トロールと迷い人
「あのー……。ここってどこでしょう?」
彼女は突然あらわれた。
肩ほどまで伸びるサラサラの黒髪。
純度の高いガラスで作られた眼鏡に、羊毛でも亜麻でもない変わった素材の服。
黒い鞄を背負い、片手には小さな金属板のようなものを持っている。
年齢は14歳の僕より少し年上といった感じだろうか。
見たこともない出で立ちをしている以外は、華奢で小柄な、普通の女の子。
「へっ!?」
間抜けすぎる声が出てしまった。
なにせここはモンスターがうごめく森の中。
そして僕、新米魔法使いのアルヴィス・クローリーは、今まさに岩鬼――トロールに襲われている真っ最中だったからだ。
低ランク冒険者同士で即席パーティーを組み、狼を駆除するという、よくある依頼を受けて森に入った僕らは、そこで岩鬼と遭遇した。
誰かが刺激して生息域の外まで連れ出してしまった、いわゆるはぐれモンスターというやつだ。
巨大な体躯に頑強な肌。岩をこすり合わせるような、聞くだけで身がすくむ唸り声。
とてもじゃないが低ランク冒険者の手に負える相手じゃない。
まして僕の【魔法弾】なんか、ただの水しぶきのようなもの。
あわてて逃げ出したものの、僕1人が逃げ遅れてしまい、今まさに棍棒で叩き潰されようとしている。
所詮、ただの即席パーティー。彼らが助けに戻って来ることはないだろう。
そんなところに現れた、不思議な女の子。
「このあたりって、電波が来てないのかなー。
スマホの地図もなんかバグっちゃってて、周りの地形と一致しないんですよね」
スマ……?
なにを言ってるんだ?
それよりも――!
「あぶないッ!!!」
岩鬼が女の子に標的を移し、彼女の身体よりも太い棍棒を容赦なく振り下ろした。
風圧とともに地響きが起こる。
が――。
女の子は振り下ろされた棍棒のすぐ横で、涼しい顔をして立っている。
はずれた?
――いや、でも棍棒がめり込んでいる地面は、確かにさっきまで女の子がいた場所だ。
「あれ?
もしかしてだけど、これってなんか、危ない状況だったりする?」
女の子は眺めていた金属板を鞄にしまい、今さら気付いたかのように僕と岩鬼を交互に見た。
「か、かなり……。そうかも……そうだと思う」
殺意に満ちた怪物がふたたび棍棒を大きく振り上げ、その華奢な身体を叩き潰そうとする。
「ほい」
――。
――ゴシャアッ!
彼女の3倍はあろうかという岩鬼の巨体が宙に浮き――そして、顔から地面に叩きつけられた。
「あはっ♡」
スカートを翻す彼女は相変わらず涼しい顔で、その肢体にはかすり傷ひとつついていない。
みえ……いや、それどころではない。
「こんなに大きな相手を投げたのはじめてかも。
いけるもんだねえ」
なにが起こったのか、まるでわからなかった。
岩鬼をこともなげにあしらった女の子は、腰を抜かしてへたりこんでいる僕に話しかけてくる。
「えーっと……。近くにコンビニとかあったり……しないよね?
近道しようとしたら、なんだか道に迷っちゃって」
「コンビニ……?いや、今……えっ?」
迷い人……なのか?
それよりも、さっきの“アレ”はいったい――?
吹かれる木の葉のように懐に滑り込んだかと思えば、軽やかに円を描く所作だけで岩鬼を放り投げた――そう見えた。
魔法?それとも力技?あの細腕で?
いったいどんな原理なのだろう。
頭の中に無数の「?」が浮かぶ。
ゴルルルルッ!
唸り声で我に返ると、岩鬼がグラつきながらも巨躯を起こしている様子が視界に入った。
「わァ……ぁ……!」
異常な耐久力の高さ故に、再生能力があるのではとまで言われる怪物だ。
潰れた鼻や口から血を流し、首がおかしな方向に曲がってはいるが、その眼にはなおも憤怒が滾っている。
あまりの迫力に、まわりの空気すら歪んで見えた。
しかし、今の僕が本当に恐ろしさを感じたのは、岩鬼に対してではなかった。
「ねえ――」
彼女はその空気さえも凍てつかせる声色で囁く。
可愛らしいはずの笑顔に、まるで冷たい手で心臓を鷲掴みにされるかのような感覚をおぼえ、思わず息を呑んだ。
天河ユウキ。
こちらの世界に迷い込んだ、“合気”の使い手――。
「あれって――“壊し”ちゃってもいいんだよね?」




