その別れは突然で
-1-
日が経つのは早い、私が孤児院に来るようになってからもう随分と経つ。
ベルに魔動機の事を教えて貰い、メイに魔法の事を教えて貰い、シルヴァーグと一緒に買い物に出掛けたり、ラズリアから借りた本を読んだり。
「えっと、これがこうで……」
今はどういう訳か、勉強室で私がアカメに文字の読み書きを教えている。
一緒にいると何度か本を読むようにせがまれた事があった、少し疲れるが別に本が読めるなら構わないと引き受けていた。
それを何度かやっていると
「私もテイルスに本よんであげたい!」
と言い始めたのだが読み書きが出来ないアカメに教えてやる事になった。
頼めば孤児院で働いている者に教えて貰えるらしいが、アカメは私に教えて貰いたいと指名してきた。
都合よく文字の読み書きに使う教材用の本があるらしいから、それの書き写しを一緒にやっている。
言われて気付いたのだが、不思議なことに私は書かれている文字を読む事は出来ても文字を書く事が出来なかった。
そうならばいずれやる必要があったことだ、特に手間とも思っていない、私がやるついでだ。
炭か何かで作っているだろう物で文字を書いているのだがなかなか慣れない。
「できた!」
ぐにゃぐにゃとした字で大きく『テイルス』と書いた紙を自慢げに見せてくる。
「それ、私」
「えへへ、しってるよ!わたしの名前はーこれ!」
その横に書き足すと改めて見せてくる、相変わらずぐにゃぐにゃだが今度こそ『アカメ』と書かれている。
「ん、合ってる」
「えへへ、これでテイルスに本よんであげられるかな?」
アカメの物覚えが良かったおかげで教え始めてまだ数日だが、それなりの物にはなったと思う。
元々本を読んで貰っていたから文字に慣れていたと言うのもあったかもしれない。
ともかく、これでこの『だれでもわかるきょうつうよみかき』の内容は網羅した事になる。
「わぁ、わたしのさいん?ってことになるのかな!これ、テイルスにあげる!」
両手で紙の端を持ち仰々しく、大袈裟に。
アカメの様子とは裏腹に自重で先が項垂れた紙を受け取り、このままだとかさ張るからいくつかに折ってから仕舞う。
「じゃあ図書室いこう!」
手を引かれて勉強室を出ようとアカメが戸に手を伸ばした所で向こう側から先に開けられた。
お互いに奇妙な声を上げアカメは飛び退きよく分からない構えを取り、戸を開けたシュミルも少し怯んでいた。
「びっっくりした、アカメ、ちょっと話があるから職員室ね」
「えぇー今じゃなきゃだめ?今からテイルスに本よんであけようとおもってたのに!」
「今じゃなきゃ駄目、そんなに時間掛からないから」
「待ってる」
アカメを後押しするようにそう言うと少しして納得したらしく
「むぅー、わかった!すぐいくからまっててね!」
「危ないんだから前見て歩く」
私に手を振りつつ後ろ歩きに、私とは反対方向に向かう。
シュミルに前を見て歩くよう体の向きを直されつつも、顔を向け再度手を振る。
アカメでも読めそうな、簡単な本を探しておこう。
他の人に読んでもらうとなんか違う。
そう言われたのを思い出し、私が初めてアカメに読んだ本を用意しておくことにした。
読み間違えても訂正してやれるし、内容も頭に入っているから間違えてもさして気にならない。
それに知っている本の方が何となくいいだろう、と思ったからだ。
そう言えばラズリアに聞いたが、この本は『ずっと昔の冒険譚』という本を子供向けにしたものらしい、展開や登場人物の名前が似ているのは元が同じだからだそうだ。
アカメ曰く最後には街を作るらしい、今度ラズリアから借りる本はそれにしようか。
図書室に入ると近くから椅子を持ってきて、明かりを点けて、椅子を片付けて、目的の本を一冊手に取り、席に座る。
他の子供はいない、中庭の方から楽しそうな声が聞こえてくる。
交流がない訳ではない、時たま遊ぶのに混ざる程度の交流はあるがこちらから積極的には関わっていない。
遊び盛りなのか、本を読む習慣がないのか、図書室ではほとんど見たことがない。
何となくそう言う気分ではないときは誘いを断るが、一人で何かをしようとすると決まってアカメが付いてきた。
図書室で一緒に本を読んだり、隠れて菓子を盗み食いしたり、それが見つかったり、色々だ。
それでもずっと気になっているのは去り際、見送ってくれるときアカメはいつも寂しそうに手を振る。
理由を聞いたことはない、聞くものでもないだろう。
親に捨てられた者、親が死んだ者、ここに住んでいる子供はおおよそそのどちらかだ。
アカメは……どちらだろう。
暫く待つとばたばたと廊下の方が不意に騒がしくなった、誰かが廊下を走っている。
少し遠くから聞こえていたのが近付いて、それが図書室の前で止まると勢いよく戸が開いた。
「あの……っね!テイ、ルス!」
戸を開けたのはアカメだった、よほど急いでいたのか息を切らしながらこっちに来る、表情はとても嬉しそうだ。
興奮気味に机に両手を置くと肩を上下させ荒い呼吸で私を見つめる。
「落ち着いて」
「ん!」
数度深呼吸、ようやく息も整ったのか、改めて
「わたし、さとおや?のところに行くの!」
そう言われて、どう反応すればいいのか分からなかった。
考えて、考えて、それがどういう意味なのかを考えて、暫くの沈黙。
孤児の引き取り手を探すぐらいの事はするだろう、それでアカメを引き取る相手が出来た、と。
「……おめでとう?」
「うん!それでね、お部屋の片付けまだできてなくて……」
勢いに少し飲まれて首を傾げ、語尾を上げつつ返すと言葉を濁し目を伏せる。
荷造りが必要なら本を読んでいる場合では無いだろう、今から外のに混ざるのもなんだし手伝おうか。
「ん、分かった、私もやる」
「わぁ、ありがとう!」
普段通り変わらず明るく、元気に返す。
アカメの部屋に行くのは初めてか。
-2-
普段登らない階段を登ると少しだけ雰囲気が変わったように感じた。
左右を見てみるが他に誰かがいる様子はない、少し離れたところで楽しそうな子供の声が聞こえてくる程度だ。
アカメに手を引かれ、廊下の突き当たりにある部屋に入る。
履き物を脱ぐためか、入り口は部屋と比べて一段低くなっている。
アカメは乱雑に脱ぎ散らかし、私はきちんと揃えてから脱ぐ、ついでにアカメの履き物も直しておく。
中は思ったより広い、壁に向かって机が二つに棚が一つに押し入れが一つ、寝床らしいのが梯子を掛けて上下に二つあるが下の方は使われている様子はない。
「ここがわたしのお部屋!新しい子がくるかも、っていわれてお引っ越ししたばっかりなんだー」
両腕を広げて、私に向き直ると今度はばたばたと押し入れの方に走り寄ると勢いよく開ける。
中はぐちゃぐちゃで、とりあえず中に入れました、というのが一目で分かる。
「……片付ける箱もらってくるね!」
「ん」
現実逃避の数秒後、開いたまま身を翻し、そのまま出ていってしまった。
勢いのまま見送ると一つ溜め息を吐く、あれを片付けるのは手間だろう。
アカメが戻ってくるまでの間、部屋でも見ていよう。
梯子に足を掛け寝床を覗く、アカメが使っているのだろう、少し雑に片付けられている。
部屋を一週し終え立っているのもなんだから椅子に座り、再度部屋を見渡す。
どうせ後で見る事になるから押し入れの中身はちゃんと見ていない。
この部屋に来たばかり、と言っていたか、見たところ二人用の部屋だが使っているのはアカメだけのようだ。
……新しい子、と言うのはもしかすると私の事だったのだろうか、とそんな事を考えていると不意に扉が叩かれ、開くと同時
「アカメー入るよー……ってあれ、ティル?アカメは?」
応答を返すよりも先にこの前まで私が着ていたような服を着たロナが入ってきた。
当の本人がいない事に首を傾げると説明を求めるような視線を私に向けてくる。
「箱取りに行った」
「なるほど、じゃあアカメが戻ってくるまで話し相手をしてくれたまえよっ!」
よく分からない格好を取りつつ両手で私を指差すと寝床の縁に腰を下ろす。
「アカメに文字教えてくれてありがとね、本当は私たちがやるべきなんだけど、本人の希望がね」
「……別にいい、名前、書けるようになってる」
急に様子が変わるものだから反応に困る、ついでに今日の事を報告すると嬉しそうに顔を綻ばせ
「おぉーサイン貰わないと、ティルも貰う?」
「……もう貰ってる」
恐らくこれの事だろうと、さっきアカメから貰った紙を取り出し広げるとロナは座ったまま身を乗り出し覗き込む。
「一番乗りいいなー!せめて二番目には貰わないと……!」
何を張り合っているのか、拳を握り力強く呟く。
「そういえば、シルバとはどんな感じ?うまくやれてる?」
特に何か問題がある訳ではない、元々人がいいのだろう、随分と良くしてくれている。
そう言えば疑問を思い出した、何故一緒に暮らさないかと言い出したのか、ロナなら何か聞いているだろうか。
「うん、なんで一緒に暮らすか、知ってる?」
僅かに目を細めると思い返すようにそのまま目を閉じ数秒。
「特に聞いてないよ、けど予想でいいなら……一目惚れ、かな?」
目を開け何故か格好つけた表情でそう言ってくるので冷めた視線で返すと
「いやいや、結構いい線いってると思うよ?!運命的なの感じちゃったとか!」
それなら最初から引き取っていればよかっただろうに、何か心変わりするような事でもあったか。
「まぁ、シルバが面倒見てくれる、って言ってくれてちょっと嬉しかったけどね、私たちもちゃんとしてるつもりだけど、どうしても仕事って感じになっちゃうから、それって何か違うでしょ?」
同意を求めるように首を傾げてくるが、答え方に悩む。
一拍置いて
「ごめんごめん、ティルにはまだ早かったね、ともかくここじゃないどこかで誰かと一緒に幸せに暮らしてほしいんだよ、私は」
「話す相手間違えてる」
「んー確かにねー、ティルって何か大人びてるからこう言うこと話しちゃうのかな?」
見た目子供相手にするような話ではない、酒の席でこぼす様な話だ。
この話の流れを続けるのも別に構わないが、何というか、相応しくない。
話題を変えるために話すことを考える、お互いに間を伺っているのか数秒の沈黙。
その沈黙の間に大きな平たい物をいくつか抱えたアカメが丁度よく戻ってきた。
「ただいまー!ってロナ先生?」
「お邪魔してるよー早速だけどアカメ、サイン頂戴!」
勢いよく立ち上がり、その勢いでアカメの前にしゃがむとどこから取り出したのか、紙と書くものをアカメに差し出す。
「うん!いいよ!えーっとね……はい!」
持っているものを一度脇に置くと笑顔で受け取り、近くの机で大きく自分の名前を書きロナに渡す。
「よぉーし!二番目!」
「ロナお姉ちゃんがお姉ちゃんたちの中で最後だよ?箱とりにいったら部屋にみんないたからみんなにあげたの!」
「手遅れだったか……!」
嬉しそうに拳を握るロナと同じく嬉しそうにその事を伝えるアカメ。
その事を聞くと膝をつき、悔しそうに床を叩く。
「……結局何しに来たの」
一連のやり取りを横で見ていたがロナが来た理由が分かっていない。
アカメに用がある様子だったが、かなり話が逸れている。
「あぁ、うん、ちゃんと片付け出来てるかなーってのと、お手伝い、ギリギリまでやらないんだから、この子は」
姿勢はそのまま、脇越しに顔をこっちに向けると気を取り直した様子で姿勢を起こしアカメの置いた箱を手元に寄せる。
「わぁ、ありがとう!」
「それじゃあぱぱっと終わらせちゃおうか!おー!」
「おー!」
二人とも拳を上げる、二人分の視線が刺さる、無言の意思表示、圧力を感じる。
「……おー」
ロナとアカメ、二人を見習って渋々軽く拳を上げる。
-3-
「おわったー!」
最後に箱の蓋を閉じ、その上にアカメが両腕を伸ばして上半身を倒しもたれ掛かる。
アカメの持ってきたものは厚紙で出来ていて組み立てると箱になるラズリアの部屋で見たものと同じ物だった。
それをいくつか使ってようやく終わった、片付けだけならもう少し早く終わったのだろうが
「おぉー懐かしいのばっかり出てくるなぁ、覚えてる?」
「あ!こんなところにあったんだ!これね、港でもらったんだよ!」
等々、二人の思い出話が絶え間ない。
それに対して相槌を返すなり、適当に反応するなりをする度に手が止まり、随分と時間が掛かった。
用途毎に入れる箱を分け、アカメが箱の側面に何が入っているか分かるように大きく文字を書く。
それを三つと半分、途中箱が足りずに一度アカメと一緒に取りに行ったりもした。
帰ってきた時ロナがろくに片付けもせずにだらけていたのはどうかと思ったが。
「これで準備は大丈夫かな、後は……ちゃんとテイルスに話した?」
「ううん、まだ……あ、あのね、テイルス」
ロナにそう言われると少しだけ迷った様な所作を見せ、体を起こし私の方を向くが、少し俯いている。
「わたしね、まーちぇす?っていう所でくらすんだって、それでね、まーちぇすっていうのはメルヴィアじゃないところで、だからね、その……」
途切れ途切れに続ける言葉を選んでいるのか、言い出しにくいのか、しばらく口ごもっている。
この様子だと私がここに来る前にはその話は決まっていたか、伝えにくかったのだろう。
マーチェス、本で名前を見たことがある、エスリックという国にある大きな街だ。
アカメが他の国で暮らすなら、当然ここに来てもアカメに会う事は無くなる。
「また遊ぼう」
普段通りに、淡々と、アカメの言葉を遮る。
マーチェスに行けば会える、それに何かの拍子にメルヴィアに来ることも無いわけではだろう。
「……うん、またあそぼうね!」
嬉しそうに顔を上げると私の手を取り強く握る。
「荷物は後で持っていくよ、みんな呼んでくるからちょっと待っててね」
「はーい!」
そう言ってロナが部屋を出ていくと部屋が静かになった。
「そうだ、ちょっとまってて!」
ロナがいなくなると何かを思い付いたように片付けた箱を開け、中から何かを探す。
横から覗いてみると装飾品や服の類を仕舞った箱のようだ。
中を掻き分けお目当ての物が見つかったのか、腕を突っ込み引きずり出す。
取り出したのは紐、いくつかの糸で編み込まれているのか、色とりどりで綺麗だった。
よく見ればアカメが角につけているのと同じ物のようだ。
「つけてるといいことあるんだって!テイルスにあげる!」
眩しいぐらいの笑みで私にぐいっと押し付けてくる。
髪留め……にするには少し手間か、輪にして手首に着けてみせる。
「えへへ、お揃いだね」
「アカメー、みんな集まってるよー」
「はーい、じゃあ行こ!テイルス!」
部屋の外からロナに呼ばれると私の手を握り、部屋を出る。
ばたばたと騒がしく階段を降り、通り掛った部屋を懐かしむように見上げながら廊下を抜け玄関まで来ると、今孤児院にいる人が全員集まっているようだった。
職員室から私と同じような耳と尾の大人の男女が二人出てくると、私たちに軽く頭を下げ玄関の横に歩いていく、素振りからして夫婦だろうか。
「アカメーおっそいよ」
「えへへ、ごめんなさい!」
名残惜しそうに手を離すと正面に立ち、緊張した様子で背筋をピンと伸ばす。
「えっと、わたしは、これからまーちぇすっていう所でくらします!」
声音からは少しだけ寂しがっているような印象を受ける。
それを出来るだけ隠そうとして、見栄を張っているような。
「まーちぇすっていうのは、えすりっくっていう所にある街のことです!ここからすごーく遠くです!」
泣くのを我慢してるのが分かる、それを抑え込んで、何とかいつも通りを装っている。
「みんなとはなれちゃうけど、あえなくなる訳じゃないです!だから……またあったときは、一緒にあそぼうね!」
そう言って頭を深く下げると顔を見せないようにして振り返り、袖で乱暴に顔を拭くと里親の二人の元へ走っていく。
「またねー!」
そこにいた子供たちは声を揃えて、大きく手を振る。
アカメも顔だけをこっちに向けると大きく手を振り返す。
泣いているのに嬉しそうに笑っている。
「また」
私も小さく手を振り返す。
会えなくなる訳じゃない、遠くに行くだけだ。
そうとは分かっているが、どうにも拭いきれない感覚が残る。




