生キ残リ
「動かないでください」
地面に叩き付けられて数分、泥まみれの女の子に手当をされていた。
「んなこと言われても動けねえよ、チクショウ」
竜巻で辺り一帯を草の根まで巻き込んで空に巻き上げたは良い。状況から抜け出すためには仕方が無かったことだ、二人とも喰われた。一人でフリーランサーなんていう化け物相手に戦ってはいけない、その常識に従って逃げるためにやった。
風を操る近接型魔術師、そんな者は他にも居るが、まさか相手も同じ事が出来るなんて……思ってもなかった。戦闘教本で読んだ、風の魔物を相手にする空戦機動と言うやつを初めて見た。そしてフリーランサー相手にそれだけのことをやらせた、褒められることだがそれが出来ると言うことはそいつはやり慣れていて、風に巻かれて相手に傷一つつけられなかった。
「は、ははっ、初めて本気で……負けた。強えぇなあいつ」
「止血しますから、じっとしててください」
「やめろ……無駄なことだ」
「嫌です生きてる人は助けます」
抱えていた鞄から筒型の容器を取り出して、深い刺し傷に噴射する。
「痛ってお前なんだそ痛あっ! 待て、それ待――」
傷口についた薬剤は血液に触れるとすぐに白くなって固まっていく。凄まじく滲みるのがアレだが、その場での止血と消毒には重宝する。
「つぅぅ……」
「我慢してください。肩とお腹と、太股。他に刺されたところはないですか」
「それだけだ。空中戦なんて……まあいいか。悪いな、巻き込んで」
「…………。」
「どうした? 泣いて……あぁお前も怪我して、血が」
「わ、私は大丈夫ですから」
「強がんなよ、って動けない俺が言うのもなんだけど。お前、名前は? あまり見ない服装だが、どこの所属だ?」
「ユズリハって言います。所属は……ありません」
「ユズリハ……どこの国の名前だよ、聞かねえ名前だな」
ぼんやりと砂の舞う空を眺めながら治療を受ける。
不自然だ、なんでこんなところに女の子がいる。ここは比較的安全とは言え武装して歩く場所だ、近くに村があるわけでもないし、なぜこいつはこんな状況で慌てず、しかも薬まで持っている?
「……スコールの仲間か、お前」
考えられるのはそれくらいだった。
「……そう、です」
「なんで俺を助ける? なんで殺さない?」
「助けられるのに助けないなんて、そんなことしたくないんです」
「そうして敵を助けて殺されたらどうすんだよ。俺の仲間が二人もやられた、その仕返しで殺されるって思わないのか」
「…………。」
「言わねえなら、まあいいけどさ」
流れが変わった、風に乗って血の臭いが流れてくる。
上半身を起こして、立ち上がろうとして失敗した。
「ダメです、まだ動いちゃ」
下手に倒れて傷が痛む。それでも我慢して、片腕だけで起き上がる。
「風よ、我に集え」
緩やかに風向きが変わって、さすがにそれはユズリハにも分かった。草が風の流れとは違う揺れ方をして、魔物が、ゴブリンが姿を見せる。小柄な体躯に尖った耳、刃物や弓を手に囲むようにゆっくりと迫ってくる。
スコール曰く、ゴブリンやコボルトなどの道具を使う連中が一番厄介で危険だとのこと。道具を理解し作る、そして化け物が蔓延る世の中を生き抜く。知識と技術に実力まで十分に備えた強敵なのだ。
「なんで、こんなところに魔物なんて」
恐ろしさを知っているが故に怯える。
「あんな雑魚に怯えるな。初心者の訓練相手だぞ」
そんなことを言って良いのは数が少ないときだけだ、数が揃えばそれはもう村一つ、下手すれば正規軍の一部隊でさえも狩られる側になる。
幸いにしてヴェントは風の使い手。自分の周りに風を渦巻かせてしまえば重装備の騎士でさえも膝をつく、体重の軽いゴブリン程度ならば近づくだけで吹き飛ばされる。飛び道具もよほど重量があるものでないと意味をなさない、とくに通常の矢程度では風に捉えられた瞬間に余所に飛んでいく。
「だいだいゴブリン程度――」
どうってことない。
そんなことを言おうとした矢先に突っ込んできた巨体に弾き飛ばされた。
「ってぁっ!? 折れた、これは折れたクソッ!」
脚の激痛を無視して走り去っていくイノシシに手を向け、ドゴッと音がして周囲の地面もろともイノシシが潰れる。
隙を見て矢を射かけられるがすぐに風の壁を展開して防ぐ。
ゴブリンが他の生き物を使役すると言うのはよく聞くが、実際に経験したのはこれが初めてだ。今まではそんなのにあうまえに終わらせていた。
「ユズリハ肩を貸せ!」
「は、はい!」
「お前が頼りだ、俺が全力で防ぐから……だいたいあの方向、ずっと行ったら街があってカザークの斡旋所がある。無理を承知で頼む」
「分かりました」
「もし俺がダメになったら、そんときは置いて行け」
無理してでも連れて行けなんて、そんなことは言わない。どこで死のうがそれが自分の運命だったと受け入れる。その考えで傭兵をやってきて、まだ生きているのだから。誰かを巻き込んでまで死のうとは思わない。
「出来りゃこの剣、もしものときは斡旋所まで持ってってくれ」
「そうならない方がいいですけどね」
ユズリハを支えにして立ち上がるが、小柄な女の子に結構良い体格の男が体重を預けると言うのは少し無理があるようだ。
「あっ」
「悪い、やっぱやめよう。俺がなんとかするからお前だけ逃げろ」
「大丈夫です。……嫌なんです、もうそういうのは」
「なら頼むぜ」
ヴェントは目を閉じて意識に入ってくる音も認識から外した。風に巻き上げられた草や泥でどうせ見えないし、さっきの一撃で視界が霞んだままだ。音も暴風の雑音しか聞こえない、必要ない。
要るのは風の流れだけ。感じるままに、感じたままに、そこに動く物があれば障害と見なして吹き飛ばせば良い。
その覚悟で歩き始めて、一時間もした頃には死を覚悟していた。瞬発的に使う魔術を連続して使い続けるのは、常に出血し続けるようなもの。
意識が途切れそうになるが、折れた足を踏み出す痛みで無理矢理に起こす。死ねない、たぶんこの女の子は自分が死んだら素直に逃げていく事が無いだろう。
「ユズリハ」
一時間ぶりに話しかけた。それがきっかけか、緊張の糸が揺らいだ。
ぐらっと、体が倒れる。支えのユズリハが倒れた。
一時間ぶりに認識した光景は、火照った顔で異常な汗をかいて呼吸も乱れたユズリハの姿。
「おい、どうした? なんでそんな――」
戦闘中に気を散らすとどうなるか。
「――あっ」
風の壁を突き抜けてきたイノシシに、今度は本当に危ない直撃をくらった。牙による一撃はたやすく戦闘用の丈夫な服を貫き、腹に深い傷を入れた。
「ぐっ……んのっ!」
圧縮した空気で弾き飛ばし、体勢を立て直す前に地面ごと空気で押し潰す。
「……はっ?」
一頭仕留めて周りを見ればイノシシにゴブリンが乗って囲み、それはとても迎え撃てる数じゃない。
「は、ははっ……終わりか。はぁ、悪いな巻き込んで。俺を見つけなきゃお前は死ななかったのに」