やるべきこと
-1-
一度立ち止まり木を支えにして辺りを確認する。異質な魔力が近付いてくる気配はない。他の気配も感じられない。振り切れたと思っていいだろう。
ろくに回りも見ずに走ったが、随分と深い所まで来てしまったらしく、明かりも僅かな木漏れ日程度で薄暗く鬱蒼としている。
「……死ぬかと思った」
腹の傷は大丈夫、目眩がするが少し休めば治るだろう、鎧の傷もさっきの治療の分で修復できている。理屈はわからないがダレン爺様々だ。
木にもたれ掛かるように体勢を変えて深く息を吐いて休憩ついでに状況を整理する。
ラズリアたちは無事だろうか。魔物避けを持たせているが、それでも心配だ。襲われてなければいいが。
あのミノタウロスは何故私を殺そうとしてきたんだ?元々協力的だったはず、少なくともあの瞬間──私が名前を名乗るまでは。
十年前と言っていた。その時の私と因縁がある人物、なんて言われても思い当たる人はいない。仕事の因縁にしても十年前にあそこまでの因縁つけられるような仕事をした覚えはない
それに漏れ出ていたあの魔力は森で感じた違和感と同じものだったように思う。それが何故あのミノタウロスから出ているのか、原因はわからない。
理屈は分からないが私が使った魔法を使える以上、それを考慮にいれなければいけない。何にしても、傷を治され続けるのでは真っ向から戦っても勝つのは不可能だ。
しかし思い返してみれば防壁も最初は雑に魔力を込めた一撃で破れたはずだが、二度目の時には阻まれるような感覚があった。威力は増しているはずなのに、だ。
だんだんと使い慣れてきているのだろうか、次は破れないかも知れない。
「……それでも、やらないと」
最後の言葉が耳にこびりついて離れない。
ここで何とかしなければ、もしあいつがメルヴィアに向かったとしたら、と考えるといい予感はしない。
覚悟を決め短く息を吐く。休憩はもういいか、少しふらつくがさっきよりはましになってる。
早くラズリアと合流しないと。
-2-
気配を殺しながら森を歩いていたがようやく着いたようだ。いつになるかと思っていたが歩き始めて少し経った程度か。
さっきよりは僅かに明るい大きな虚のある木の前で立ち止まる。
「ラズリア、いる?」
中にいるはずのラズリアにだけ聞こえるよう声を潜め呼び掛ける。
少しの間が空いて、もしかしたら、と不安に思った頃、虚から慌てた様子でラズリアが顔を出してきた。
何かを声高に言ってきそうだから口の前に人差し指を立てておく。
その仕草を見て一旦冷静になったのか、言葉を飲み込み手招きすると虚の中に戻っていった。それに続くように身を屈め虚の中に入る。
日が入ってきているのか中は少し明るい。大人二人が寝転がっても大丈夫なぐらいの広さだ。
端の方では疲れた様子で女の子が座り込んでいた、無理もないか。その横にラズリアが座っている。
「えっと、大丈夫っすか?先輩」
「大丈夫じゃない、死にかけた」
軽い口調で答えるが誇張はない。冗談だと思っているのか特に反応はなかった。
「にしてもよく場所わかったっすね、ほとんど木の上通ってきたんすけど」
「ラズリアが魔物避け持ってるし」
「話が全然繋がらないんすけど」
ラズリアの隣に腰掛けると顎に手を当て何やら考えているようだ。待ってもいいがすぐに答え合わせ。
「魔物避けの魔力を辿ってきた、他とは違うから慣れると分かるよ」
「……あ、そういうことなんすね」
不意に女の子が立ち上がりラズリアの隣から私の隣まで歩くと座り直した。私が懐かれてるのか、ラズリアが嫌われてるのかどっちだ。
「この子のこと、何か分かった?」
「何度か聞いてみたんすけど全然答えてくれないっす、お昼も食べてくれなかったんすよ?」
紙袋を取り出し見せつけてくる。餌付けに失敗したらしい。少し気になってポーチから朝貰った紙袋を取り出す。
中身はサンドイッチと水筒、組合からの支給食だ。少し潰れているがまぁ味に影響はないだろう。朝にあんなものを食べたから腹は減ってない、少し喉が乾くぐらいか。
水筒を取り出し紙袋を女の子の前に差し出すと私の顔と交互に数度見比べると両手で受け取ってくれた。
膝の上に紙袋を置くとサンドイッチを取り出し、そのまま小さく口を開け一口。少し驚いたような表情でもう一口。ちゃんと食べてくれるようだ。
視線こそ向けていないが後ろから重い空気を感じる、無視。
水筒を女の子の口元に差し出すと両手で持ったサンドイッチを置く場所を探して視線を動かす。
懐から取り出したハンカチを手の上に乗せ差し出すと、そこにサンドイッチを置き水筒を手に取ると美味しそうに水を飲んでいた。
「なんか、手慣れてるっすね……」
ダメージを受けた様子でラズリアもサンドイッチを食べながら呟く。色々とショックなんだろう、触らないでおこう。
「メイが小さい頃よくやってたから」
確か外でご飯を食べてるときに同じことをしてあげた覚えがある。あのときは……いや、昔のことを思い出すのは止めよう。
水筒を私の手に戻すとサンドイッチを手に取りもう一度食べ始める。私も水を一口だけ飲むと手を定位置に戻す。
会話がしばらくないまま、もそもそとした音だけが聞こえる。
女の子がサンドイッチを食べ終えもう一度水筒を手に取った頃
「さっきはありがとう、おかげで助かった」
言いそびれていたさっきの礼を伝えるが反応はない。
気になって顔を向けると僅かに顔を赤くして急いでサンドイッチを口に突っ込んでいた。
水で強引に押し流し気を取り直すように短く咳払いをすると
「それでこれからどうするんすか?一旦帰るんすか?」
「……そうだな、その話しようか」
短く息を吐く。少し間を空けて
「私はあいつを殺すよ」
-3-
「……え?」
突然のことに思考が追い付いていないのか、驚いた表情でこっちを見ていた。
何も聞かされていないまま言われたらそういう顔になるのも仕方ないだろう。
「いや、なんでそんな」
「ラズリアを逃がした後戦闘になった、話を聞くために止めようとしたけど結局止められなくて何とか逃げてきた」
どこから話すべきなのか分からなかったから最初から最後までを話す。自分でも要領を得ない説明だ。
「理由はわからないけど、あいつは私を殺そうとした」
「それは……そうですけど……」
言葉が詰まり顔を俯けるラズリアに構わず話を続ける。
「あの殺意は私だけに向けられてるものじゃない、そう感じた、だからあいつが誰かを殺す前に殺すよ」
話を終えると深く息を吐く。返事はない。この状況で何を言えば、というのもあるだろうか。
重苦しい空気が流れる、今朝もこんな空気になっていたな、と思いだし声を掛ける。
「いきなりこんなこと言ってごめん」
「あ、いえ……大丈夫っす、冒険者やる以上いつか経験するとは思ってたっすから、それがたまたま初日の依頼だっただけっすよ」
無理をしているのが何となく分かった。突然目の前で人が殺されそうになって、こんなことを言われて、経験するには早すぎる。
ラズリアには悪いけどまだ本題が残ってる。こっちは無理にでも受け入れてくれないと困る。
短く息を吐いて話を続ける。
「……いくつか頼みたいことがあるんだけど、大丈夫?」
「……大丈夫っす、何やればいいんすか?出来ることならやるっすよ」
深呼吸をして気持ちを切り替えるように両頬を軽く叩くと暗かった表情を元に戻し軽く笑みを浮かべてみせた。無理をさせてるようで罪悪感が残る。それでも言わないと駄目だ。
ポーチから格納機を取りだしラズリアに差し出す。
「森の外で待ってて、格納機からバイク……じゃなくてトライクが出てきたらメルヴィアに戻って組合にここであったことを報告、メイにしばらくダレン爺の所から出るなって伝えて、それから」
「……ちょっと待って、ほしいっす」
ラズリアが言葉を遮り、格納機を取ろうとしていた手が止まる。何かを言う様子はない。
「……この子はメイに孤児院で預かってもらうように言って、私の名前出したら大丈夫と思うから、それと」
「だから!待ってほしいっすよ!」
続く言葉を声を荒げて再度遮る。虚の中に声が響く。
「なん、で……」
ラズリアの震える手が私の腕を強く掴む。下を向いていて表情は分からないが、声が震えている。
顔を上げたラズリアは
「なんで、自分が死んだ後の話するんですか?」
泣いていた。
「まぁ……死ぬかもしれないから、事後処理というか何というか」
「死ぬかもしれないんですよ、なんで、そんなに落ち着いてるんすか、やらなきゃいいじゃないっすか、別に責めたりしないっすよ、誰も責められる訳ないじゃないっすか、死ぬのが怖かったって言って誰が責められるんすか」
「……さっきも言ったけど、今ここであいつを殺さなかったから、誰かが殺されるかも知れない」
「わ、私も手伝うっす、一人より二人っすよ」
「……ラズリアも死ぬかもしれない、それにこの子を一人にするわけにはいかない、だから絶対にそれは駄目だ」
「あ……うぅ……」
咄嗟に思い付いた言葉だろうけど、それでも必死に私が危険にならないように考えてくれてるのが分かった。
震えるラズリアの手を握る。優しい子だ、まだ会って半日も経ってないのに私のことをこんなに心配してくれてる。
「──死ぬかもしれないけど死ぬつもりはないよ、心配してくれてありがとう」
強引に話を終わらせるが納得してる訳ではなさそうだ。
諦めたようにラズリアが手を離したのはそれから少し経った頃だった。
乱暴に袖で涙を拭い格納機を奪うようにポーチに突っ込むと膝を抱えて座り込む。
「……さっきの続き、大丈夫?」
聞いては見るが答えはない。赤く腫れた目を向けるだけだ。肯定と捉えていいのかわからないが続けることにする。
「説明しても信じてもらえないだろうから、これ持っていって
」
懐から紙を一枚取り出しラズリアに差し出すと渋々と言った様子で受け取り
「……刻紙?」
「余ってたから使わせてもらった、それ渡したら大丈夫と思うから、それから最後に……」
これが一番大事なことだと思うけど言うのは少し心苦しい。目を閉じ、深く息を吐くとラズリアと視線を合わせ
「メイに約束守れなくてごめんって伝えて、頼みたいことはこれで終わり、こんなこと頼んでごめん」
「……悪いと思ってるんなら、後で何か奢ってほしいっす」
「何でも、とは行かないけどそれでも良ければ」
「死んじゃ嫌っすからね」
「分かってるよ、一緒に帰ろう」
大丈夫、死ぬつもりはない。心の中でさっきの言葉を繰り返す。死ぬのは怖い、当たり前だ、それでもやらないといけない。
あいつが誰かを殺す前に、あいつを殺す。
「じゃあ、行こうか」
-4-
生かしておくものか。決して許すものか。
──を、私から全てを奪った奴を決して許してなるものか。
心の中が憎悪で満たされていく。何故今までこの感情を忘れていたのだろう、奴を殺さなければ、奴等を皆殺しにしなければならない。
あれに類するもの、あれに属するもの、あれに味方するもの、全て殺さなくてはならない。
あのような惨劇を二度と繰り返させないためにも、奴だけは必ず殺さなくてはならない。
奥へ進んでいく途中、不意に放たれた魔力の一撃がぶつかる直前霧散した。体を向け斧を構える。
見つけた。逃げるのを諦めたのか足を止めこちらをじっと見ている。
ただそれだけのことなのに怒りが込み上げてくる。
殺せ!殺さなければならない!あの苦しみを忘れてはならない!奴を討たなければこの怒りは鎮まらない!頭の中で何度も何度も声が響く。
あぁそうだとも皆のため討たなければならない!
「オオオオオオッッ──!!!」
憎しみが咆哮となって溢れだしてくる。斧を握る手に力が込もる。
地を蹴る、爆発したかのように地面が抉れた、勢いもそのままに斧を薙ぎ払う。手応えはない。
斧を地面に突き刺し、強引に減速する途中体を捻り向き直る。奴は変わらずそこにいた。
刀の柄に手を掛け僅かに身を屈めると同時、眼前に奴の姿があった。
空を切る音が一瞬聞こえると首目掛けて真っ直ぐに青い残光が走り──
キィン、と甲高い音が響く。
首に触れる寸前、不可視の壁がその一撃を防いでいた。
力を込め返す斧を振り上げるとそのまま刀で首を支点にして飛び上がった。
視線を向ける、高く飛び上がり落下してくるだけの奴がいた。空へ向けて斧を振るう。放たれた一撃が木々を切り裂くのが見えた。
だが奴は空中で姿勢を変え、見えない地面を蹴ったように、その一撃を避け、刀を納めると真っ直ぐに落下してくる。
再び甲高い音が響いた。
真っ直ぐに頭目掛けて振り下ろされた一撃は触れる寸前で受け止められ、眼前に着地し損ねた奴が態勢を崩し倒れている。
あぁ、あいつの攻撃は、もう通用しないのか。そう確信した時、胸が空くような気持ちだった。
斧を振るう。手応えがあった。構わず振り抜く。
身を丸くして吹き飛ばされる姿が見えた。そのまま木に体をぶつけると荒い呼吸をつきながらも立ち上がり未だに戦おうとする意思があった。
納めた刀に手を掛け姿勢を低く構えた。何度も見た手口だ、さっきまでのように一息に距離を詰めてくるつもりだろう。
一瞬体が身構えると同時に思い切り蹴り飛ばす。来ると分かっているなら迎撃は容易だった。
大きく距離を離すことになるが地を強く蹴りそれに追従するように距離を詰める。
勢いを流すため転がるように着地し立ち上がると同時、眼前に迫る。
攻撃を防ぐために咄嗟に刀を振るうがもう遅い。振り上げた斧は刀を軽く弾き飛ばした。
宙を舞う武器を目で追うのが見えた。思わず笑みが浮かんだ。
この人間の生死が自分の手の内にあるという優越感からだろうか、それとも皆の仇を討てる喜びからだろうか。
「シィィィィネェェェェェッ!!!!」
振り上げた腕を渾身の力で振り下ろす、受けることも避けることも叶わない最期の一撃を繰り出す!!
これで、終わりだ!
数瞬の後、違和感が訪れた。おかしい、手応えがない。あの状態から避けることは不可能なはず。両腕が熱を帯びたように熱い。腕?
「……ァ?」
自分の腕を確認した、理解が追い付かず声が漏れだす。そこにあったはずの腕はいつの間にか無くなっていて、
何が起こったのか理解する前に意識が消え失せた。
-5-
黒い光が走った。
振り下ろされた腕は切り飛ばされ宙を舞った。
続けて黒い光が走った。
何かを見ようとしていた頭は切り落とされた。
戦いの終わりを告げるように宙を舞っていた刀と腕を伴った斧が地面に突き刺さった。
「……ふぅ」
深く息を吐き、首を落とされ倒れる巨体を前に呟く。これでダメだったら死んでいた。
手に握っている鞘を軽く振るうと鞘を包んでいた魔力が霧散した。
どっと力が抜け腰を下ろす。木にぶつかった体とさっき蹴られた胸が痛む、流石にもう読まれてると思って覚悟はしていたが鎧の上からとは言え痛い物は痛い。
握った鞘を何とはなしに眺める。私が受け取った『試験品』だ。刀も業物だが、そっちはおまけらしい。
受け取る際に色々説明されたが要するには魔力を貯蔵、隠蔽出来る触媒だと言われた。
何のためにこんなの作ったんだ、と聞くと炉心の性能向上に繋がると説明されたがよくわかってない。
一気に魔力を込めるとごっそり吸われるから気を付けろ、と言われたか。中身を外側に向けて無理に出そうとすると全部出てくるから気を付けろ、とも言われたか。
結果的に自分の魔力と鞘に込められた魔力のほとんどを使った一撃になってしまった。
「……なんて報告しよう」
終わってみればそんな心配が浮かぶ。この森のこと、あのミノタウロスのこと、魔力のこと。
重い腰を上げ、鞘を腰に戻し正面に突き刺さった刀に足を向ける
。
浅く突き刺さった刀を引き抜き正眼に構える。歪んではいないようだ、念のため帰ったら見てもらわないと。
それから死体の処理だ、流石にこのまま、と言うわけにも行かない。重労働になるが仕方がないか。
深い溜め息を吐き軽く振って土を払い鞘に納めた時
背後から異質な魔力が溢れ出したのを感じた。振り向こうとしても体が動かない。
濃い霧のような魔力が背後から全身を通り抜け、気持ち悪さで一杯になる。
立ってられなくなって膝をつく、息が苦しくて胸を押さえる、心臓の鼓動が早まる。
自分の中が何かに塗り潰されていく感覚に襲われた。
気持ち悪い苦しい耐えられない助けて知らない何かが流れ込んでくるじぶんがわからなくなるいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ