知りたくもない誰かの何か
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少しずつ視界が広がり、ぼんやりと天井が見えた。光が眩しくて思わず呻き声が出た。
「あ、気付きました?」
すぐそばで女の声が聞こえた。体を起こそうとするがまともに動けない。それでも動こうとすると怒ったように
「ひどい怪我だったんですから、安静にしてないとダメです、魔法で治すって言ったって限度があるんですからね」
体を動かすのを諦め姿の見えない女にここがどこなのかを聞くと
「病院ですよ、崖の下で倒れてるのを見つけたんですけど何か覚えてませんか?」
記憶を遡るが思い出せない。
「そうだ、自己紹介がまだでした、私はここで治癒師をしている──と言います、──って呼んでください、貴方は?」
それが──との馴れ初めだった。
動けるようになるまでの間──はよく話し相手をしてくれた。
お隣さんがどうだとか、仕事がどうだとか、村の子供たちがどうだとか、よくそんなに話す事が出てくる物だ。
聞けば子供に本の読み聞かせをしているらしく、本人も本を読むのは好きなのだそうだ。
最初の頃はただ──が話すのに適当な相槌をしてやるだけだったが、少し経つとこっちにも何か話せと振ってきた。
仕方なく、これまでの苦労話や武勇伝を話してやると楽しそうにけらけらと笑うのだ。口下手な冒険者の話なぞ詰まらないと思っていたが存外楽しんでくれたらしい。
歩けるぐらいには傷が治った頃、ちゃんと歩けるように練習しようと──に誘われ一緒に歩いていると子どもに付き合っているのかとからかわれた。
咄嗟にそんな訳ないと言ってしまったがお互いに満更でもなかった、と思う。
それから少しして怪我もすっかり治った頃、一度街へ戻ることにした。
独り身であるし人との関わりをあまり持っていない以上心配をかける相手などほとんどいない。定期便で連絡こそしているがいつまでも療養中では困る。
それからはその村を意識することが増えた。近くへ行く用事があれば必ず立ち寄り、──や村で出来た数少ない友人と話をして翌日が空いているような一泊して帰る。一緒に食事をしたり、──に誘われるまま読み聞かせをさせて貰ったこともあった。子供たちには不評だったが、──は笑ってくれていた。
そんなある日、村を訪れると乱暴に手を引かれて着いてきて、と言われた。
そうしてしばらく歩くと綺麗な花畑の見える丘の上で嬉しそうに──が手を握る。
一年のごく短い間だけ、こんな風に咲くらしい。
「来なかったらどうしようかと思った」
満足そうに微笑む──の小さくて華奢な手を優しく握り返す。
並ぶ影の形がおかしくて──が噴き出した。自分の頭に手を当て、影にお揃いの角を作ると笑いあった。
幸せだった、と思う。この日常が、幸せだった。
この幸せをずっと守っていこうと誓った。
様子がおかしい、そう感じたのは村へ向かう道の途中だった。
辺りから気配がしない。自然と向かう足が速くなる、ただの思い違いであって欲しかった。
村に着いたとき異常にはすぐに気付いた。
日も沈み始めるという頃なのに明かりも点いておらず、村の中を歩く人影も無かった。それに、村全体が血生臭く感じた。
足が自然と──の家へと向かう。この時間ならもう仕事を終えて帰っているはずだ。
扉を強く叩く、──を呼び掛けるが返事はない。
扉の鍵は開いているようだった。
リビングに──はいた。
血塗れで、膝をついた状態で自分の肩を抱いて体を震えさせていた。傍らには血まみれの包丁が転がっている。
何があった、と近付こうとすると包丁を掴み、震える両手でその切っ先を向ける。
「あたまのなか、ぐちゃぐちゃになって、なんで、こんなことをしたのかわからないの、からだが、いうこときかなくて」
「みんな、ころしちゃった」
両手の震えが止まった。
「おねがい、ころして?」
いつの間にか馬乗りになっていた。自分の手には小さすぎる刃物を強く握り突き刺す。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も突き刺す。
苦しそうに声を上げる。その度に傷が塞がって行くのが辛かった。──を苦しませたくないのに、それを許してくれない。
許してくれと懇願しながらその声が聞こえなくなるまで突き刺すのを止めなかった。
家を出たとき、知らない女が立ってた。
銀色の長い髪と深い藍色の瞳の女、気だるそうにその長い髪を撫でていた。
女は酷くつまらなさそうに
「あらら、そうなっちゃったか」
そこで途切れた。