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小さな恋の物語~華里にて~

Fall in love

作者: mia


 君はきっと覚えていない

 僕達が最初に出会った、あの夏の日のことを



 「またここに来たの?優紀(ゆうき)、夏休みの宿題は終わった?」

 “ふじがや”と名前を記された紙袋を手に、カウンターに立っている母が言った。

 僕は住み込みで働く菓子職人さんたちの間をすり抜けて母の隣に並ぶ。

 冷房の効いた店内は家にいるより居心地がいい。

 「自由研究以外終わったよ。今日の絵日記はまだ書いてないけど」

 「そう。じゃあ邪魔にならないように良い子にしててね」

 「分かってるよ」

 そう答えて僕はショーケースに宝石のように並んだ和菓子を眺める。

 しばらくそうしていると店の扉が開けられ、「いらっしゃいませ」という決まり文句の後に母が嬉しそうな声を上げた。

 「あら菅野(すがの)さん、先日はどうもありがとうございました」

 「いえいえ。こちらこそどうも」

 菅野さんの家のおばあちゃんと世間話をし始めた母をよそに、僕は和菓子を見ていた。

 どうせショーケースに隠れて気づかれていないし、気づかれたとしても愛想笑いをして挨拶すればいいだけだ。

 このまま静かにしていよう。

 けれど僕は気づいた。ショーケース越しに僕と向かい合って和菓子をガン見している女の子がいることに。


 この子、誰?


 下ろしっぱなしの黒髪に赤いリボンのついた麦藁帽子。ピンク色のワンピースは明らかに無理やり着せられている感があった。

 顔をガラスに張り付かせている女の子は僕の視線に気づいたようで、目がばっちり合った。

 今度は僕を凝視してくる。

 思わずたじろいだ僕は母にぶつかってしまった。

 「優紀?どうし……あら、もしかして菅野さんとこのお孫さんですか?」

 「そうそう。息子の3番目の子でね。今盆休みで帰省してて。ほら、自己紹介しなさい」

 いまだ僕を見ていた女の子は祖母の声に顔を上げ、僕の母に向かってよく通る声で

 「初めまして。菅野文月(ふづき)です。小学2年生です」

 ペコリと頭を上げると被っていた麦藁帽子が床に落ちた。

 拾い上げて無造作に被りなおす。赤いリボンが変な形になっていることには気づいていない。

 「はい、初めまして。優紀、あなたもご挨拶しなさい」

 肩を叩かれて僕は渋々ながらもカウンターを出て文月という女の子の前に立った。

 僕より背が低い文月に目線を合わせ、笑顔を作る。

 「僕の名前は藤ヶ谷(ふじがや)優紀。よろしくね」


 「お菓子食べたい」


 沈黙が降りた。僕はちゃんと笑えているだろうか。

 「あの優紀坊ちゃんが振られてる…!」とか後ろで聞こえるのは気のせいだ。笑いを堪えている気配もそうだ。

 「おばあちゃん、私あれ食べたい」

 文月はショーケースに並ぶ向日葵の生菓子を指さした。

 「駄目駄目。皆で食べられるものを買うんだよ」

 そう祖母にたしなめられると頬を膨らませて

 「嫌。あれが食べたい」

 駄々をこねる孫娘に逆らえなくなったのか、彼女の祖母は苦笑してその向日葵の生菓子を指した。

 「これ1つください。皆には内緒だからね」

 「うんっ。ありがと、おばあちゃん!」

 望みが叶って満面の笑顔を浮かべ、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ文月から麦藁帽子が転がり落ちる。

 足に当たって止まったその麦藁帽子を拾った僕は、何の気なしに手で払ってから小さな頭に被せてやった。

 ついでにおかしな方向に捻じ曲がっていた赤いリボンを整えてやる。

 「君には青いリボンの方が似合うよ。そのワンピースだって水色だったら君によく合ってた」

 文月の目が丸くなる。

 何か変なことでも言っただろうか。首を傾げる僕に、目の前の女の子は目を輝かせ――


 え?


 「あらら。もう孫娘のお婿さんが決まっちゃったかい」

 「優紀良かったわね。モテモテじゃない」


 冷やかしも耳に入らない。信じたくないけど顔が熱い。

 思い切り背伸びして僕に体当たりするように抱きついている文月。

 手触りの良さそうな黒髪が頬に触れ、麦藁帽子がまた落ちた。


 不覚なことに、僕も落ちてしまった


 けれども文月に会えたのは後にも先にもその年の夏だけだった。

 その後間もなくして彼女の父親が亡くなり、頻繁に里帰りもできないほど遠くに引っ越してしまったと聞かされた。

 それから何年もの年月が経つ。



 「初めまして。教育学部1年の菅野文月です。これからよろしくお願いします」


 君は茶道部の稽古場所である和室にやってきた。どうしてこの遠く離れた大学を選んだのかと聞くと「学食が美味しいから」と返ってきた。

 相変わらず食い気が勝っているようだ。


 僕のことは覚えていないみたいだね


 今度は作ったものではない。心からの笑顔をたたえて僕はもう一度言う。

 「僕の名前は藤ヶ谷優紀。よろしくね」

 「はいっ。藤ヶ谷先輩」

 君は快活な返事とともに咲き誇る向日葵のような笑みを浮かべた。


 ああ間違いない

 君は、僕を恋に落とした女の子だ


 君にもう一度会える日を、ずっと待ってた


 fin.



読んで下さった方々、ありがとうございました。

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