落ちた空
時間は七時半。
外の状況は変わらない。むしろ騒がしくなってきたくらいだ。目覚めて気付いた人が更に騒ぎを大きくしたんだろう。
目の前にいる白もその一人だ。
「今日学校休みかな? わー、大事件だよね! 太陽がないって!」
よく分かんねぇな、騒ぐところそこか?
あと、学校は普通にあるらしい。休校連絡は来なかった。
ニュースの声は外の大声で聞こえてこない。でも、中継で映る町に一瞬だけど見知った人がいた。
小さく屈んだ女の子。俺の学校の制服で、セミロング。そして気の弱そうな外見と潤んだ瞳。
・・・・・・水奈だ。わけも分からず逃げる人の波の中で身を小さくして何かを言っている。
「ちょっと行ってくる」
「え? お兄ちゃんちょっと!?」
驚いたような声を上げる白を置いて部屋を飛び出す。
行く必要はないかもしれない。でも、嫌な予感がするんだ。
外の騒ぎが空襲と重なる。
状況は違う。でも似てる。何かが・・・・・・同じ。
破滅の音は加速して空から降り注ぐ。
その中を俺は駆け抜ける。あの日を振り切るように。もう失わないために。
空の闇の下。
踞る水奈を見た。周りの人は何も気にしてないみたいで逃げ回っている。
他の所と比べてもここはおかしい。何かに怯えてるのがはっきり分かるんだ。
もしかしたら・・・・・・何かいるのかも。
「あ、お兄ちゃん!」
顔を上げた水奈が叫んだ。
近くに兄貴がいるらしい。だが、周りを見渡してもそれらしき人はいない。
駆け寄ってきた水奈が俺の服の袖を掴む。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! はぁ、やっと会えた。えへへ、お兄ちゃんの匂い」
おかしい。何がおかしいかって。全部だ。
何で水奈は俺をお兄ちゃんって呼ぶんだ? 水奈の目は虚ろで何処を見ているのか分からない。
お兄ちゃん? お兄ちゃんってなんだ? 遠縁か!? だとしたら嬉しいんだが。
こんな可愛い子が妹・・・・・・。しかも一歳しか変わらないなんて。どこのエロゲ世界だよってぐらい嬉しいんだけど、水奈の様子を見る限り有り得ない話だ。
完全に狂ってる・・・・・・。
「水奈、俺はお兄ちゃんじゃないよ。よく見てくれ、違うだろ?」
「・・・・・・何言ってるの? お兄ちゃん。早く帰ろ? 火奈ちゃんも心配してるんだよ」
俺の手を引っ張る水奈。
そして家らしき場所に連れてこられた。
数年手入れなんてされてないような庭を通って窓の前に立つ。
そこから入ろうとした水奈の腕を掴んで止める!
「何処から入ろうとしてんだよ! 泥棒か、お前は!」
「え? お兄ちゃん忘れちゃったの? ここ玄関だよ?」
「は? いや、どう見ても窓だろ。何言ってんだよ? 水奈・・・・・・お前、大丈夫か?」
「えへへ、大丈夫だよ。お兄ちゃんこそ大丈夫? それとも久しぶりだから忘れちゃった?」
血の雨に濡れた水奈の顔は満面の笑みを浮かべていた。昨日までの俺なら一緒になって笑ってただろう。
でも、今のこれは何だ? 何を見てるのか分からない水奈は俺を兄と呼んで、懐いてくれてる。
「水奈、桂木春って覚えてる?」
「うん。お兄ちゃんにそっくりでね。良い人なんだよ。火奈ちゃんを助けてくれるって言ってくれたんだ」
俺のことを忘れたわけじゃないらしい。
ただ重ねてるだけ。それが問題か。
「先輩? 何やってるんですか?」
家の中から火奈が出てきた。
見たことのないパジャマ姿だ。無防備に開いてる第二ボタンから覗く白い布切れが目と精神に癒しをくれる。
「エッチ!」
流石と言うべきか、即座に胸元を隠してボタンを閉める火奈。
「そもそも開けてる火奈が悪くないか!? 不可抗力だろ!」
「関係ないもん! エッチ! 変態! バカァ!」
「そういう事はもっと大きくなってから言うんだな」
「見た時点で悪いのは先輩だよ! 目を逸らすとか出来ないの!」
「ああ出来ないね! なんたって男だからな!」
「そんなことで誇らないで! うぅ、もうお嫁にいけないかも・・・・・・」
「そこまでか? なら良い人紹介してやろうか? 変態だけど優しいぞ、多分」
「いらない。先輩の友達なんてエッチな人しかいないもん」
「失礼だな、おい!」
「お兄ちゃん。えへへ・・・・・・」
突然割り込んできた水奈を見て火奈が呟く。
「うわぁ、先輩。嘘でしょ。お姉ちゃん洗脳しちゃったの」
「しねぇよ! どうなってんのか俺が聞きたいくらいだ。何でお兄ちゃんなんて呼ばれることになったんだ・・・・・・」
「似てるんだよ、お兄ちゃんに。先輩は」
「それ、昨日も言ってたよな? 誰なんだ? お兄ちゃんって」
「まだ会って二日の先輩に教えると思う? って言いたいけど、お姉ちゃんがこれじゃ仕方ないね。上がって、全部教えてあげるから。・・・・・・ちゃんと玄関からね」
「分かってるよ」
そう答えてから玄関へと向かう。
外も相当放っとかれてるが、中も相当だ。こう言っちゃ悪いけど荒れ果ててる。
靴は散乱してるし蜘蛛の巣も張り放題。掃除した痕跡なんて欠片も見つからない。
リビングらしき部屋に入った俺に中にいた火奈が座るように指示を出した。
「まず、お兄ちゃんのことだね。私達双子の姉妹には一人、お兄ちゃんがいたの。いつも笑ってて、優しい人だったんだよ。死んじゃったけどね」
「死んだ・・・・・・? それって────」
「うん。空襲でね、私達を庇ったんだ。そして悪魔に殺されちゃった。馬鹿だよね。大丈夫だ、必ず帰るからなんて笑ってさ。死んじゃうんだもん」
俯いた火奈は心なしか少し寂しそうに見える。
死んじゃった・・・・・・か。俺、何も知らずに好き勝手言ってたな。
「その、火奈はさ。何でこうなっちゃったんだ? やっぱり死ん────亡くなったのが原因なのか?」
「うん。多分、夢を見てるんだよ。お姉ちゃんはお兄ちゃんが大好きだったから。ずっと一緒に遊んでたの。でも、先輩が現れた。お兄ちゃんにそっくりで、お姉ちゃんの心に空いた穴に入り込んじゃったんだと思う」
ただ、似てたから。だから死んだ兄貴と重ねられた。
俺はどうなんだろう。もし、凪姉のことを覚えていたら・・・・・・。俺は誰かと凪姉を重ねたのか?
分からない。今は火野村先輩がいて、桜や日向がいる。あの日から支えてくれた人達も。
でも、その人達がいなかったら? もし日向がいなかったとして、俺は今を生きているのかな?
それは多分有り得ない。会えなかったら絶対何処かで野垂れ死んでる。
俺は日向に救われた。何度も、何度も。だから、俺も誰かを救えたら・・・・・・。
そう思った。だから────
「俺が何とかするよ。水奈も、この状況も。そして火奈のことも。だから少しだけ待っててくれ」
隣にいる水奈の頭を撫でて火奈に言う。
先輩、すいません。でも黙って見てるなんて出来ないんです。
それが俺の力を求めた理由だから。それが俺の悪魔である理由だから。
雨足は強く、激しくなっていく。
さて、まずは何をしよう。いや、考えてる暇があるなら動け。だっけ?
じゃあ動いてやりますか! 色々巻き込んでな!
まず俺が向かったのは学校だ。
目的はこの状況でも無視を決め込んでるあいつ!
「焔!」
教室に飛び込んだ俺を見た焔が笑う。
「よっ、いい朝だな。魔界を思い出すぜ」
「そんなこと思い出さなくていい! 今何が起こってるのか分かるか?」
「いや、全然。デカいのが近くにいるってことは分かるがな」
「デカい? それって、やっぱり悪魔なのか?」
「だろうな。おそらくお前らの言う「空襲」と似たようなことが起こるぜ」
「おそらくじゃなくて、確実に起ころうとしてるよ」
窓の外から焔に補足の声が入った。
外の暗闇に映える紅い髪が降りてくる。お兄さんだ。
お兄さんの体は傷だらけで何かあった事がすぐに分かる。
「ちょっと面倒なことが起こってね。アモンの悪魔が殆ど全滅した」
「えっ? はあああ!? 全滅って、あんなに強い悪魔がですか!?」
「はは、上には上がいるってことだよ。特に悪魔は抗うことが出来ない程大きな支配者がいるからね」
「支配者ということは、お兄様。奴が出てきたと?」
焔の問いにお兄さんは無言で頷いた。
支配者? 奴? よく分からないけど前に戦ったアモンよりも強い悪魔が近くにいるってか!?
アモンにだって奇跡が二、三回起きた上で焔に助けてもらって勝てたのに更に強い奴と戦わないといけないなんて・・・・・・。
「でも、まだ彼は魔界を動いていない。今人間界にいるのは・・・・・・」
お兄さんは少し俺を見て、そして言う。
「アスモデウス。そして、その主でもあるアマイモン。その二体の悪魔が人間界に潜んでいるかもしれない」
「アスモデウス・・・・・・。奴が、あいつがいる」
思い出すだけでも腹が立つ。
空襲を起こした張本人。凪姉を殺して転生させた悪魔。そして俺が誰よりも殺してやりたい奴。
「何処にいるんですか? あいつは、あいつだけは俺が────!」
俺の叫びをお兄さんの指が止めた。
「今の君には教えられない。弱いし、何より復讐に囚われている。今の君が戦ったとして、得られるものは何もないよ」
「得られるものって。じゃあ、逆に得られるものって何なんですか! あいつと戦って俺は何を手に入れられる!? 俺は・・・・・・」
俺は、どうすればいい。
弱いのも、無茶なのも全部分かってる。でも、だからって割り切れる話でもないんだ。
大切な人を二回も殺されて黙って受け止めるなんて俺には出来ないよ。
「くだらねぇ。ごちゃごちゃ悩んでるからそうなるんだろ」
「なっ! 悩むのは当たり前だろ! 人を殺すってことはさ! 俺、人殺しになるかもしれないんだぞ」
「それがどうした。殺さなきゃ殺される。それだけだろうが」
「そういう問題じゃない! 死んだら終わりなんだぞ! 笑うことも泣くことも出来ないんだ! そんなの────」
「じゃあテメェが死ねよ」
「なっ────!」
「前にも言っただろ。弱い奴が全てを奪われる。俺達は殺さなきゃ生きていけねぇんだよ。お前みたいに余計な感傷をぶち込むな」
「余計な・・・・・・余計なわけないだろ! 命を奪うって簡単じゃねぇんだ!」
「だから言ってんだろうが! そもそもそれが間違いなんだよ! 守りたいなら殺すしかねぇ! それが出来ないならこっちが死ぬしかねぇんだ! 皆で仲良く手を取りましょうなんて不可能なんだよ!」
焔が俺の胸ぐらを乱暴に掴む。
殺すしかない。ああ、殺してやりたいさ! でも、その時点で俺はあいつと同じ土俵に上がることになる。
それは・・・・・・嫌なんだ。
「それでも・・・・・・俺は人でいたいから。だから迷って、悩んでるんだ。殺したいけど、殺したら「俺」じゃなくなる気がするから」
「チッ! そうかよ。なら勝手にしろ。その代わりどんな結果になっても知らねぇからな」
そう吐き捨てて教室を出ていく焔。
俺は俺のやりたいことが分からない。殺したいのか、殺したくないのか。
憎いのか、何とも思ってないのか。
「それじゃ、僕も行くよ。眷属くん。ゆっくり考えるといい。僕達は君を責めるつもりも急かすつもりもない。君がそうでありたいと思う方向に進めばいいからね」
そう言ってお兄さんの姿は魔法陣の光に消えた。
外の暗闇は俺の心を曇らせる。
どこに行けばいいのかも分からない。俺の心はただ、揺れていた。