神の怒り、空の証明 ― 王と神の前で、“理”が天に届いた日 ―
王宮、大広間にて
白大理石の床が、光を飲み込むように静かに輝いていた。
王家の紋章が刻まれた広間の中央に、円形の天窓から金色の陽光が降り注ぐ。
天井のドームには「空の神々」の壁画――
人がまだ“風”を神の声と信じていた時代の絵が、荘厳に描かれている。
ステンドグラスを透けた青と金の光が交差し、
空気は、張りつめた弦のように静かだった。
その空間に集うのは、王と王妃、各国の使節、教会の高官、
そして、王立学園の代表たち。
誰もが息を潜めている。
この日――王国史に残るかもしれない“発表”が行われようとしていたからだ。
壇上の中央に、ひとりの少女が立っていた。
白衣のような淡青の礼装に身を包み、髪をリボンで束ねた少女。
アマカワ侯爵家の娘にして、王立学園の特待研究生――メグ・アマカワ。
その小さな手が、机の上の奇妙な装置に触れる。
金属と魔石が組み合わされた円筒形の機械。
淡い青光を帯びたその装置こそ、彼女が生み出した“空を描く道具”――
**気象魔導図**である。
メグ(心の声):「……あの夜、空を見た。
“観測”の向こうに、何かがいた。
今日、それを――証明する。」
広間に微かな風が流れる。
観衆の衣の裾が、わずかに揺れた。
王座の上で、老王が静かに頷く。
王:「始めよ、アマカワ侯爵令嬢。――その“理”とやらを、見せてみるがよい。」
その声が響くと同時に、
広間の空気が一変した。
彼女の手が、ゆっくりと魔石の制御環に触れる。
燭台の炎が揺れ、金属の輪が小さく共鳴した。
光が、息を吹くように浮かび上がる――。
発表の幕開け ―「空を描く少女」
白大理石の壇上に、淡青の礼装をまとった少女が立っていた。
その姿は、まるで空の一部が人の形を取ったかのように儚く美しい。
アマカワ・メグ。
王立学園史上、最年少で特待研究生に選ばれた侯爵令嬢。
その背後には、銀髪の王太子リュシアンが静かに控えていた。
彼の視線は、舞台の少女に――そして、彼女の机上に据えられた“奇妙な装置”に注がれている。
メグ:「これより、《気象魔導図》の実験を始めます。」
彼女の声は、広間の静寂を貫くように澄んでいた。
机上の装置は、金属環と透明な魔石が幾重にも組み合わされたもの。
中心には青白く輝く湿度石が浮かび、わずかな風がその表面を撫でている。
燭光が反射し、金属環の刻印が微かに光を帯びた。
淡い振動音が、広間全体に広がる。
リュシアン(心の声):「……これが、“空”を理で描く少女の答えか。」
メグは手を伸ばし、装置の制御環に触れた。
瞬間――空気がふっと震えた。
湿度石から、細い霧が立ちのぼる。
それは上昇気流のように螺旋を描きながら天へ伸び、やがて光を帯びて――
空中に、見えない風の流れを描き出した。
観衆から、息を呑む音。
観衆A:「……見える……風が……!」
観衆B:「マナが……空を流れている……!」
霧の粒が、魔力の糸を結び、青白い光が螺旋状に広がっていく。
それは大気の“呼吸”そのもの――
人の目には見えなかった空の理が、今ここに姿を現したのだ。
王は立ち上がり、声を震わせて言った。
王:「これこそ、“神の理”に迫る叡智ではないか!」
その言葉を合図に、観衆はどよめいた。
誰もが、その幻想的な光景から目を離せない。
しかし――ただひとり、リュシアンだけは静かにその背中を見つめていた。
リュシアン(心の声):「彼女の風は、奇跡ではない。
理が、神話の形を借りて“語っている”のだ。」
メグの瞳に映るのは、広間の天窓越しの青。
その青は、かつて彼女が“空に見られた”あの夜の記憶を呼び覚ます。
メグ(心の声):「――空は、ただ在るだけ。
でも、人はいつも、それを“意味”に変えたがる。」
光が、天へと伸びていく。
まるで空そのものが彼女の理に応じるように、穏やかに――。
異端の宣告 ―「神の視座」
光が天へと伸びた、その刹那。
――低く、地の底から這い出るような声が、広間を震わせた。
セレス司教:「天を映すとは……神の視座を奪う行為!」
荘厳な法衣に身を包んだ老司教が、立ち上がる。
その手に握られた黒杖の宝珠が、鈍く光を放った。
セレス司教:「天の理は、祈りによってのみ知られるもの!
理で測るは――傲慢の極み!」
静まり返っていた大広間が、一瞬で凍りつく。
観衆たちは息を潜め、ステンドグラスの光さえ怯えたように色を失った。
空中の魔導図――あの美しかった光の流れが、次第に乱れ始める。
霧が震え、螺旋が歪み、ひとつの光が途切れた。
メグは顔を上げ、声を絞り出す。
メグ:「奪うつもりなんてありません。
私はただ……“空がどう動いているのか”を、知りたいだけです。」
その言葉は、祈りにも似ていた。
だが、セレス司教は怒りに燃える眼で少女を見下ろす。
セレス司教:「それが“知”の罪だ!
理解は、信仰を殺す!」
杖が床を打つ――。
その瞬間、天井の円形天窓の向こうで、黒雲が渦を巻いた。
まるで天が怒りを示すように。
光が消えた。
空から降り注いでいた青と金の輝きが、一瞬で奪われる。
代わりに響いたのは、
――轟音。
雷鳴が天蓋を裂き、閃光が広間の壁画を照らした。
そこに描かれた「空の神々」が、まるで生きているように揺らめく。
メグはその光の中で、震える手を握りしめる。
風が逆巻き、霧の流れが暴走を始める。
リュシアン(低く):「……やめろ、セレス!」
セレス司教:「沈黙を、理に与えるわけにはいかぬ!」
観衆が悲鳴を上げ、護衛が駆け出す。
空から降る光の粒が、今や美しさではなく災厄の前触れに変わっていた。
メグ(心の声):「……これが、“神の怒り”なの……?
違う……これは、空が乱れてるだけ。
天は怒らない。ただ、応じるだけ……。」
彼女の瞳に、嵐が映る。
その中で――
理と信仰が、初めて正面から衝突した。
崩壊 ―「神の怒り」
――次の瞬間、装置が悲鳴を上げた。
スカイピラーの魔石群が、制御を超えた光を放つ。
青白い閃光が迸り、金属環が高周波の音を立てて震えた。
空気が裂ける。
光が螺旋を描きながら天へと伸び、天井のドームを覆うように広がっていく。
リュシアン:「退避しろ! マナが暴れている!」
警備の兵が観衆を守る中、メグだけがその場に立ち尽くしていた。
風が彼女の髪を巻き上げ、燭台の炎が吹き消される。
メグ:「違う……乱れてるんじゃない。
応えてるの。」
その声は震えていた。けれど――確信に満ちていた。
光が渦を巻き、天井いっぱいに広がる。
青と金の稲妻が交錯し、
その中心が、**“ひとつの形”**を結んでいく。
――それは、巨大な眼。
嵐の光が形作るその瞳は、まるで「空そのもの」がこちらを見返しているようだった。
見る者すべての胸を貫く“視線”。
神の怒りか、それとも――観測の応答か。
観衆:「……神が、見ている……!」
セレス司教:「触れるな! それは天罰だ!」
メグは震える指で、装置の制御板に手を伸ばす。
指先が青白く光を反射し、涙が頬を伝う。
メグ(静かに):「私は……空を支配したいんじゃない。」
「ただ――理解したいだけ。」
その瞬間。
渦が、静まった。
轟音が嘘のように消え、風が止む。
光はゆっくりと収束し、空を覆っていた黒雲が散っていく。
残されたのは、
――割れた魔石と、少女の小さな息づかいだけ。
メグの髪を夜風が撫で、
天窓の向こうには、再び星が瞬いていた。
リュシアン(心の声):「……彼女は、“神の怒り”を止めたんじゃない。
天と、人との間に、理を見たんだ。」
静寂。
その場にいた誰もが、息をすることすら忘れていた。
――そしてこの瞬間が、
“空を測る罪”と呼ばれる時代の幕開けとなる。
沈黙の証明 ―「嵐の前」
焦げた空気が、まだ広間に残っていた。
砕けたステンドグラスの欠片が床を散りばめ、
そこから差し込む光が、まるで壊れた祈りのように揺れている。
誰も――声を出さなかった。
群衆も、神官たちも、息をすることさえ忘れて。
ただ、少女を見つめていた。
白衣の裾は煤に焦げ、頬には涙の跡。
その目は、なおも天を見上げている。
王が、ゆっくりと口を開いた。
王:「……理が、天を映したのか。
あるいは――天が、理に応えたのか。」
重く、響く声。
それは裁きでも賞賛でもなく、**“問う声”**だった。
セレス司教は沈黙を守ったまま、メグを見下ろしていた。
杖を握る手がわずかに震え、その瞳には恐れと確信が同居していた。
セレス(心の声):「――この少女こそ、“空の異端”。」
その視線を受け止めるように、リュシアンが一歩前に出た。
焦げた床に靴音が響く。
リュシアン:「彼女の理論を――王家の保護下に置くべきです。」
場内がざわめく。
王は短く息をつき、ゆっくりとうなずいた。
王:「……よかろう。
だが、その光は、あまりにも危うい。」
天井の裂け目から、淡い陽光が差し込む。
嵐の後のような静けさ。
空気のすべてが、ひとつの問いを残していた。
メグは顔を上げ、黒く焦げた天窓の向こう――再び晴れ始めた空を見つめる。
メグ(心の声):「空は、怒ってるんじゃない。
……問い返しているの。」
風が吹く。
砕けたガラスの欠片が光を反射し、
まるで“理と祈り”の境界を示すかのように瞬いた。
――その静寂は、
やがて訪れる“嵐の予兆”でしかなかった。
そして幕は下りる。
第Ⅱ幕『天を測る罪』――開幕。




