異形
-1-
知らない森、夜みたいだが月明かりのおかげで辺りは少しだけ明るい。
少し前に雨でも降っていたのか、辺りから湿った匂いがするし土がぬかるんでいる。
耳を澄ますと遠くから聞こえる何かの鳴き声、それに混ざって微かに水の流れる音が聞こえる、近くに川があるんだろうか。
一度後ろを見てみると辺りから隠すように私たちの登ってきた階段があった、遺跡かどうかは分からないが気にする必要はないだろう。
「わあ、森だ!」
「……こっち行こう」
はしゃぐアカメは置いておくとして、とにかく歩こう。
いつ抜け出した事がばれるかも分からない、それまでに少しでも遠くに行くべきだ。
水音のする方に向かえば川までたどり着くはず、川伝いに下っていければ少なくとも下流に向かえる、宛も無く森を歩くよりは良いだろう。
私が先に歩きだした所で
「うわ」
泥に足を捕られたアカメが転びそうになっていたのを支えると照れ臭そうに笑みを浮かべ
「えへへ、ありがと」
「私の後ろ着いてきて」
アカメの手を引いて、ぬかるんだ土に足を取られないように歩き出す。
ゆっくりしてる場合ではない、だが怪我をする訳にも行かない。
月明かりがあるとはいえ、アカメは夜目が利くわけではない、何かに足を引っかけてしまわないように、出来るだけ歩きやすい場所を歩く。
そんな風にしてしばらく歩いているが、アカメは変わらず元気なままで、森の中を歩くのを楽しんでいるようだ。
私の方は少し息苦しい、時間が経つにつれて体の内側で異物感が少しずつ大きくなっているのが分かる、恐らくはさっき魔法を使ったせいだ。
まだ何とか抑えられる程度だが足取りが重い、呼吸も少し乱れているか。
アカメにもそれが伝わったのか、私の横に並ぶと心配そうに私の顔を覗き込む。
「テイルス?」
「大丈夫、だから」
「むぅ……」
心配をかけないよう、平静を装うが納得している様子はない。
一度立ち止まって振り返ってみてもさっきの場所はもう見えない。
抜け出した事には気付かれているだろうか、耳を澄ましてみても聞こえる音に変化はない。
歩き出そうとすると腕を引かれた、引かれたというよりは腕が引っ掛かったの方が正しいか。
アカメが歩こうとしない、見ればじっと私の顔を見ている。
「やすもう?」
アカメの言うように一度休憩を取った方がいいかもしれない、
ただいつ追い付かれるとも分からない、足を止めるべきではない。
少しでも早く安全な場所まで行かないといけない、のだが。
「まだ、大丈夫」
私がそう言うと不満そうに表情を濁した。
アカメを納得させないと歩こうとしてくれないようだ。
「……わかった、休もう」
近くにあった大きな木の陰、根が浮き出ていて座りやすそうだというのと、すぐ近くに茂みがあっていて辺りから見えにくい、少し湿っているのが難点か。
私が腰掛けるとアカメもすぐ隣に座った、少し楽になったような気がする。
ここまでで幸い動物の類いには出会っていない、水場に近付くにつれて出会う可能性も高くなる、危険な動物に出会わなければいいが。
「テイルス、無理してない?どこかわるいの?」
無理はしている、恐らくどこか悪いんだろう、ただそれを伝えてどうなる。
今はそれどころではない、無理をする時だ。
「大丈夫」
「そういう人はたまに大丈夫じゃないって、ロナ先生いってたよ?」
「本当に大丈夫なやつだから」
渋々といった様子だが納得はしてくれたみたいだ。
アカメにこれ以上心配をさせる訳にはいかない、早く安全な場所へ行かないと。
丁度その時、聞こえてくる音に変化があった。
生き物の荒い呼吸音が近付いてくる。
-2-
「静かに、じっとしてて」
「?」
茂みから顔を覗かせると角の生えた犬が二匹、いつか私を襲ったのと似ている奴がこちらに駆けてくるのが見えた、何かから逃げているのか、しきりに辺りを警戒しているように見える。
幸い私たちがいる場所は風下だ、臭いでばれる事はないだろう。
よく見ると角が半ば程で折れていて体が血で汚れている、それから何か……漠然とした妙な気配がある。
ともかく、今はあれがどこかに行くのを待つしかない、最悪見つかったとしたら何とかしなくてはいけない。
剣を握った事など数える程しかないが、犬と同じなら頭を貫くか首を掻けば恐らく殺せるだろうか。
念のため、いつでも抜けるように構えておくが見つからないに越したことはない。
じっと息を潜め、離れるのを待っていると妙な気配を伴って何か近付いてくる、それは……何か、としか説明できない。
獣のように四足で歩いている、大きく違うのは足が人の手足と同じであること。
前足には人の腕が、後ろ足にはバッタのように曲がった人の足がついている。
毛皮はなく肌は青白い、大きく裂けた口からは得体の知れない物が垂れている。
顔らしい部位には大きく裂けた口以外ついておらず、首の後ろにある黒い部分は目……だろうか。
私たちよりも何倍も大きい、巨大な獣のような何か、妙な気配は目の前のあれから感じる。
あれから逃げていたんだろうか、傷付いた犬は低い唸り声をあげ、その異形を威嚇している。
幸いどちらも私たちに気がついている様子はない、一度アカメの方に視線を向ける。
「振り返らないで、行こう」
そう囁くと小さく頷いて手を引いてゆっくり歩き始める、アカメも後に続く。
小枝を踏み折って音を立ててしまわないように、ゆっくり、ゆっくり。
音しか聞こえないが、それでも何が起きているのか想像できない訳ではないだろう。
何度も叩きつける音、断末魔のような吠え声、水気のある音、笛を吹いたような高い鳴き声、肉を食う音。
アカメの手が震えてしまっている、安心させるように強く握り返す。
大丈夫だ、このままなら……
「っ……」
突然体の中の異物感が大きくなった。
さっきまで聞こえていた音が止まった、悪寒のようなものを感じる。
何かに睨まれているような感覚を覚える、気付かれた?
そう感じたのとほぼ同時に高い鳴き声をあげ、こっちに飛び掛かってきた。
アカメの手を強引に引き、飛び退いて何とか避ける。
「立って!」
急いで倒れているアカメを引き起こして走る。
逃げきれるか分からない、ならあれを殺せるのかと言われると多分無理だ。
可能性がある方を選ぶべきだ、少しでも遠く、少しでも速く、逃げるべきだ。
「はっ……はっ……」
息苦しい、それでも走らないとだめだ。
気配が近付いて来ている、振り返らなくても分かる、振り返るべきじゃない。
あっちの方が速い、追い付かれる。
気配が私たちの真後ろにまで迫ってきた時、いくつもの遠吠えが聞こえ、それ以上気配が近付いてくる事はなかった。
走りながら後ろを見てみると何匹もの犬がその異形に食らい付いていた。
縄張りが近くにでもあったのか、偶然居合わせたのか、今は何でもいい、逃げるには十分な時間だ。
走って、走って、いつまで走ったのかも分からなくなったぐらい。
これ以上は走れないぐらいに走ったぐらいで。
「げほっ……」
無理をして走ったせいで苦しい、近くにあった木に手をついて肩で息をしながらも何とか辺りの気配を探る。
妙な気配は感じない、追ってきてはいない、逃げ切れたと思っていいんだろうか。
アカメもいい加減に疲れたのか、座り込むと息を整え始めた。
「テイルス、大、丈夫?」
「じゃ、ない」
少し立ち止まると軽口を言えるぐらいには回復してきたが、それでもまだまだ疲労感は抜けない。
「さっきの……なんだったんだろう?」
恐らくはまともな生き物ではないだろう。
この体になってから私の知らない生き物を見ることは確かにあった、ただそれらとは雰囲気が明らかに異なる。
上手く形容できないがとにかく何かが根本的に違う、そう感じた。
それにどういう訳か私に気付いた、何か特別な器官でも持っているんだろうか。
「わからないけど……行こう」
考えても分からない物を考える必要はない、休憩は十分ではないがあまりゆっくりもしていられない。
アカメに手を差し出すと
「うん!」
嬉しそうに手を握る。
-3-
不意に森が開けた、足元が地面からごろついた石に変わった。
流れの速い川が見える、森の中と比べても幾分か涼しい。
それに……川の側に陸に上げられている船があった、船尾に魔動機を乗せている船、激流を下った時の船に似ている。
ここがあの時下った川なら、ここを下っていけばマーチェスまで辿り着けるかもしれない。
そこまで行けなくても途中に小屋があったはずだ、そこまで行ければ誰かに会えるかもしれない。
「船!」
船を見つけたアカメははしゃいでいた、何となくそうなる気はしていたが嬉しそうに船に駆け寄る。
私もその後を追って、船の側で立ち止まる。
アカメは船の回りを一週歩いた後、気が済んだのか戻ってきた。
とにかく目的地がはっきりした、川沿いに歩いていけば何とかなるはずだ。
「この船、乗った事あるけど凄かった」
「えーいいなぁ、どんなだった?」
船にしがみつくのに必死だったせいでどんな、と言われるとうまく説明出来ない。
それでもあえて言葉にするなら
「こう……ぐわーって」
「ぐわーってしてたんだ?」
「うん、ぐわー」
アカメの言葉を繰り返すが言ってて自分でも分からない。
それが少し面白くて、吹き出してしまった。
アカメもそれに釣られて笑いだし、一通り満足した所で
「川沿いに歩いていこう」
「うん、わかった!」
さっきあれだけ走ったと言うのにアカメは変わらず元気なままだ
私は……まだ大丈夫だ、まだ大丈夫だがさっきの疲れがまだ残っている。
目的地がはっきり決まった、今のうちに休んでおいた方がいいかもしれない。
「……の前に、ちょっと休もう」
「うん!じゃあ、船のろう!船!」
元気よく返事すると私の手を引いて後ろにある船を指差す。
さっきからそわそわしていると思っていたが、船に興味があるだけだったらしい。
小走りに船まで近付くと先にアカメが船によじ登り、船上から私を引き上げる。
乗るのは二度目だが当然船は動かない、動かれても困る。
地面に座るよりも何倍も座り具合がいい椅子があるだけでも十分だ。
アカメは嬉しそうに後ろまで歩いた後、一番奥の席に座った、私も後に続いて隣に座る。
「テイルス?」
「ん?」
名前を呼ばれてアカメの方へ顔を向ける。
「あのね、ありがとう!」
「……急に何?」
何か礼を言われるような事をした覚えがない、何故礼を言われたのか見当がつかない。
私が訝しげな表情でアカメを見ていると
「おはなしたくさんきかせてくれたのもそうだけど、一緒にぬけだそうっていってくれたから!」
「それは……」
本当に礼を言われるような事でも何でもなかった。
二人でいて黙りっぱなしなのが嫌だったから話をした、
あそこにいるのが気に入らなかったから、抜け出そうとアカメに協力してもらった。
本当に、大したことでも何でもない。
「……別にいい」
それでも、こうやって真っ向から礼を言われるとどうもむず痒い。
誤魔化すように顔を逸らし、適当な場所でも見ている事にする。
空が白んできた、夜が明ける。




