極致と涙
草木をかき分け走り続ける僕らを、木々をなぎ倒しながら火陸竜が追いかけてくる。
幸いなことに、火陸竜の足はそこまで速くない。
小回りの利かない巨体。本来の生息域とは全く異なる環境ということもあって、うまく走れないのだろう。
赤熱する火陸竜の体に触れれば、ただでは済まない。
しかし、触れなければ“合気”は使えない。
ならばどうするか――。
僕、新米魔法使いのアルヴィス・クローリーは、“合気”の使い手である天河ユウキとともに、ある場所へ向かっていた。
向かう先は――この森を横断する河川!
このあたりにはいくつか川が流れている。
さほど大きな川ではないが、火陸竜を“冷やす”のに十分な幅と深さはあるはず。
――あった! 川だ!
もう少し――!
脇を見れば、川にかかる木製の簡素な橋が見える。
「あの橋へ!」
橋から向こう岸に渡った僕らを追いかけ、火陸竜は豪快に橋を踏み壊しながら川に突っ込んでいく。
ジュウゥゥ――ッと、熱した金属を水に浸すような音が響き、激しい水蒸気が上がった。
水蒸気の隙間から、鱗や皮膚が急激に冷やされ、熱を失い、変質していくのが見て取れる。
もちろん、それだけで大きなダメージがあるわけではない。――が。
火陸竜は厳密にはドラゴンではなく、トカゲの一種だ。
火球を吐くための発火器官や熱に強いという特性はあるが、基本は変温動物。自身が常に高熱を発しているわけではない。
高熱の体温はあくまで外部の熱源によるもの。
つまり、一度冷やしてしまえば“触れることができる”ということ――。
「ユウキ、あとは任せます!」
「おっけー」
折れて短くなった剣を鞘に収めると、可愛らしく指で輪を作るような仕草をするユウキ。どうやら「任せて」のサインのようだ。
「じゃ――“壊す”ね」
ユウキは火陸竜に向き直り、まるで散歩でもするかのような軽い足取りで歩いていく。
しかし、彼女が一歩踏み出すごとに、周囲の空気が張り詰めていった。
食べてくれと言わんばかりに目の前に歩いてきた“餌”。火陸竜は大きな顎を開けて、それを喰らおうとする。
自らを噛み砕こうと迫る上下の顎に両手で触れると、ユウキは鋭く息を吐いた。
「フッ――――!」
その瞬間――咬合力が円の動きに絡め取られていく――。
バクンと顎が閉じた。
しかし、そこにユウキの体はない。
噛み合うはずの顎は左右に外れ、捻じれ、さらに、その捻じれは頭部から首、首から胴へと伝播。
火陸竜はその捻じれ、円の動きに抗おうと、地面を踏みしめ抵抗するが、逆にそれが、全身の捻じれと破壊の螺旋を加速させることになる。
――そういえば、ユウキはこんなことを言っていた――。
例えば、『発勁』。
それを極めれば、枯れ木のような老人さえも巨岩を穿つ。
力ではない力。
力を超える力。
中国拳法の発勁、古武術の鎧通し、システマのストライク。
古今東西のあらゆる武術で探求され、様々な形で編み出される同種の概念。
武術における収斂進化。
数多の武術家が追い求める極致。
その一つが――『呼吸力』――。
冷却によって脆くなった鱗や皮膚が陶器のように割れ、巨体のあちこちから血が吹き出る。
ミシミシ、ベキベキと音を立て、肉がちぎれ、骨が砕け、ついには耐えきれず、火陸竜は一回転して、断末魔の声を上げながら地響きとともにひっくり返った。
10メートル以上もの巨体が絞られたボロ雑巾のようになり、転がったまま痙攣している。
衝撃的な光景だ。
力ではない力によって、より強大な力をも絡め取る――。
いつものように詳しくは説明してくれないので、ユウキの言っていることを全部理解できているわけでもないが。
ただ――ユウキは、その“極致”を掴んだ者の一人なのだろう。
「凄い……。流石ですね、ユウキ」
「えへへ」
火陸竜が完全に沈黙したことを確認すると、ユウキは振り返って両手で「V」の字を作る。
――ふと、火陸竜の向こう、森の陰に、何かが見えた気がした。
あれは……ローブを着た魔法使い……?
……フードから覗く顔には、どこか見覚えがあるような……。
よく確認しようと目を凝らすが、すぐ掻き消えるように見えなくなってしまう。
「……アルくん?」
ユウキも気づいてないのなら、僕の気のせいか……。
と、気を抜いた途端、急に視界がグラついた。
「あれ……?」
「――! アルくん!!」
あ……。だめだ……。
これは魔力の使いすぎによる貧血……。
緊張が解けて、一気に反動が来てしまったのだろう。
狗人の群れから火陸竜との連戦。
杖の補助があったとはいえ、【魔法弾・六連】の連続使用は僕にはまだちょっと厳しかったようだ。
僕はそのまま気を失った。
「うぅ……ん」
どれだけ気を失っていたのだろう。
頬になにかの水滴が当たる感覚で目を覚ます。
ポタポタと、何かが落ちてくる感覚。
――雨?
ぼんやりしたまま目を開けると、夕暮れの空が見える。
いや、視界の半分くらいがなにかに覆われていて、空がよく見えないな。
視界を覆っている何かを、無意識に手で払いのけようとする――が。
――もにゅ――。
「もにゅ?」
なにか柔らかく、重量感のある感触が伝わってきた。
だんだん意識がはっきりしてくる。
こ、これは――ユウキの胸――!?
どうやら、ユウキに膝枕をされる形で眠っていたようだ。
視界のおよそ半分を覆っていたのは、そう――ユウキの圧倒的質量!
「わあっ! ――ご、ごめん!!」
慌てて飛び起き、ユウキの顔を伺う。
ユウキは大粒の涙をポロポロこぼして泣いていた。
雨だと思っていたのは、彼女の涙。
「よかった、アルくん。よかったよぉ!」
ユウキが泣きながら僕に抱きついた。
柔らかい感触と、ユウキの体温、そして匂い……。密度の高い情報が一気に押し寄せてきて脳内がパニックになる。
「アルくんがいなくなったら……。私、どうしたら……っ」
……!
……そうか……。それはそうだ……。
圧倒的な強さを持つとはいえ、ユウキは見知らぬ世界に1人で迷い込んでしまった、ただの女の子。
頼れる人はいない。知っている人もいない。
もとの世界に戻れるのか、この世界でずっと生きていくことになるのか、それもわからない。
僕が気を失って倒れてしまったことで、そういった不安が押し寄せてきたのかも知れない。
「大丈夫……。大丈夫だから……」
泣きじゃくるユウキを、静かになだめる。
――大丈夫。
ユウキは僕が守護るから――。




