレイはまだ返答に窮している。
神官戦士ともあれば、信仰に対するしきたりや儀式等もあるのではないだろうか。
グレイは神を信じていないが、信じていない神を崇めるふりをすることは他の熱心な信徒に対する冒涜であると思う。
「グレイ殿の考えていることは分かる。神官戦士ともなれば堅苦しい決まり事があるのではないかと危惧しているのであろう?しかし、それは心配には及ばない。いかなる宗教的な儀式もグレイ殿が強制されることはない。そんなことは敬虔なる信徒が担えばよいのだ。グレイ殿は軍務的な命令にのみ従ってくれればよい」
説明を聞いて、やはり全て根回し済みでグレイの退路は全て断たれているのだ。
こうなってはグレイが取るべき道は1つだけ。
グレイは目の前の3人に対して踵を鳴らして敬礼した。
「聖務院聖監察兵団への転属、拝命いたします」
グレイは聖監察兵団への転属命令を受け入れた。
直ちに聖監察兵団に着任したグレイは軽鎧に青色のコートという制服に身を包み、人生で2度目の新兵訓練を受けていた。
軍務経験どころか実戦経験も豊富なグレイに新兵訓練は必要なさそうであるが、そもそも国境警備隊と聖監察兵団では部隊運用の方法が違い、聖監察兵団での部隊行動を学ぶ必要がある。
更に、国境警備隊では槍を扱っていたグレイだが、聖監察兵団では分隊長以下の隊員の武装はハルバートと予備の短剣と決められている。
他に各分隊に1名程度選抜された隊員が弓を装備することがあるが、基本的には自分の武装を好きに選ぶことはできない。
自分で武装を選べるのは小隊長以上の士官だけである。
そこでハルバートを用いた戦闘法を学ぶ必要があったのだが、それでも他の新兵よりは遥かに短縮された訓練期間を経て正式に部隊配属となった。
聖監察兵団での任務は想像以上に多岐に渡っていた。
各宗教施設や要人の警護、聖務院や各教の内部犯罪の摘発、各宗教犯罪の鎮圧や信仰に害をなす魔物等の殲滅。
捜査や調査を主体とする任務や武力を行使する任務と様々だ。
そんな中でグレイは信仰を持たないがために上官や同僚から白い目で見られ、後ろ指を指されながらも自分の信念を曲げることなく任務に明け暮れ、やはり持ち前の真面目さと芯の強さと軍隊での実戦経験を評価され、1年後には国境警備隊の時代と同じ分隊長に任じられていた。
実戦経験の豊富なグレイが率いる分隊は特に危険を伴う任務を優先的に割り当てられ、グレイの部下の4人の隊員は経験を積み重ねていった。
グレイの指揮下において隊員は実戦経験を積み、精強に成長し、次々と他の部隊に転属し、入れ替わりに経験は無いものの、将来有望な隊員が配属されてくる。
グレイの分隊は若い隊員が経験を積むための配属先と位置付けられ、配属される隊員も神を信じていない分隊長を軽蔑の目で見るものの、短期間の配属であることと、貴重な実戦経験を積めるということでグレイの指揮下で積極的に任務に当たっていた。
グレイの分隊から次々と優秀な隊員が転属していくため、イザベラとヘルムントの思惑どおり、少しずつではあるが、聖監察兵団の実戦能力が向上していた。