知らない場所
-1-
目が覚めた、先ほどまでとは違う空気感に少し混乱する。
直前の記憶がはっきりしない、自分がどうしてここにいるのか分からない、ここが所謂死後の世界なのかとも思ったがそうでもなさそうだ。
寝転がったまま今の自分の状態を確認する。
目を閉じ、自分の中へと意識を集中させる、力はほとんど感じられない、落としたか、失せたか。
ゆっくりと目を開き体を起こすと、次に自分の姿を確認する。
体を見るに人の子供、髪は金、腰ほどの長さ、肌は白い。
外傷らしい外傷は見られず、体に痛みは感じない、四肢も問題なく動くが死装束を着ているのは皮肉か何かだろうか。
顔は見えないが、まぁ見目麗しい顔をしていることだろう
「……耳と尾が消えんな」
先ほどから服の下で居心地悪そうな尾が一つ、気になって頭にも触れると獣らしい大きな耳が二つ。
意識を向けても容姿は変わらない。依然子供のままで耳と尾は変わらずもふもふしていた。
短く息を吐くと立ち上がり周囲に視線を向ける。
見慣れない植物、初めて感じる空気、木漏れ日が照らすこの場所は少し暖かい。
ここはどこかの森の中だろう、少し開けた場所らしく視線を遮るものは少ない。
これからどうしようか、考える間もなく近くの葉が揺れる音が聞こえた。
「……っ」
音のした方へ体を向け、身構える。
人か獣か、何にしても害あるものだとするなら今の自分に対抗する手段はないだろう。
いや、人ならまだ可能性もあるか……?などと考えているうちに茂みから何かが飛び出してきた。
……ウサギ、だろうか?随分と肥えた大きなウサギだ、ずんぐりとした体ながら跳ねるようにして私の横を通り抜けていった。
何だったんだ、と視線を正面に戻すと今度はまた違う物が飛び出してきた。
……犬だ。山羊のような角を生やした犬を見るのは初めてだが、きっとあれは犬だ。
大きさは今の自分より一回りほど大きい。腹を空かせているだろうことが一目でわかった。
さっきのあのウサギのような生き物を追っていたのだろう。
もしかしたら、もしかしたら見立て違いで、腹が空いていないのかも知れない。そうしたらきっとこちらには見向きもせずにどこかへ走り去ってくれるはずだ。
もしかしたら、こんな見た目だが草食かも知れない。山羊みたいな角をつけているのだから犬ではなく、実は山羊なのかもしれない。さっきのウサギを追っている、なんてのは私の推測に過ぎないのかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら……目の前の現実が自分に都合がいいことだけを願い続けた。
けれど現実は無情で、件の犬は低い唸り声をあげ鋭い牙を見せつけながらゆっくりと近付いてくる。
向けられる殺意が今日の獲物はお前だ、と言っているように思えた。
体の震えが収まらない、息が詰まる。死にたくない!死にたくない!
「きゃあああ!!」
みっともなく悲鳴をあげ、逃げ出すことしか出来なかった。
だがそれすらも許さないと悲鳴を上げると同時、背を向けるよりも早く飛び掛かってくる。
抵抗の余地すらなく簡単に抑え込まれた。
目前に、死が近付いてくる。
-2-
こんなの嫌だ!こんな終わり方、嫌だ!
目の前の口が大きく開く。死の実感が強くなる。
それが嫌で、少しでも遠ざけたくて、咄嗟に腕を目の前に突き出す
「いぎっ……!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──!!
思考が痛みに染められていく。
牙が食い込む。肉が裂け、鮮血が噴き出す。痛くて涙が止まらない。真っ白だった装束が血色に染まっていく。
「こん、のぉ!!」
力を振り絞り渾身の力で腹を蹴り上げると甲高い鳴き声を上げなんとか引き剥がすことが出来た。
ただ逃げなくては、数秒としないうちに追い付かれるだろう、それでも、そうなるとしても少しでも遠くへ。
「っ……!」
足が止まる、逃げるのを諦めたわけではない。
──逃げる先、目の前にさっき蹴り飛ばしたはずの犬がいた。
低い唸り声を上げながらこちらに近付いてくる。さっきとは違う、もう一匹。
もう逃げられない、そう分かった途端足の力が入らなくなってへたりこんでしまった。
ここで食われて死ぬのだろう、そんなの嫌だ、でもどうしようもない。弱肉強食なんて当たり前のことじゃないか。これまでもそうしてきたように、弱いから食われ、強かったから食うのだ。
だからって生きるのを諦めたくはない、死んでもいい、なんて理由にはならない。
再度死が近付いてくる、息が詰まる、体が上手く動かない。
今度こそ死ぬ、喉元を食い千切られ、声もろくに出せぬまま死ぬ。
苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで最後に死ぬんだろう。
自分の最期を考えていると飛び掛かろうと身を屈めるのが見えた。
瞬間──目の前の犬の背中に斧が突き刺さっていた。
「……ぇ?」
何が起こったのかわからず思わず掠れた声が漏れた。
血飛沫を上げ倒れる犬の奥、斧の軌道を辿るとその先に見たことのある姿、牛の頭をした大男が振りかぶっている姿が見えた。
「あ……あぁ……」
目の前で倒れている犬の何百倍も質が悪いのが現れた。僅かに見えた希望も、すぐに塗り替えされてしまった。
逃げなくては駄目だとわかっていても足に上手く力が入らない。
後ろから聞こえる荒い息遣いに意識を奪い取られる。
あぁ、当然だ、目の前の犬が死んだところで後ろにいる犬の腹が膨れる訳じゃない。
時間の流れがゆっくりに感じる。
自分の背から向けられる殺気は変わらないまま、近付いてくる。
死にたくない、死んだら何もできなくなる、嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「やだ、やだぁ!」
死を感じた間際、子供のように駄々をこね、感情が漏れだす。
泣いて喚いても、変わらない。ここで──
風を切る音が聞こえたような気がする。
それと同時に犬の断末魔らしい叫びが響いた。
何が起こったのか訳がわからず、振り返ると誰かが立っていた、肩までかかった乱れた銀色の髪と全身真っ黒の格好が印象的だった。
その人は刀らしい武器を納めると乱れた髪を撫で付けていて、傍らには両断された犬の死体があった。
視線に気付くと周囲を一瞥するとしゃがみこみ視線を合わせる。中性的な顔立ちの女だ、深い藍色の瞳がじっとこっちを見ている。
「─────」
何かを言っている、知らない言葉なのか意味を理解することが出来ないが、表情と目線からは驚きと心配を読み取ることが出来た。
そのまま傷口に手をかざすと淡い光が漏れ出す。未知の感覚に戸惑いを隠せない。
数秒、そうしているとゆっくりと手を離す。
不思議なことに傷が治っていた。痛みもさっきと比べるとずっと軽い。
「─────」
申し訳なさそうに何かを伝えてくると近くから声が聞こえた。視線をそちらに向けるが
「……ねっこ!!」
飛び出してきた頭に獣の耳をつけた人間を見て、声を出さずにはいられなかった。
なんか、もう、色々ありすぎて思考がまとまらない。