闇の悪魔
大きな、大きな闇。近づくとその中にいる人影が見える。肩に大きく生える角。大きく釣り上がった口角は夢に出てきた悪魔を連想させる。
違う。あいつは────
「お前は! お前はぁ!」
刀を抜いて闇を切り裂いた! 手応えで分かる切ったのはただの影。本体は!?
闇は紅蓮を纏って俺の目の前で拳を握る。
「我が名はアスモデウス。色欲の大罪を司る悪魔なり」
飛んできたパンチを刀で受け止めた! ちゃんとガードしたはずなのに直撃したかのような衝撃が襲ってくる!
吹っ飛んだ俺に幾重にも別れた闇か追撃をかけてきた。早い! 集中は途切れてない。むしろさっきより深くなってるぐらいだ。なのに!
弾ききれなかった闇が腕や足に突き刺さる。闇は肢体を抉って鮮血を飛ばす!
「ぐっ、ああああああ!」
「長く帰らぬと思っていたが。まさか、未だに人間に未練があったとはな。しかもこの程度の者。くだらん。実にくだらん」
闇が降りてきて俺の首を掴んだ。今の攻防で分かった。今の俺じゃ勝てない。でも、だからなんだ。こいつは、こいつは────
「その胸糞悪い声。二度と俺の前で出すんじゃねえよ」
「ははは、少しは見直したぞ。無知とは、無謀とは良いものだ! 悪魔を恐れないのはお前ぐらいだぞ。誇るがいい!」
闇が消えて影が姿を現す。体の至る所に赤い刺繍が入ってる。ったく、悪趣味過ぎるだろ。
首を掴む手に力が込められた。痛みで意識が無くなりそうだ。四肢を滅茶苦茶に振りまして影────アスモデウスを攻撃する!
足がアスモデウスの何かに当たった! そのおかげで首の締め付けが緩む。
その隙を突いて抜刀する! そして首を掴む腕を切り裂く! 切り落とすことは出来ない。でも、首は解放された。
「げほっ、ごほっ! はあ、はあ、ふぅ。お前は、お前だけは・・・・・・俺が倒す」
「それは面白い・・・・・・と言いたいところだが残念だ。お前は俺の玩具を壊した。それさえ無ければ眷属にしてやっても良かったんだがな」
「誰が・・・・・・なるかよ!」
俺の刀とアスモデウスの拳が激突する! 擦り傷すらつかないのかよ! でも、止まれない!
もう1本刀を抜いて追撃を加えた! そこからは息つく暇なんて与えない。上下左右に振り回してひたすらに攻撃し続ける!
アスモデウスが翼を生やして空に逃げた。それを追いかけて翼を羽ばたかせる。
「やっぱりお前、惜しいよ」
アスモデウスの体が翻る。体を回転させて放たれた裏拳が俺の顔面に食い込む!
吹っ飛んだ俺はガラスをぶち破って教室に転がり込んだ。
「おい! 桂木、大丈夫か?」
白泉が駆け寄ってきた。体中傷だらけだ。さっきのゾンビと戦ってたんだろう。
「ああ、大丈夫────」
言い切る前に俺の意識が白泉から離れた。視線の先は膨れ上がった熱量。アスモデウスの刺繍が動いてる。
違う。悪魔になったからこそ分かる。あれは魔法だ。多分、触れちゃいけない類のもの。
「殺すか、殺されるか。なら殺す」
殺す、殺す、殺す。頭の中で唱え続ける。迷わないように。そう、マヨワナイように。
アスモデウスの体が消えた。刹那────腹に衝撃が走る! 目の前にいるムカつく笑みを浮かべる男。一瞬で飛んできた!? でもな────!
「お前は・・・・・・殺す!」
俺の手から魔法が放たれた! ゼロ距離で放たれた俺の炎がアスモデウスの体を吹き飛ばす! そして刀を投げ捨てて俺も飛ぶ!
俺とアスモデウス。互いの体を殴り合う。
「いい。憎しみの篭る拳も。怒りのみで放たれる魔法も。本当に惜しい奴だ」
「殺す。お前は────お前だけは!」
痛みを噛み殺す。痛みしか伝えないのなら神経なんていらない。全てを捨ててあいつを殺す!
「春!」
遠くから声が聞こえて俺のパンチが止まる。教室から桜が俺を見ていた。学校に来たのか!?
それよりも後ろに見たいことない人がいる。真っ白の服。十字を印したアクセサリー。聖騎士か。
今の状況で聖騎士? 来るのは当たり前だ。目の前には悪魔がいるんだから。
でも、早すぎる。昨日の内に誰かが通報した? ならもっと早くに来てるはず。考えられるのは今朝通報したってこと。そして多分、通報したのは桜だ。
即座に桜の元に飛んで肩を抱く。
「なんで聖騎士なんて呼んだ! 聖騎士なんて呼んだら────」
早乙女先輩が、凪姉が殺されてたかもしれない。それなのに・・・・・・。
桜は言葉を絞り出すかのように言う。
「なんでって、当たり前じゃないですか! 春が死んでしまうかもしれないんです。死んでしまうのを黙って見届けるくらいなら憎まれた方が。怒られる方がマシです!」
「とにかく下がれ。ガキの手に負えるものじゃない」
桜の後ろから1人。いかにも偉そうな人が出てきた。それはこっちのセリフだっての。俺が悪魔だってバレたら面倒なことになるから言わないけど。
「やめるのか、新人。それもいい。だが、それはお前の死というフィナーレになるだろう」
アスモデウスが近づいてきて真っ黒な槍を向けてきた。こいつは、殺さなきゃならない。なのに・・・・・・なんでだ? さっきより怒りが浅い。桜が来た瞬間に憎悪も、怒りも、全部が収まった。
逆に、頭が冷えてすぐに理解できる。遊ばれてた。ずっと笑ってた。勝てない・・・・・・。悔しいけど、こいつは凪姉よりもずっと強い。
「憎悪が消えて、落ち着きが戻ったか。つまらん、くだらん。人間というのはいつも・・・・・・愚かだ」
全身に悪寒が走った。暗く、低く、はっきりと敵意を剥き出しにした声だ。そしてまた、闇を纏う。纏うだけじゃない。空いっぱいに魔法陣が現れた。中からは闇の槍が出てくる。
逃げられない。防げない。守ることもできない。どうしよもない。
「ねぇ、春くん」
日向が言う。言葉に出さなくても分かる。もう駄目だと。死にたくないって、体で言っている。
「安心してくれ・・・・・・とは言えないかな、これは。でも、日向達は絶対に守るから。例え俺が死んだとしても・・・・・・」
「違うよ。怖くないから。信じてるから。でも、言いたいの。春くん────」
「春! 全力でやりなさい! 5秒稼げばあなたの勝ちよ!」
火野村先輩が叫ぶ! 5秒。それなら────!
「はい!」
縁を飛び越えて羽を広げる。魔法はイメージだ。とにかく大きくて強い炎。それを手から出す!
だが、何も反応しない。何も出ない。空の魔法陣が一層光を増す。槍はより深く色を濃くする。そしてその1つが俺達に降り注ぐ!
防げない? じゃあ死ぬ? ここで? まだ、何もしてないのに? そんなの────
────守りたいなら。叫べ
頭に声が響いた。どこかで聞いた声。あの時と一緒。鳥と戦った。叫ぶ? 何を? 何も分からない。
突然体が引っ張られて教室に入る。日向が窓の縁の上に立っている。槍が日向の背中を掠めて地面を穿つ。その衝撃は地面を揺らして、窓に立つ日向を襲う。
「春くん。春くんは私が守るから。約束したから。凪姉と春くんを守るって」
日向の手は窓の縁から離れない。あのままじゃ死ぬだけだ。なんでだ。なんで。
「あのね。私が死ねば、このゲームは終わるんだよね」
俺の後ろにいる聖騎士は動かない。誰も防ごうとも日向を助けようともしない。ちくしょう! なんだよ、こいつら! 本当に役に立たない。
────憎い、嫌い。なんであいつばっかり。
頭の声が止まらない。頭痛もしてくる。くそ! これじゃ魔法も使えない!
「だからね、私が死ぬよ。凪姉と一緒に、春くんを見守るから」
「何言ってんだ、お前! 見守るとかどうでもいい! 俺が何とかするから、早く戻ってこいよ!」
「なんで、来ないの!? 約束の時間は過ぎてるのよ!」
先輩も騒ぎ出した。先輩の言ってた5秒はとうに過ぎてる。なのに、何も起きない!
「だからね、最後に言いたいんだ────」
日向の背中が一瞬光って、暗黒に染まる。違う。やめろ。そんなの!
────あのね、お母さんが言ってたんだ。隠し事は駄目だって。だからね────
頭の中に女の子の声が響く。色んな人の声が聞こえる。その殆どが憎悪、嫉妬、嫌悪に塗れてる。その中に一つ、違うものが聞こえる。それと日向の声が重なる。
「春くん、大好きだよ」
闇が日向の体をかき消す。その瞬間────
「うわあああああああああああああああああ!」
「お前は力を望むのか?」
世界は動くのを止めた。全ての魔法は動きを止める。槍は日向の体を貫いているが、まだ死んでない。不思議そうに目をパチパチさせてる。先輩は声こそ出してないけど、驚いてる。明らかに挙動不審だ。そして────
「どうした? 力はいらないのか?」
目の前に佇む半裸の男。だけど前に会った時と違う。体中に蛇の刺繍が入ってる。しかも動いてる。
なんだ? この状況。おかしい。頭に血が上ってるはずなのに。いや、上ってるんだ。今までで1番頭にきてる。なのに、びっくりするほど冷静に理解出来る。
「お前は・・・・・・何なんだ? どうやって、どこから俺の目の前に現れる!?」
「前に教えただろ。俺はお前の中から出てきた。お前に向けられた呪いだ」
「呪い? 俺に向けられた? どういうこと。何言ってんだか分かんねぇ」
「理解出来ないなら後でいい。お前の出す答えは一つだ。力が欲しいか?」
何かがおかしい。だって、槍は日向を貫いてる。普通なら死んでるはずだ。なのに、何ともないかのように生きてる。
それに、この男。今までよりもおかしい。こいつの中に踏み込んじゃいけない。
でも、勝ちたい。倒したい。空襲の悪魔を倒す。それだけは譲れない。だから────
「ああ。力が欲しい」
その言葉を皮切りに世界の時はまた、動き始めた。