暗闇の中で
「あーあ。何で俺がこんなことしなきゃならないんだよ」
「はは・・・・・・。まあ、しょうがないんじゃないかな。一応僕達の住む世界でもあるし」
隣でボヤく焔くんに僕―――御剣悠は苦笑気味で答える。
学校で悩む桂木くんは置いといて、僕達は悪魔の拠点へと足を運んでいた。
さっきヒルデ先生から聞いた話では桂木くんは町の中で穴掘りをしているらしい。何でそうなったのかは謎だけど本当に楽しい性格してるよね、彼。
「流石剣聖と言うべきか。そしてフェニックスの幻想種。こんなにも早く気付かれるとはね」
目の前の大地の名を冠する悪魔が言う。その姿は大地そのものとしか言い表せないものだ。悪くいえば土人形。よく言っても土偶。見てて普通と言えるものではないのは確かだね、これは。
それにしても先に来ていたはずの火野村さん達の姿が見えないのが気になる。
まさか負けた? あの二人が? そんなことは有り得ない。だってあの二人は・・・・・・。
「気になるか? アモンの二人が」
土人形が問うてきた。その顔には薄らと笑みが浮かんでいて、嫌な考えを浮かび上がらせる。
「死んだよ。私が殺した。あっけないものだったよ、幻想種というのも」
その言葉を聞いて焔くんが呟く。
「これは・・・・・・ピンチかもな」
確かに、これはお世辞にも有利とはいえない。そもそもこの二人の悪魔が人間界に来れた理由も謎なんだ。
アマイモン程の悪魔が普通に来たなら魔王様が動いてもおかしくない。四大悪魔とも呼ばれるレベルになれば人間界になんかそう簡単に来れるはずもないんだから。
「倒すよ。難しいかもしれないけどやるんだ。悪魔は倒さなきゃ」
「おい、御剣? お前なんか顔怖いぞ。大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ。何も心配しなくていいから」
そう言って剣を抜く。
土人形のゴツゴツした顔が微かに吊り上がる。
「噂に聞いた呪われた子。そしていつか成り得る剣聖の妙技。この岩肌を突き貫けるか」
「僕は剣聖って名前が嫌いなんだ。その名を呼び続けるなら―――殺すよ」
「はあーあ。何してんだかね、俺もお前も。格上ばかりと戦ってさ。でも、まあ―――それも面白いか」
両手に炎を灯らせる焔くんと共に剣を構える。
屋内の闇に火花が散って火蓋が下ろされた。
何だか上が騒がしい。
多分さっき来たお客さんが暴れてるんだろう。
「はー、これまたでっかいのを書いたな」
真っ暗な世界に男の人の声が聞こえた。この声は私に「お兄ちゃん」をくれた声。私の世界に光をくれた。
「えへへ。願いを叶えるなら大きなものがいいって本に書いてあったんです」
そう。限界だった。何もかも思い通りにならない世界に。あの日から壊れた唯一の家族に
一歩踏み出せない自分が嫌だった。何も言えない自分が嫌だった。死んだ兄を信じる妹が嫌だった。
兄はいつだって妹を見ていた。私も兄が好きなのに。
兄はどんな時でも妹を大事にしていた。私の方が兄のことが好きなのに。
いつからだろう。いつからだろうって考えたら思い付いた。
妹がいるからだ。妹がいるから私が好きだって言っても笑うだけになってしまった。妹がいるから私の相手をしなくなった。
妹が、妹が、妹が!
ある日、黒い大人が空から降ってきた。その人は赤い水に濡れていて、それを見た人は悲鳴を上げて逃げていく。
お兄ちゃんは私に言ってくれたんだ。逃げろって。私に、火奈のことは任せたって。
ふふふ、嬉しかった。お兄ちゃんが初めて頼ってくれたから。お兄ちゃんが笑ってくれたから。でもね、お兄ちゃんは潰れちゃったんだ。
トマトみたいに、虫みたいに、ぐちゃって。
その日から私の世界は暗転した。周りの人が何に笑ってるのか分からなくて。何が楽しいのか分からなくて。
何で私を見てるの? 何で私を叩くの? 私の世界はどんどん色を無くして痛みすら消えていった。
でもね、最近。四年前かな? 本を見たの。願いを叶えるお呪い。
大きな魔法陣と自分の血。それだけでお兄ちゃんに会える。それだけで私の恋は実る。
だから私は手を出したの。目立たない所に傷を付けていっぱい流した。そしたらね、お兄ちゃんが出てきたんだ!
学校にいたんだよ。お兄ちゃんが。中学校を見学してた時にね、女の人と笑うお兄ちゃん。
一目で分かったよ。お兄ちゃんだって。明るそうな人と綺麗な大人しそうな人と笑うお兄ちゃん。また会えた。また・・・・・・
その日から私を笑う人はいなくなった。でもそんなことはどうでも良かった。毎日お兄ちゃんのことを考えてた。
毎日中学校に行って見てた。いつもと同じ人と笑うお兄ちゃんを。いつも、いつもいつも。
大好きだった。抑えられないくらいに。でも、会えなかった。私が会ったら妹にも会ってしまう。そしたらまた・・・・・・
一年が経った。
私も同じ中学校に進学してもっと近くで見れるようになったの。
お兄ちゃんは知らない人と会うようになった。金髪で太った人。
その人と一緒に色んなことをしてたなぁ。金髪の人と一緒に人助けをしてた。
いっぱい人を殴ってた去年のお兄ちゃんと違ってよく笑ってて愛おしい。あの頃のお兄ちゃんと全く同じだったから。
困ったことになった。
生徒手帳をなくしちゃった。何処を探してもない。手元にあるのは妹の物だ。間違って持ってきてしまったのかもしれない。
これはお兄ちゃんに会えるチャンス。自然と足取りは軽く、止まることなく会いに行けた。
一生懸命に探してくれた。学校を駆け回って、汚いゴミ箱まで漁ってくれて、見つけてくれた。
とても汚い私の宝物。お兄ちゃんが触った私の生徒手帳。妹と間違われて捨てられた私の宝物。
こんなに汚い物なのにぎゅっと握って笑うお兄ちゃん。見つかって良かったなって。
幸せだった。大好きな人を独り占め出来たから。あの忌々しい妹にも見せないような笑顔だった。
そして一ヶ月前。
またお兄ちゃんに会いたくなった。どうしても抑えられなくて。でも会えなくて、足が動かなかった。
でも、一つだけ理由があった。そう、妹だ。
いつからか苛められてる妹。月はまだ四月。高校に進学した妹を苛める人はまだいない。
だから、会わせた。噂に聞く美藤先輩に。
そしてこっそりと噂を作った。付き合ってるって。
後は滑り落ちていくだけ。ずっと苛められてた妹は諦めて猫と話している。
昔からお兄ちゃんは言ってた。頑張れば何でも出来るって。猫と話せるって教えてくれたのもお兄ちゃんだった。
そんな妹が憎かった。ずっと信じてて。馬鹿だと思った。お兄ちゃんを愛してるのは私だけなのに。
そして今に至る。お兄ちゃんに依頼して。ずっと一緒にいて助かるわけのない妹を助けようとしてる。
一生懸命なところも大好きだよ、お兄ちゃん。
「うぅ、駄目だよ。こんなの」
妹の小さな声が聞こえた。
ずっと逃げてた妹。なのに、今になって私に立ちはだかった。私に背を向けて大男と向かい合って立ち向かった。
今朝。
四年前に書いたはずの魔法陣から男が現れた。真っ黒で真っ赤な男。それは十年前にも見た男。
その人は私に言う。
願いの代償、貰いに来たって。そしたらまた私の世界は闇に包まれた。
世界は色を無くしてずっと見たいた人も、憎かった人も見えなくなった。
「くくく、ははは! 未だ立ち上がるか! 人間しては頑丈だ。おい、この女。貰うぞ」
大男の問いが聞こえる。
もし、火奈ちゃんが死んだらお兄ちゃんはどう思うかな? もっと私の側にいてくれるかな。
無言で頷く私に男の人は大きく笑う。
「がはははは! いい! その強欲さ! 気に入った! 契約のせいで眷属にこそ出来ないが、その魂! 俺のコレクションに加えてやろう!」
バキッと何かが折れる音と火奈ちゃんの小さな悲鳴が部屋に響いた。
もう少し。もう少しで・・・・・・。でも何だろう。嫌だ。こんなの・・・・・・。
何度も響く悲鳴に体が震える。お兄ちゃんは私だけを見てくれる。なのに、辛くて苦しい。
「いや・・・・・・。やめて」
自然と零れた言葉。それは今までの自分の行いがどれだけ酷いものかを自覚するには十分過ぎるものだった。
火奈ちゃんの苦悶の声は止むことなく続いている。真っ暗なのが救いなのか。それとも更に辛いものへと変えるのか。
殴られてないのに痛くて、心にお兄ちゃんの言葉が突き刺さる。頼むって言われたのに。何も出来ない。
こんな時でも動けない自分。何も出来なくて、弱くて。苦しい。
だから自分が嫌いだった。だから他人をお兄ちゃんに重ねた。だからだからだから!
もう嫌だったから────
「もう・・・・・・やめて!」
立ち上がって悲鳴のする方に駆ける。だがすぐに柔らかい何かに蹴躓いて転んでしまう。
床に刺さってる何かが突き刺さったんだろう。鋭い痛みが腕にビリビリと走った。
上から声が聞こえた。
「妨害するってことは契約を破棄するのか。するってことでいいんだよなぁ?」
面白いものを見るような、嘲笑うような視線を感じる。それだけで体が竦む。震えが止まらなくなる。
でも、手元に感じる人の体温がそれを消す。
「うん。だから帰って!」
「はははは! 世界を捨てたか! あー、面白い! 死にかけの妹一人の為に世界を犠牲にするとはな。・・・・・・なら、死んで俺の物になれ」
突然風が巻き起こる。その後に大きな破裂音が家内に響き渡った。
「あー。いってぇ。でも守れたな」
その声はもう聞き慣れたもので、兄と重ねたもの。
契約が切れて光を得た視界に黒い布がバタバタとはためいている。
「無事・・・・・・とは言えないな。早く病院に連れて行ってやれ。早くしないと死んじゃうから」
「あ・・・・・・お兄ちゃん・・・・・・」
血まみれになってる火奈ちゃんが桂木先輩を見て呟いた。
「あー。あのさ、俺はお前達のお兄ちゃんにはなれないよ。でもさ、一応頑張るから。お前達が頼ってくれるよう頑張るから。だから────」
「はははは! お前か! 久しぶりだな! 転生野郎! こんなに早く会えるとは思ってなかったぞ!」
「黙れよ。今話してんだろ」
笑う大男の顔を殴りつけた桂木先輩はこっちを見て恥ずかしげに笑顔を作った。
「だから、水奈も火奈も前を向いてくれ。大切な人が死んだら悲しいし辛いけど。いつまでも引きずってたらその人が悲しむだろ? だから楽しく生きてますって胸を張れるように生きてくれ」
「なーにカッコつけてんすか。ったく、これだから高校生は」
「高校生は関係ねえ! あと少しくらいはカッコつけてもいいだろ!」
誰か知らない人と笑う桂木先輩。白い服を着てるから聖騎士だってことは分かる。
拙くて、小さな光。それが依然として暗い世界に灯った。
因縁というか、復讐すべき敵を前に俺────桂木春は共に来た菊城と笑っていた。
「いやぁ、分かるっすよ。俺も高校生の時は女の子の前で色々やったッスからね」
「違うってば! 聞いて! 人の話を聞いて! カッコつけたいんじゃないの、俺は!」
自分でも驚くくらいだ。確かにあいつは憎い。でもその気持ちが全面に出てこないんだ。あくまでも俺の力のトリガーとしてあるような感覚。多分桜のおかげだろう。ありがとな、聞こえないと思うけど。
脇をしめて両手で刀を構える。時代劇でよく見る型だ。
「やるぞ。遅れるなよ」
「はっ、どの口が言うんすか。あんたこそ付いてくるっすよ────生意気高校生!」
俺達二人が散らかった部屋の中を駆け回る。すげぇ! 菊城の動きは悪魔である俺と同じくらい速い!
菊城の手から生まれた光剣がアスモデウスを襲う! 微かにアスモデウスの足が動く。屈んで躱すつもりだ!
距離を詰めて刀を薙ぐように構え直す! その瞬間────アスモデウスが笑ったように見えた。
アスモデウスは光の剣を後ろに飛んで避ける。剣は顔面スレスレを通って俺の頭の上を通り抜けた。その次の瞬間!
かかと蹴りを食らった菊城が俺の目の前に迫る。
完全に攻撃の体勢に入ってた俺はなす術もなく菊城を受け止めて吹っ飛んだ!
「おいおい、どうした? まだまだ憎しみが足りねぇんじゃねえのか? なんならさっきの二人殺してきてもいいんだぜ」
俺達を見下して笑うアスモデウス。構わずまた屋内を駆ける!
その時気づいた・・・・・・。あいつ、俺達を目で追ってる? もしかして・・・・・・全部読まれてるのか!
突貫して刀を振り下ろす! あっさり避けられて腹に拳がぶち込まれた。
上ってくる血反吐を何とか飲み込んで耐える。
「一つ質問いいっすか?」
「なんだよ。こんな時に」
「何で感情を前に出さないんすか?」
「は? 何言ってんだ?」
菊城の問いに疑問符が浮かんだ。だって感情を抑えなきゃ駄目なんだろ? 前に出すと死ぬって焔が言ってた。
「魔法なんてのは感情で強くなるんすよ。表に出しすぎると手を読まれるッスけど無にするのは駄目っす」
「そうなのか?」
「静かに。上に意識を集中してみればいいっす」
上から小さな声が聞こえる。
「うおおおおおおお!」
焔の声だ。あいつ、しっかり叫んでやがる! 人に好き勝手言いやがって!
なら俺も我慢する必要はないよな!
「行っくぜ!」
アスモデウスに突っ込んで刀を振るう。刀を躱したアスモデウスが拳を振り上げる!
振り下ろされる一瞬────俺の世界がスローになった。遅い。アスモデウスの動きも。肌に感じる全ても。
「良い顔になったな! 顔に浮かぶ怒りがゾクゾクするぜ」
「ああ。抑え切れるか不安だったんだ。お前のやったことは絶対許さねぇ!」
振り下ろされた拳は横に飛んで躱す! そしてそのまま振り向き様に刀を薙ぐ!
意識が、意識だけが覚醒してる。五感だけが素早く作動する!
刀はアスモデウスを掠って空を裂く。
不自然に刀を振ったせいか足がもつれて体勢が崩れる! それを見たアスモデウスが笑って拳を握った。
「俺を忘れんな!」
横から光が割り込んできてアスモデウスの手を切り裂く! 目の前で描いた光の軌跡はアスモデウスの体を走って鮮血を飛ばす!
「チッ! 雑魚が!」
振り回される拳を菊城は後ろに躱した。
暗い屋内の中でもアスモデウスの体に黒い刺繍が浮き上がるのが分かる。
顔には青筋が出てきて、ニヤけた顔とは裏腹に怒ってるらしい。
「くくく。お前ら・・・・・・楽しませてくれるじゃねえか」
アスモデウスの体が闇に溶けた! そして次の瞬間、夜よりも深い闇が迫ってくる!
両腕を交差させてガードする! 腕から来る衝撃に体が耐えられずに吹っ飛んで壁にぶつかった。更に闇の追撃。
壁に押し込まれる! 足が床につかないせいか、体に力が入らない! 抵抗する間もなく壁を貫いて外に放り出された。
「ぐっ!」
横に菊城が転がってきた。一見傷がないように見える体も内側はズタボロだ。俺もそうだから分かる。
あの闇は押し潰そうとしてたんじゃない。何度も何度も連続で攻撃されてたんだ。
攻撃のリズムが分からない程早く、正確に。
「はははは! おい、どうしたよ! あの時みたいに楽しませてくれよ。黒い炎は!? 翼は!? 忘れちまったんならやっぱり殺すか? あの二人。そしてあいつみたいに犯し尽くしてやろうか? 目の前でよ」
アスモデウスのイヤらしく、汚らわしい笑い声が響く。
それを聞いた俺の中で何かが弾けた気がした。
「テメェ・・・・・・ふざけるなよ」
「あ?」
「ふざけるなって言ってんだよ!」
一瞬で距離を詰めて腹を乱暴に殴りつける! 少しだけ吹っ飛んで体勢を崩したアスモデウスに叫ぶ!
「もう二度とあんなことはさせねえ。テメェは俺がぶっ倒す!」