前夜。そして魔界へ
先輩の家の前。厳密には家の隣の塀。そこに俺とお兄さんは隠れていた。
なんでこんなことをしているのか。それは家の前にお父さんが立っていたからだ。
時折、周りをキョロキョロして何かを探してる。何ってそんなのすぐに分かる。先輩だ。
伸ばしっぱなしにしてる髭と増えた白髪がこの一週間を物語ってる。
やっぱり・・・・・・無理だ。行けない。なんて言えばいい。
先輩は悪魔で魔界に帰りました? ふざけんな。そんなこと言えるわけがない。
あの人達は待ってるんだぞ。帰ってくるって信じてるんだ。
俺に出来ること。俺がやること。それに全力で挑めばいい。
「眷属くん。彼は何をやってんだい?」
お兄さんの視線は動くことなくお父さんを見ている。そんなに不思議か。不思議だよな。元人間の俺も驚いてるんだから。
「多分待ってるんですよ、先輩を」
「何で? もうオーガスは帰らない。それは伝えてあるはずなんだよ。それなのに────」
「理由なんて娘だからでいいんじゃないですか。俺だって家族が帰ってこなかったから外で待ちますし」
「でも、血縁はないんだよ。所詮は他人の子だ。それでも待つのかい? 人間は」
「それは分からないです。でも、ああいう人もいる。だから守りたいって思えるんです」
お兄さんは何も答えない。ただ、お父さんを見てるだけ。何か思うことがあるのか?
「帰ろうか」
「へっ?」
突然踵を返すお兄さんに間抜けな声を上げる俺。恥ずかしい。なんか高い声が出た・・・・・・。
「ねぇ、眷属くん。一つ聞きたいんだけどいい?」
「はい、いいですよ。俺なんかで良ければ」
「オーガスは幻想種。つまり、力の強い悪魔なんだ。僕なんかより遥かにね。だから、アモン一族の宝とも言える存在だ。彼女を取り戻すのは難しいよ。それでもやるのかい?」
「当たり前です。その為にトレーニングをしたんですから。絶対に取り返して、文句を言ってやるんです。勝手に消えるなって」
お兄さんにそう答える。
今の俺は弱い。自分でも分かるくらいに。だから必要なんだ。師匠的な存在が。
多分それは先輩じゃなきゃいけない。あの人以外はありえないんだ。
「そっか。じゃあ教えないといけないことが出来たかな」
「教えないといけないことですか?」
「うん。魔法のこととか。色々とね」
お兄さんが1枚の紙を持って笑った。こんな時間からですか!? いや、望むところだ。もっと強くなれるなら。
日向に連絡を入れてお兄さん微笑み返した。
「はい、よろしくお願いします!」
空が紫色に染まる頃、俺────シーザス・フェニックスはアモンの家にいた。
「オーガス・アモンの懲罰を一族の追放にして欲しい・・・・・・と?」
跪く俺にフクロウの頭を持った人間が問う。フクロウの頭。人型とはいえ猿に近い肉体。蛇の尻尾。人間と呼ぶには程遠い。もはや化け物の類いの生物。それがアモン一族の長。バシルータ・アモンだ。
「はい。オーガスは人間界で眷属を作っています。オーガスを殺した場合、その眷属ははぐれとなりアモンの汚点となる可能性があります。だとしたら、オーガスを生かし人間界で眷属と共に存在を隠蔽した方がよろしいかと」
「ふん。その眷属とやらも処理してしまえばいい。そもそも娘の存在自体許せるものじゃない。力を持ちながら使うことを躊躇うとは。くだらん欠陥品だ」
言い切りやがった。しかも娘を欠陥品扱いかよ。冷酷つうか、冷徹つうか、ほんと冷めてやがる。
別にあいつのことなんかどうでもいい。特に眷属の方はな。
人間なんて死んでもいい。人間界に逃げた姉もその程度だってことだ。
ただ、こいつらのやり方は気に入らねぇ。戦って、殺して、それで何か変わるのか? いや、変わらねぇ。
いらないもん全てを切り捨てても理想の世界は作られねぇんだ。
「眷属を殺すのなら人間界に攻めなければなりません。それが魔王様に気付かれてもしたら・・・・・・。一族全体────いえ、魔界全体の問題になる可能性までありますが」
「それも構わん。今の腑抜け供への薬になろう」
「そんなことしたら死に────いえ、何でもありません」
思いがけない発言をすぐに訂正する。死人の心配なんてどうでもいいだろうが!
ああ、ちっくしょう。なんかおかしくなったみたいだ。あのうるさい馬鹿のせいか?
「所詮は弱者か。お前もオーガスと変わらない。力を使うことに躊躇い、躊躇し、踏みとどまる。それしかできないのなら消えろ」
「くっ────」
ちくしょう・・・・・・。全部あいつのせいだ。他の奴らと同じように憎んでくれれば楽だった。いや、せめて友達なんて言わなければ・・・・・・。
たかが一週間。しかも悪魔に何で友達なんて言葉を吐けるんだ。しかもてめぇの仲間と言い合いまでして。
「もういい。下がれ。もうお前に用はない」
「・・・・・・はい」
立ち上がり部屋を出る俺の耳にお父様の声が聞こえた。
「オーガスもシーザスも使えない。ゼクスも姿を見せない。最後の手段────」
そこで声は途切れた。
結局、何もできなかった。でも、あいつが魔界に来ることはない。御剣の奴が足手纏いを連れてくるとは思えないからな。
俺の心の中で理解しがたい安堵が生まれていた。
翌日の朝。俺、桂木春は御剣と教室で合流した。本当はもっと早くに合流するつもりだったんだけど、焔が来なかったから出発が遅れて、御剣が一旦焔の様子を見に離れた。そして今、また合流したってわけだ。
御剣は心底不愉快そうに言う。
「多分、シーザスは魔界にいるよ」
「魔界に? ってことは1人で突っ込んだってことか」
「うん。彼らしくない行動だけど多分ね。はっきり言って桂木くんは足手纏いだ。だから、置いていったのかもしれない」
「あっ、うん。確かに」
確かにそれはある。トレーニングしたと言っても所詮は付け焼刃。手馴れた悪魔なら俺なんて一分かけずに倒せるだろう。
でも、あいつがそんなことするかな? 昨日は忘れるなって言ってた。なら、あいつ自身が裏切るようなことはしない。
俺は信じるよ。
「もしかしたら何かあったのかもしれない。急いで追いかけようぜ」
「うん。僕もそのつもりだよ。でも、桂木くんはここにいてくれないかな?」
「えっ?」
「君を仲間外れにするつもりはないよ。でもね、君は弱すぎる。僕1人で守りながら戦えるかどうかは分からないんだ。だから、ここで待ってて欲しい」
御剣が少し躊躇いながら言った。
魔界に乗り込む。ってことは悪魔がいっぱい。敵がいっぱいいるってことだ。
しかも先輩は一族の宝って言われてるらしい。それを奪おうとしてるんだ。多勢に無勢になることは明白だ。
そこで俺みたいな足手纏いを背負って戦うのは不可能に近い。例え御剣でもそれは変わらない。
「分かった。まあ、しょうがないよな。状況が状況だし、無理をする時じゃないから」
御剣に頷いて答える。しょうがない。しょうがないって言い聞かせて自分を止める。
俺が飛び出して前みたいに誰かが死んだら・・・・・・。
「うん。ありがとう。必ず連れて帰ってくるから。少し我慢してて」
そう残して御剣は魔法陣の中に消えていった。
時は流れて学校が昼休みを迎える。
当たり前だけど、御剣は帰ってきてない。焔もだ。
やっぱり行った方が良かったのかもしれない。少しは役に立てたかもしれない。そもそも我慢して、耐えて。それでいいのか?
誰かを助けられる力を望んだ。後悔しない為の力を求めた。失わない為の力を目の前に示された。だから手を伸ばした。
まだ掴めてない。でも、まだ目の前にある。その闇の力。そして俺の光。
躊躇ってどうする。踏み止まっていいのか。その答えは決まってる。迷わなくていい。
作った握り拳の中にいつの間にか紙が握られていた。昨日の夜にお兄さんが持っていたものと同じだ。
なんで俺の手に? 紙の裏になにかか書いてある。
────どんな時でも諦めずに。落ち着いてイメージすること。
何で読めるか分からない程汚い字で書きなぐってあった。
諦めない。落ち着いて・・・・・・。諦めない。そう。迷う必要なんて初めからなかったんだ。
「おーい、桂木。飯食おうぜ」
「悪い。行かなきゃいけない所ができた」
近づいてきた白泉に答えて紙を撫でる。使い方は分からない。でも、感覚で掴める。
魔力を流す。その瞬間、紙が光り輝いて目の前に魔法陣が描かれた!
魔法陣に手を伸ばす。頭の中に声が反響して繰り返す。
────春がしたいことをすればいいの。その為の力なんだよ。その為に与えられた呪いだから。
その声は思い出せなかった後悔の声。もう忘れることはない俺の罪。
魔法陣の光が強くなる。頭の声は消えて、今度は後ろから聞こえる声が俺を止めた。
「待って! 行かないでよ!」
日向だ。立ち上がって叫んでいて、その目には薄らと涙が浮かんでる。
「それ以上行くなら・・・・・・本当に絶交するから。白ちゃんの面倒も見ないから!」
「はは・・・・・・、それは困るんだけど。今頼めるのは日向しかいないんだ」
「だったら────」
「でも、友達を見捨てたら俺が白の前で胸を張れなくなる。それはもっと嫌なんだ。だから・・・・・・ごめんな」
魔法陣は俺の手に触れて光へと姿を変えて体を包んできた。
よし、行こうか。もう誰も失わないために。なあ、凪姉。