一話
「退院・・・できるんですか」
信じられないような言葉に、俺は目を見開きもう一度尋ねた。
「そうですよー。一週間後から高校生ですね、おめでとう」
長年の主治医が笑顔でそう言った。
こうして心臓の弱い俺は、半年ぶりに外にでたのだ。
***
「新入生、起立」
そんな声とともに立ち上がる。
(まだ立つのか・・・)
さっきから立ったり座ったりを繰り返し、正直かなりしんどかった。
(ふらふらする・・・)
視界がふらつく。
頭がぼんやりしてきて、
(やばい、無理)
ついに耐えられなくなって、その場にしゃがみこんだ。
近くにいた数人がちょっと騒いでいる。
それに気付いたのか、担任になった先生が慌てて駆け寄ってくるのが気配で分かった。
「横峰、大丈夫か?」
「はい・・・まぁ」
のそりと顔を上げた俺を見て、担任は顔をしかめた。
「真っ青だぞ?ほら立てるか?」
支えられながらゆっくり立ち上がり、俺は保健室に連行されたのだった。
***
幸いすぐに気分は良くなり、入学式が終わる時には教室に戻っていた。
ざわざわと騒がしくなってきた教室で、俺の隣にいた女子が声をかけてきた。
「さっき大丈夫だった?」
後ろの席に座り、親しげに話しかけてくる。
それに俺は短く答えた。
「あぁ、うん」
それにほっとしたように、彼女は名乗ってくる。
「私村岡明日佳!あなたは?」
「横峰千歳」
俺がそれ以上何も言わないと分かったら、彼女はさらに言ってきた。
「さっきはびっくりしたよー。急に座り込んじゃって」
まだ会話をするのかと思うと少し疲れた気分になる。
久しぶりだからだろうか?
「ごめん、よくあるから気にしないで」
彼女と合わせておどけて言おうとしたけれど、ちょっと苦笑になったかもしれない。
「よくあるの?」
『何で?』とでも言いたげな目で見つめて来た。
「・・・体弱いんだ」
心臓のことは言わないでおく。
すると彼女は納得したのか、それ以上何も言わなかった。
***
「だるい・・・」
体が熱い。
頭がふらふらする。
登校したはいいが、これでは帰宅させられるだろう。
(仕方ないか)
小さくため息を吐きながら保健室へ向かう。
一週間休まず通えたのですら奇跡なのだ、と言い聞かせる。
と、急に誰かが俺に衝突した。
「わ、とっ」
そんなに強い力でもなかったが、体調不良が災いして俺は尻餅をついた。
(いって・・・)
「大丈夫・・・て、千歳くん」
相手は村岡だったみたいだ。
差し出された手にすがる。
自分で立つのは難しそうだったのでわりと助かった。
「平気・・・」
全然平気ではないが、とりあえずそう言っておく。
体調不良に加えて、心臓もおかしくなってきた。
(まずいな)
今すぐ薬を飲むべきかもしれないが、村岡がいてはちょっと困る。
そんなことを思っていると、村岡が急に大声を出す。
「どこが平気なの、ばか!」
驚きで心臓がさらに悲鳴を上げる。
(あぁもうー)
体を支えられているという感覚が薄れていく。
意識が暗闇に飲まれていってー。
***
「ん・・・・」
ひやりとした感触に、薄く目を開く。
目に入るのは白い天井、淡い色のカーテン。
(あれ、どっちだ・・・?)
病院か保健室か、ちょっと分からなかった。
働かない頭に、声が降ってきた。
「千歳君、大丈夫?」
「村岡・・・?」
目を少し横に向けると、村岡の心配そうな顔が目に入ってきた。
「大丈夫・・・じゃないかな」
怖い目で見られたので慌てて付け足す。
「今っていつ?」
「昼休みだよ」
その答えに驚く。
俺が倒れたのは朝だから、4時間くらい寝ていたことになる。
そのおかげか熱は全く下がっていないようだが、心臓は落ち着いてくれたみたいだった。
「ここ、保健室?」
ちょっと確信が持てなかったので、尋ねてみる。
「そうだよ?」
「そっか・・・よかった」
安堵の息と共に目を閉じた。
「何が?」
「病院じゃなくて、さ」
俺が学校で倒れる時は、大抵病院のベッドで目を覚ます。
「体弱いんだっけ」
村岡が温くなった額のタオルを水に浸しながら呟く。
(そんなこと言ったな)
あの時は、余計なことを言われたくなかったので黙っていたが。
「ちょっとそれは嘘かな」
この際話してしまおうと思った。
「心臓が悪いの、もうすぐ死んじゃうくらい」
なるべく淡々と、目は開かずに言った。
何でもないと言うように、あまり傷つけないように。
それでも、村岡が息を呑むのが気配で分かった。
***
「何でこうなる・・・」
あれから2日経った。
俺は結局、あの夜発作を起こして病院に送られた。
「まぁぼやくなよ、な?」
なだめるように主治医が言った。
そんな主治医に俺は問いかけてみた。
「・・・ねぇ」
「ん?」
「あとどのくらい残ってるの?」
俺の言葉に不思議そうな顔をする。
「俺に残された時間は、どれくらい?」
そう言うと、主治医は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化す。
「それはお前次第だな」
そういうことにしておく。
熱は下がったのでだいぶ楽になったが、心臓がいまいちらしかった。
「かあさんも、心臓の病気で死んだんだよね」
俺の母親は俺が5歳の時に死んでしまった。
父親は、どこにいるのかも分からない。
「あぁー。そうだな」
窓の外を見て、呟く。
***
一週間後、やっと退院した俺は遅刻して学校に来た。
渡り廊下を歩いていると、浮かない顔で自販機の前に立つ村岡を見つけた。
「村岡」
声をかけようかと一瞬迷い、結局声をかけた。
するとコーヒーのボタンに触れようとしていた村岡は、
「ひゃっ!?」
驚きのあまり手元を狂わせ、隣にあるいちごオレのボタンを押した。
「ちょっと、私これ飲めないのに・・・」
出てきたいちごオレを手に呆然とする村岡は、見ていて面白かった。
「驚きすぎだよね?」
俺が笑いながら言うと、村岡はこちらを見る。
「あまりにも久しぶりだし」
「そう?一週間じゃん」
俺にとって一週間は久しぶりにならない。
村岡は心配そうな目を向けてくる。
「もう平気なの?」
「うん、平気」
その間入院していたことは言わない。
絶対に余計な心配をかけるから。
「・・・そっか」
ふに落ちないという感じの村岡。
黙って考え込んでいる村岡に、俺はコーヒー缶を差し出す。
「はいこれ」
「え・・・?」
俺の顔とコーヒーの缶を見比べる村岡。
「ごめんねさっき。これが欲しかったんでしょ」
「い、いいよそんなの!千歳くんのせいじゃないし」
顔を赤くして首を振る村岡に、俺は笑いかけてみる。
「受け取ってくれないと困るな。俺これ飲めないし」
飲めなくないけれど、嘘を吐いておく。
それを信じてくれたのか、村岡は納得してくれたみたいだ。
「・・・わかった」
おずおずといった感じで受け取ってくれる。
(何か、可愛いー)
そう思うと、心臓が大きく跳ねた。
(・・・・・っ?)
一瞬慌てるが、発作ではないようだ。
「じゃあ俺、教室行くから」
「うん、じゃあね」
村岡に背を向け歩き出す。
その場から、逃げるように。