兵士ト悪魔ノ踊ル大地
「慣らしは終わった?」
「取りあえず……でも気にくわない」
グランバルの陣営付近の川で、汗を流していたペルソナは胸に手を当てる。
「胸が?」
「揺れる、痛い、こんなもの戦いには邪魔なだけ」
キサラの体に移ったのは良いが、感覚を慣らすためにレクト相手に軽い戦闘行為、その後は単独でムチャクチャな動きをしてみせた。走って、風を捕まえて滑走、飛び立って急上昇して急降下、地面にヒビを入れるような着地まで。普通なら体が壊れるのだが、そこは今までの経験でなんとか出来た。ただ、今まであった長い髪がなくなったおかげで、光が眩しく感じるような気がする。そしてなかった物が、胸が大きくなったせいで下手なことすると、痛い。経験が無い以上はどうしようもない。
「そんなこと言っても、小さくすることなんて出来ないから。我慢だね」
「……揉んだら、小さくならない? こう、胸って脂肪の塊だから、別の場所に脂肪だけ移動させるように」
艶めかしい光景から目を背けながら、ある噂を思い出す。
「ならないと思うよ。むしろ揉んだら、大きくなるらしい」
舌打ちが聞こえた。戦場に立っていなければ、事務仕事ばかりだが、ときおり下働きの若い女性たちの会話から胸が小さいのが嫌だとか大きくしたいとか言う会話が聞こえてきていた。逆に小さくしたいなんて全然聞いたことがない。
「そうだ、確認だけどグランバル中央軍に協力することって出来るかな」
「嫌」
交渉の余地がない即答が飛んで来た。
「ど、どうしてかなぁ……」
こっちをどうにかしないと後が不味い。自分の人生、そしてグランバルとセンタクスの関係悪化もあり得る。
「カネ次第で何でもするけど、あいつらは別。やり方が気にくわない」
「何があったの。君がそういうこと言うのは珍しいよ」
「……中央軍に協力するなら、ここで殺す」
傭兵としては、持ってはいけない考え方。間違った行動だ。だが、人としては正しい。
「分かったよ、じゃあ、どこになら協力できる?」
「グランバル東部」
「本気で言ってる、それ」
現在の内乱とは、仕入れてきた情報に寄れば、東部を治める国の王女が女王と兄弟を殺し、国民を惨殺して急な宣戦布告をしたことが原因らしい。従える兵士はそのどれもが強力な魔物らしく、だからといって魔物相手に特化したグランバル軍が押されている、そんなことはなく押し返しているとのこと。そんな事を聞けば東部の側に協力したいなどとは考えもしない。しかしペルソナはその事情を知っている。レクトとは別行動で仕入れてきたらしいが、共有まではしてくれていない。
「レクトは、どうしたいの」
「どうしたいって、僕は命令をこなして帰る、そして報告。これが僕の」
「そうじゃない。どうして、それがしたいの? ただ流されてやって、生きて、それでなにが、あなたがしたいことが出来るの?」
と、そういうことを言われてしまうと言い返せない。だから、言えるようなことも必然的に。
「国のために命をかける、それが兵士の務めだ」
「そっ……さよなら」
愛想が尽きた、そんな声音で。川の中に潜ったペルソナが再び浮かび上がって来ることはなかった。
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あれからしばらく。城郭都市を目指して歩いていたレクトは、センタクスの陣営を見つけた。おかしい、この先には城郭都市があるはずだが、まだ攻め続けているのだろうか。それにしては静かだ、不審に思いながら距離を取って迂回することにした。
センタクスへの連絡をすることもなく、またあちらからの連絡もなく戦況は悪化している。この状況ではどう言い訳しようにも問答無用という結末に至る可能性が高く、どうやって〝生き延びる〟か、そこに重点を置いていた。センタクスの通常部隊には遭難した場合の自力での脱出、生存のための食糧確保の方法などは希望者にしか教えられない。通常の戦闘では物資も十分に揃え、指揮官の指示の下、確実な作戦遂行と安全な撤退、もしくは全滅しかないのだから。
「……静かすぎる」
迂回して川沿いの茂みの中を進んでいたが、鳥のさえずり、獣の気配、水の中を泳ぐ魚、そのいずれもがない。言葉にして、今気付いた、水辺に近い植物が黄色に変色して弱っている。枯れかかっている、というべきか。ともすれば、魔物に遭遇してもいいのに全く遭遇しなかった今まで自体もおかしい。
草を掻き分け進むとセンタクス兵の腐乱死体があった。争った痕などまるでなく、ここで力尽きたようだが装備に攻撃を受けた傷すらない。いきなり首を斬られたなど、一撃必殺なら戦闘の痕跡が残らないだろうが、そもそも陣営があって兵士がいなくなった時点で騒ぎになって捜索が行われるはずなのだ。なのに腐り果てるまで放置、ともなれば陣営自体が静かなのも、すでに全滅したあとということが考えられる。
迂回するのをやめ、陣営へと足を向ける。全滅している〝かも〟しれない。可能性であって確定ではない、何事もなく兵士が潜んでいるだけならば、レクトは逃亡兵扱いで捉えられる可能性だって否定できないのだから。警戒しつつ進む。視界が通る位置まで出ると、一度伏せて陣営を観察する、見える範囲で動くものはなにもない。姿勢を低く保ったまま、敵陣に忍び込むときと同じ気の持ちようで行動する。
馬の死骸があった。食い荒らされた痕跡がない。かがり火があった、消火したようすもなく燃料が補給されずに燃え尽きたようだ。陣営を置いている以上、火災や夜襲を考えてこんなことになるのはあり得ない。近づくほどに腐臭が強くなる。もう分かる、この陣営に生きている人など居ない。
駆け抜けた。死体しかなかった。陣営内には全く戦闘の痕跡がない、魔術でこんなことが出来るやつを知っているが、国相手にこんなことはしないはずだ。だがその可能性を排除すると、毒か? だがどうやって。
思うと一つの可能性が浮かぶ。
「……川、水辺に毒を」
飲み水にも、料理にも。それならば人も馬も、その周りで生きるすべてに影響がある。だからなにも、生き物の気配がなかったのか。だったら、その川の水を飲み水にしている自分はなぜ生きている。即効性ではなく遅効性、そう考えれば納得がいく。
では、誰が毒を流したか。下流には城郭都市だ、いくら攻められているからといってそんなことはしないだろう。そもそも見つからずに上流までは行けない。ならば? この付近の川の一つはグランバルから続いている。あちらの作戦か? 自国の領内を危険にさらしてまで、土地そのものを使えなくする戦術は使わないだろう。だがレクトが何にも遭遇せずに歩いてきた道筋はまさにそれなのだ。
やるとすれば思い当たる存在が、ペルソナがいる。彼女なら平気でやるだろう。いずれ川から地下に滲みた水が井戸から街中へと広がり、その水で作られた物が国中へと。どんな毒かは分からない、最悪の可能性を考えればあり得る。もしかしたら幾重にも重なる地層で濾過され、自然の中で分解され、あるいは揮発して消えていくか。ペルソナがやったという前提ならば最悪の可能性を考えた方が良い、彼女は敵を潰すときに中途半端はしない。
吐き気を押さえて陣営の中を歩いた。蠢く蛆虫に背筋がぞわぞわとし、蝿の音が耳障りだ。使えそうな物はなかった。いや、あったが剥ぎ取りたくなかった。馬の一頭でも生きていればと、あちこち見て回ったがどこもかしこも死体ばかり。これでは向かう先の城郭都市も危ういのではないだろうか。あそこなら立場がどうであれ受け入れてくれそうではあるが、それが危険だとは承知の上だ。危険だから、それは良く理解しているつもりだ。国が潰しに掛かるのも分かる。
結局、なにも得ることなく陣営から出た。川、あそこから毒が来たか? 上流を振り返って見る、黒い靄が見えた。例の瘴気とそっくりだ。以前も、あれを目指してペルソナと出会った。また、あれを目指していけば出会うだろう。今度は話を受け付けない敵として。
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翌日。日の出と同時に行動をはじめ、日が昇りきる前の涼しいうちに城郭都市の城門にたどり着いた。辿り着けてしまった。見えたところで一度様子をうかがってみたが、見張りの兵士どころか出入りする人影すらなかった。近づいて矢が飛んできたほうがまだ安心できた。ここまで何もない……静かだと、センタクスの陣営と同じ結末が予測できてしまう。頼むから生きている人がいてくれ。そう願って、半開きの城門から中に入る。
とても静かだった。閑散とした街を歩いていると、時折風に動かされて軋む木の音が響くくらいで、何もない。何も、いない。こういう時は路地裏に隠れていたり、空き家に隠れていたりするのでは。と、勝手に失敬して上がり込んでみたり、薄暗い路地を探索したが誰もいない。
城郭都市の中心部ならさすがに何かあるだろうと、足を進めてはみたが、そこに繋がる道が尽く途絶えていた。この崩れ方は戦闘があったはずだ、爆薬か、それとも魔術でないと崩せない。破城槌などここまで持ち込むことができないはずだし、轍がないなら持ち込んでもいないだろう。あれのあとはなかなか消えるものではない。瓦礫の山を登って、見えたのは死体の山だった。センタクス兵のものばかり。視線を落とせば、見知った装備をつけた死体があった。崩れた城壁に背を預けた状態で、槍に貫かれている。
「カザークの……」
誰だったか。覚えはある、大地を抉り敵陣に飛び込んで大暴れする化け物だった。こいつなら、なるほどとうなずける。さすがに進む気にはなれず、再び瓦礫の山を登った。城壁の向こう側に焼け焦げた大地が見えた。森の中を進んでくる部隊を焼き払ったのだろうか、しかしそれにしてはなんだか緑が混じっているあたり、最近のものではなさそうだが。
「ここもダメか」
降りるか、と、視線を下に向けた。いつの間にか懐に入られていた、刺された。
「だっ、なんっ」
小柄な男の子……いや、女の子だ。刺したまま刃物を回し、真横に振り抜かれ腹の中身を零す。致命傷だ。
「づっ……この、や、かたは……かざ、く、の……アーヴぇか」
「よく知ってるねぇおにーさん」
倒れはしなかった。だが力が抜けて、その場に座り込んだ。治癒魔術が使えるものがいなければこのまま死ぬ。無理に言葉を吐き出そうとせずに、大きく呼吸をして慌てる意識を押さえつける。
「ふっ……く、痛いね。さすがカザークの暗殺者。ぜひとも味方であってほしかったよ、その腕があれば大活躍じゃないか」
「あらら、今から死のうってのによゆーだねー。まああたいも久しぶりの話ができる人だから付き合うけどー」
「だったらいきなり刺さないでほしいなぁ……僕はどっちかっていうと後方だから、戦うことは得意じゃないんだ」
「そーなんだ、意外。スコールとおんなじ雰囲気がしてたのに、なんかつまんなーい」
「僕が? 彼は、なんていうかメチャクチャだろう」
「そだねー。見てよこれ、スコールにほっぺザックリやられたんだよ、酷くなーい」
「うわぁ女の子の顔にそんな、一生残る傷をつけるのは酷いね」
「でしょーほんと酷いよねー、お嫁に行けなくなったらどうしてくれんだーってさー」
「そりゃあその時は貰ってもらうしかないんじゃない。彼なら、その辺はきちんとやってくれだし」
「うーん……まあ、初めての人だし、それもありかも」
「おやおや、スコールのそういう情報は聞いたことがなかったから、いい収穫だ」
視界はかすんでうまく世界を認識できず、感覚がなくなって、座り込んでいる状態なのかさえも疑わしい。いまかすんだ視界に移る色は空の雲の色か、それとも崩れた城壁の色か、それもわからない。寒い。
「おにーさんは初めてしたときって、どんなだったー?」
「残念ながら、僕はそういうこととは全然縁がなくてね」
話すことで意識をつなごうとするが、言い終わるたびに沈む。考え続けることで保とうと頑張るが、そろそろ無理だ。
「君は、どうだったのかな」
「みんなは初めては死ぬほど痛いっていうけど、あたいはそうでもなかったねー。ていうか、恥ずかしすぎて心臓バクバクでよく覚えてない」
「ははっ、そっか……案外、みんなが言うから噂も本当っぽくなるんだろうか」
死んだら天国に行くだとか地獄に落ちるだとか、どこかの宗教ではそう言われているらしい。レクトは、そうは思わない。ただ、自分が認識する、自分が生きる場所が消える。それだけだ。死んだら、意識が永遠に途絶えて、そこにあるものを認識できなければ、それはないのと同じだ。消えるだけなのだと。いつか、宗教にはまっていた同僚とはそれで大喧嘩になったことを覚えている。だが、神などいないと信じる。唯一の存在であるならば、名前など必要がない、たった一つだったら、他と区別する必要すらないから、区別するための名前などいらない。宗教の数だけ神がいる、それは人が創り上げた偶像だ、努力せずに怠けるやつらが祈ることで自身の怠惰を正当化するための道具だと、思ったことをそのままぶつけて、危うく殺されかけたなぁ……。
「おにーさーん、おにーさーん……。ありぃ、死んじゃったかー」




