過去との接触
-1-
病院に着いた、病院と言うよりは村の小さな診療所と言った感じだろうか。
彼女が家の次に長くいた場所、元は白かった外壁は雨風のせいでくすんでいて、伸びた蔦がいくつも這っている。
鍵は掛かっていないようだ、中は薄暗い、明かりを浮かべると見覚えのある空間が広がっていた。
今いる場所が受付と待合室、すぐそこに診察室、廊下の奥に重傷者用の病室がある筈だ。
時間を潰すための本が置いてあった空の本棚と汚れた長椅子が二つ並んでいる。
あの本棚に置く本は子供向けの物からそうでないものまで、読んで面白いと思った物を置いていたらしい、そのせいで気まぐれに本棚の内容が変わる事があった。
「……」
気を取り直して受付を調べる、何か記録が残っているかも知れない、他にも何か手掛かりになる物があるかもしれない。
受付に回り込み、いくつかある引き出しを下から開けていくが、全ての引き出しを調べても何も見つからなかった。
処分されてしまったのだろうか、この様子だと他の物も処分されているかも知れない、そうだとしても調べない訳にはいかない。
受付で調べる必要があるのはここぐらいだろう、今度は診察室に向かう。
診察室の扉を開けると軋んでいてぎぃと不快な音が響いた、部屋に籠っていた空気が流れてきてほんの少しだけ異臭がした。
丸椅子が二つと机が一つ、壁に沿って置かれた棚には今は何も入っていないようだった。
何でも治していたように思う、本人は何でも治せる訳じゃないと言っていた。
あの棚には治療のために使う道具や薬剤、教本の他に治療が終わった子供に渡すため、と言って菓子が入っていたが隠れて摘まんでいるのが見つかってからは受付に置くようになった。
「ここも……何もないか」
気を紛らわす為にもそう独り言を呟く、妙なことを思い出してしまわないようにざっと見て、それ以上は調べないようにしてしまっている、調査が少し雑になっているが、知らない事を思い出すよりはいい。
診察室を出て、最後に少し奥まった部屋に向かう。
重傷者用の病室、ここが必要になるような大怪我をするような事は滅多に無い、たまに掃除こそしているがこの部屋を使ったのはあの時が初めてだと言っていた。
彼女と初めて出会った場所。
「……」
扉に手を掛け、ゆっくりと開ける。
中は綺麗なままだった、あの時見た物がそのまま残っている。
綺麗なベッドとシーツ、部屋の中央に吊り下げられた部屋全体を照らしている明かり、見飽きる程に見ていた天井。
部屋自体に魔法の効果を高めるための処置をしているから他の部屋と少し違う、と言っていた。
「ここ、は……」
部屋の中に入ろうとした時、誰かに腕を引っ張られたような感覚があった。
引き留められるような感覚、足を止め、引っ張られた腕に顔を向けるけど何もない、何故か思考がはっきりとしてくる、そこでやっと今の状況の異常さに気付けた。
こんな状態で残っているわけがない、なのにどうしてそんな場所に無警戒に入ろうとした?
肌で感じる魔力は異常なものだ、それを異常と認識できていなかった、どうして今まで気付けなかった?
半歩後ろに下がると部屋の明かりが不規則に点滅を繰り返し始めたかと思うと、突然濃い霧が部屋を覆い隠した。
警戒していなかった訳じゃない、この部屋には何かあると身構えようとしていた、それが間に合わなかった。
「ォォォォ──」
風が抜けるような低い音が響くと部屋から溢れてきた霧に飲み込まれた。
-2-
何も見えない、自分の姿を確かめる事も出来ない程だ。
突然暗闇から伸びてきた見えないいくつもの手が私を押さえ付けようとする。
振り払っても、またすぐ別の腕に体を掴まれ切りがない。
その内の一つが頭に触れると気色の悪い感覚が流れ込んでくる。
何かが私に干渉しようとしている、何かは分からない。
『』『』『』『』『』
何か聞こえる、雑音の筈なのに、聞き取れない筈なのに、何を言っているのかは分かった、分かってしまう、いくつもの声が重なった声。
知らない誰かと話をしている、初めから決まっていたみたいに私の言葉を待たずに次の言葉を続けていく。
一つは村で会った青年だ、良く言えば気さくで、悪く言えば馴れ馴れしい良い奴だった。
一つは村にいた婆さんだ、人使いは荒いが褒美にと渡される焼き菓子は絶品だった。
一つは村にいた子供だ、話すことはあまりなかったが熱心に本を読んでいた、将来は魔具師になりたいそうだ。
どの会話にも覚えがあった、違う、知らない、私が知っている筈が無い。
知らない、知っている訳がないのに、そう思う事がおかしいんじゃないかと錯覚してしまう。
『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』
あの日を最後にもう聞けなくなった声達が何度も語りかけてくる。
知らない筈なのに、懐かしい感情が強引に引きずり出される。
「あ……あっ……」
拒絶しないと飲み込まれる、そうだと分かっていてもそれが出来ない、声を出そうとしても声にならなかった息が漏れるだけ。
意識を集中して、自分を強く認識しないと、ここから抜け出さないと行けない、そうだと分かっているのに力が入らない。
『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』
自分の知らない事ばかりだというのに、不快感しか覚えない筈なのに、どうしてかここにいたいとさえ思ってしまう。
『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』
声がいくつも重なって、私を何かで塗り潰していく。
深い沼に沈むみたいにだんだんと自分が埋もれていく、少しずつ自分が分からなくなっていく。
抵抗する力が無くなっていく、そもそも抵抗する理由なんてなかった、違う、このままじゃ、私は、私……私?私は……?
『やかましいぞ』
それとは違う知らない声が鬱陶しそうにはっきり聞こえると声は聞こえなくなった。
-3-
「はっ……げほっ……」
よろめいて後ろに倒れそうになったのを何とか踏みとどまる。
息を整えつつ、状況を確認する。
場所はさっきと変わってない、病室の前だ。
抉られたように部屋の中の霧に穴が空いている、その隙間を埋めるようにゆっくりと濃い霧が満たしていく。
この村で感じていた嫌な魔力の原因、恐らくは魔力が意識を持ったもの、どう対処すればいいのかは知っている、どこかに核のような物がある、それを壊してやればいい。
その前に刀を僅かに抜き、指先を浅く切っておく、痛みがあればさっきみたいな事は無い筈だ。
呼吸も落ち着いてきた、胸に手を当てて気持ちを落ち着ける。
大丈夫、私は私だ、そう自分に言い聞かせ、前に進む。
部屋から押し出された霧がもう一度私を飲み込もうとするけど、飲み込まれた所で大丈夫だ。
『依頼を出した治癒師、というのは貴方で間違いないか?』
声が聞こえた、今度は一つだけ、低い男の声だ。
『マーチェスで暴走した大型魔動機を止めた事がある、あれは胸を張って俺のおかげだと言えるだろう』
奥に進むと声が聞こえる、さっきまで感じていた懐かしい感覚はもうない。
『お前のようには出来ない、棒読みで抑揚も何もない、面白い本だろうとつまらなくするだけだ』
そんな事があったと俯瞰的に見るだけで、さっきまでのようなまるで自分の事かのような感覚はない。
霧の中を進んでいくと人影が見えた。
『え、あ……?わたし、なんで……?』
人影は誰かを待っているみたいに顔を少し俯けて、手を前で組んでいる人影、目の前にいるのに輪郭しか見えない。
霧の中にもう一つ別の霧があるみたいにそれが人の形をしていて、それは小柄な女性の物のように見える。
私が正面に立つと顔を上げ、何かを伝えるように私を見ている、輪郭の口元が動いているが声は聞こえない。
その霧を二つに断つように青い残光が切っ先を追い掛けるとそのもう一つの霧は霧散し、部屋を覆い尽くしていた霧が晴れていく。
『ごめん、なさい……ごめんなさい……!』
最後に母さんが、何度も血塗れの部屋で謝っているのが見えた。
彼女の家のリビング、膝をついて、目の前の惨状から目を背けるように顔を手で覆い隠して、何度も謝っていて、その姿を下から見上げていた。
「なんで、母さんが……」
霧の晴れた部屋の中は最初に見たような部屋ではなく何もない部屋だった、言葉の通り何も置いてない部屋。
見渡してみても何かある訳でもない、床を叩いて音が違うわけでもない、壁を叩いて音が変わるわけでもない、少し黒ずんだ床板と壁に囲まれているだけの部屋。
母さんがどうしてこの村にいたのか分からない、なんで今になってそんな物が見えたのかも分からない。
彼女はそうするような人では無かった、ならどうしてこんな事になっているのか、自分の意思でそうしたとはとても思えない。
動機が分からない、そうするとは思えない、って所はリアンさんの状況と少し似ているか、どちらにもヴァルニールが関わっている共通点があるにしても……
「っ……」
不意の立ち眩み、壁を支えにして目元を手で覆う、少し……いや、かなり疲れた、これ以上の調査は厳しいか、さっきみたいな事があれば今度は対処しきれないかもしれない。
得られたものはあまりにも少ない、それでも無い訳じゃない、一旦マーチェスに戻ろう。




